蜜の味の正体

甘介かんすけ、殿がお呼びだ」

 来た。殿からのお召しだ。


 どこをどう歩いたのか。殿がいらっしゃる御殿までの記憶がない。


 殿の容態はどうだろうか。

 まさか。

 最悪の事態にはなっていないだろうな。

 大丈夫だよな。

 味の確認は何度もした。

 大丈夫なはずだ。


 視界がぼやけてきた。

「甘介、こっちに」

 殿から直接お声をかけられる。

 普段通りのお声のご様子だ。

 おずおずと御前ににじり出る。


「おまえ、これ、なに?」

 空になった茶碗を殿が僕の前に出される。

「はい……、あの……」

 ああ、だめだったか。失敗か。


 顔を上げられない。なんて言えばいいのだろう。

 この職場が好きだった。

 この方にお仕えしていることが誇らしかった。

 これでここを辞めることになるんだ。

 こんなことしなければよかった。

 

 こんなこと。



 僕は殿に喜んでいただきたかっただけなのに。

 殿のお気に召さなかった。


 不覚にも涙をこぼしそうになる。





「すごく美味しいよ。いつもの珈琲こぉひぃじゃないよな?」

「この甘い味はなに?」

「何入れたの?」



 全身から力が抜けてゆくようだ。

 堪えていた涙がぽとりと落ちた。


 よかった。

 お気に召した。

 白い粉を殿の御前に差し出す。


「砂糖といいます」

「希少な調味料で外国から取り寄せたという売人から手に入れました」


「この茶色いのも美味かったよ。これも砂糖?」

 コーヒーに添えた固形物を殿が指でつままれる。


「きゃらめる、と申します。砂糖を煮詰めて作りました」

 砂糖は利用範囲が広い。料理にも菓子作りにも万能だ。

「このきゃらめるをソース状にして、”かぷちーの”にトッピングすることもできます」

「ほいっぷくりーむに混ぜると甘いけーきにもなります」


 僕は甘味司パティシエだ。お菓子を専門に作る職人だ。パティシエにとって砂糖は魅惑の調味料だ。けれどもあまりに高価なので新米の僕が職場で仕入れることはできなかった。

 この粉を手に入れてからもういくつもレシピが浮かんでいる。殿が喜んでくださったなら。作ってみたいお菓子がたくさんある。


「きっとさ、女の子たちも好きだと思うよ。パレスのみんなにも作ってあげて」

「はい。喜んで作らさせていただきます」


 これからは怪しげな売人からでなく、正規ルートで砂糖を仕入れることができるよう殿が手配してくださるという。

 僕の職場オフィスパレス大膳部の先輩で膳司シェフの膳介さんにも砂糖を渡す。膳介さんも料理のバリエーションが増えると喜んでくれた。

「仕入れの相談もするように」

 新メニュー開発の試食会でお小言もいただいた。



 後日、質に入れた祖父の形見が戻ってきた。殿が買い戻してくださった。

 思い切って砂糖を手に入れてよかった。

 形見のなつめの蓋を開ける。本来は抹茶を入れる容器だが僕は砂糖を入れることにする。


 その砂糖をひとさじ口に含む。


 蜜の味は幸せな味がした。

 

 


 

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異物混入事件 ~ 背徳の味は蜜の味 ~ 桜井今日子 @lilas-snow

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