第二夜 病室

 青年の直感力は冴えない。今朝の快晴を信じて傘を持たずに出掛けた日に限って雨に降られたり、その逆に、曇天を案じて傘を携えた日には雲ひとつない晴天に恵まれたり、という具合だ。その程度なら他愛無たあいない。


 東洋医学の専門学校の夜学生である彼は、昼間の仕事と夜間の学業を両立させていた。だが、いつしか、その比率が偏り乱れた。生活の歯車が狂っていた。


 度重なる疲労と睡眠不足にさいなまれた末、足場が崩れていく不安にとらわれる。


 おろそかに、ならざるを得なかった学業の果て、国家資格の壁は高く、卒業の先へ続く未来を危ぶまれている。そんな矢先、風邪をこじらせて肺炎にかかり、医師に入院加療を勧められた。


「数週間、すべてを投げ出してしまうのも得策だ」


 押し込まれた相部屋で、頭を白紙にしようと試みるも、寝台の上に医学書を紐解ひもといている。文字は脳内に散らばるばかり。知識は流れる。


 気分転換が必要だ。病院の廊下伝いに、中庭の散策をしようと病室を出た。

 或る病室の壁に差された名前プレートに、視覚をき付けられて立ち止まる。


作楽さくらミコト』


 扉は、ぴたりと閉められておらず、内部なかの様子を垣間見ることが出来る。其処そこに居るのは、ミコトと思われる少年。


 室内をゆらゆらと歩いている背影すがたが、色褪せない図書館のフィルムに重なって、青年を瞠目どうもくさせる。黄金の薔薇を探していた少年だ。


「過去に大切な忘れものをした。もう二度と、彼は僕の人生に現われない」


 青年の直感は外れた。今回ばかりは喜ばしい。


 青年は、心の何処かで探してやまなかった欠片を見付けたような気持ちになって、今度こそ逃したくないと思い、隙間の空いた扉を軽く叩いてからへやに入った。


 一定のリズムで歩いていた少年は、青年と向かい合った途端に足をめる。

 そのまま掣肘せいちゅうを加えられたように、彼は、歩くことをめた。



   第三夜『会話』に続く

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