第五夜 現実

 橙色オレンヂの朝陽の遊ぶアキラの病室に、担当ではない女医が訪ねてきたのは、ミコトに再会した翌日だった。青年の名の読み取れるタオルを差し出して、女医は言う。


「これは貴方あなたのものですね。私は作楽さくらミコトくんの担当医です。あの子と、どんな関わりを持たれたのですか?」


 意味深長な女医の口調とは正反対の、軽い声音でアキラは答える。


「病室の扉が開いていましたので、会って少し話しましたよ」


 その声音は、かつて学童だったころ、旅先で購入した名前入りのタオルを気恥ずかしく思う気持ちを、隠すためでもある。


「話す? ミコトくんが心を開いたのですか?」


 女医は驚きの色を隠せない様子だ。図書館から病室へ、巡る会話に曇りは無かった。ただ、アキラに会う前、何の意味があるのか見当もつかないが、熱のある身体で室内を歩き廻っていた。素足で冷たいタイルの床上うえに居た。


御伽譚オトギバナシをしましたよ。それが何か?」


 四辺あたりを見渡した女医が小声で告げる。同室の患者をはばかるように。


「カウンセリングルームで、お話を。少し、お時間を頂けますか?」


 返されたタオルを受け取るような気易さで、アキラは応じた。


 ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*


 ミコトの病室を素通りした先のカウンセリングルームで、方卓テーブルを挟んだアキラと女医が、話し始める。


「ミコトくんに会われて、どう思われました?」

「ちょっと変わった男の子ですね。何と言うか、頭の良さそうな……」

「正直におっしゃっていいのですよ。随分、変わった男の子です。聡明すぎて不幸なことが、あるのかもしれません」


 女医の声質に、哀音あいねにじんだ。


「ミコトくんは、もう半年以上、此処ここに居ます。但し、向こうの病棟でしたが」


 女医が窓越しに向こうと差すのは、こどもには似合わない灰色の病棟だった。


「火遊びと水遊びの果てに肺炎を起こして、此処ここに居るのです。おかしいことしか口走らないのは、不相変あいかわらず。自分は薔薇から生まれたと言い張っています。御両親は健在なのに。ミコトくんの瞳は、現実ではなく夢の世を映す鏡のようで。私たちのような現実に生きる人間を……つまり、大部分の人間との接触を極端に避けるのです。なのに、初対面の貴方に心を開くなど、信じがたくて」


 アキラは些細ささいな不審のかどを正す。


「初対面では、ありません。以前、図書館の一隅いちぐうで彼を見掛けて、些少すこしの言葉を交わしました。そのとき、ミコトくんは黄金の薔薇について知りたがっていて、共に植物図鑑を調べました。それだけです」


「いつごろのことですか?」

「まだ近い昔です。去年の暮れの、冷え込みの特に厳しい日でした」



   第六夜『忠告』に続く

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