第十一夜 皐月の闇に

 ねがいを叶える黄金の薔薇。

 僕の希いを叶えてくれる? 

 僕は土にかえりたい。

 生まれる前の姿になって

 正しい姿で芽吹いて

 あの人の希いを受け入れる

 優しい花に、なりたいんだ。


 ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*


 月燈つきあかり流離さすらいの誘い水に、少年は月翳橋つきかげばしをゆっくり渡った。その橋の斜面なぞえから東へ向かう。妙にくらい夜に殊更、黄金にきらめく薔薇が映える。


 アンゴラうさぎのしっぽのような綿雪が落ちてくる。月は降りしきるむつはなに霞み、かさを被ったように、ぼやけた。月翳橋つきかげばしに敷かれる季節外れの雪の絨毯じゅうたん。その脆い絨毯に足跡を付けるミコトは、探し求めていた黄金の薔薇の花冠に重ねられていく雪を見て、ほっと白い息をいた。


「これでねがいごとが叶うんだ」


 確信めいてつぶやいた少年は、黄金の花片はなびらの杯に唇付くちづけた。雪融水ゆきしろみずミコトの渇きを正しくする。


 いつしか、幻のように消えたミコトを、降りめる雪がとむらった。誰ひとりとして月翳橋つきかげばしに積もった雪を踏むことは、出来ない。否、だけは、此方側こちらがわの世界に来ることが、出来る。


 アールスメールゴールドを教えてくれた人。

 心の器を充たす人。

 心のしろを作ってくれた、ただひとりの人。


 ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*


 国家資格と卒業証書を手にしたアキラは、希望どおりの職種で働き始めている。

 鍼灸師しんきゅうし経絡けいらくに沿ってハリを打ち、西洋医学で解明しきれない見えない痛みを治そうとする。


「心に経絡けいらくがあるならば、あの子に打ってあげたかった」


 或る特別な美しい妄想を持っていた。

 一方で年齢や性別という概念を持たなかった、ミコト。


「虫にさいなまれて熱を出していた。僕のハリで、きみに巣食う虫を少しでも散らせたい。目に見えない神経を、血管を傷付けぬような刺激でやしたい」


 切皮せっぴという技術がある。鍼管しんかんの中にハリを入れて、出ている部分だけをはじく。


「あの子の淡い皮膚には切皮せっぴで充分だ。決して深く入れては不可いけない」


 そんなふうにアキラが、一呼吸ひといきついて心にむミコトに話し掛けたのは、皐月さつきの連休。

 彼は衣替えの際、名前が印字された幼き日のタオルを、焦げ茶色の外套コート衣袋ポケットから見付けた。


 自らの夢に向かって労を惜しまず邁進まいしんしていたアキラが、強要される形で養生していた時期、退屈しないで過ごせたのは、あの少年が居たから。


 彼に学んで今一度、自分の生き方を見詰め直せた部分も無かったとは言えない。

 ミコトは今ごろ、どうしているだろう。

 消毒薬の匂い漂う白い建物の中を、歩き廻っているだろうか。


 人間は不安なときほど動き回りたくなるものだ。そうやって気を紛らわせているつもりが、己を追い詰めている。素足で病室を彷徨さまよっていたのは不安の象徴。


 一度もミコトを見舞っていない。たもとを分かつと決めたから。

 しかしアキラは、ミコトの見舞いに花束を求めた。

 黄金の薔薇を探し始める。


 フローリストに黄金の薔薇は無かった。

 しかし、真紅と雪白の薔薇にエミールピンクのスターチスをちりばめた花束は、それなりに美しい。


 ミコトは、花束を喜ぶだろうか。



   最期の夜『薔薇は融ける』に続く

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