第二章 5 幕間

 ピンポーン

 インターホンの音が家の中に響くのを感じた。

 押した。押しちゃった。

 これでもう逃げられまい。さあどうするわたし! いや、マジでどうしよう。緊張で死にそう。

 これだけの緊張とか絶対高校受験ではしないって。バレンタイン、ヤバくない?

 バレンタインデーとは、人が死んだ日である。なんてモテない男子(先輩とか先輩とか、あとは主に先輩とか)が言っていたけど、そんなのわたしには関係ない。っていうかそんなこと言わせてなるものか。

 一昨年はそもそもまだ先輩のことをそんな風に思ってなかったから、生徒会の義理チョコを渡しただけだった。

 去年は、義理チョコはまあ渡したんだけど、それとは別に本命チョコを作ったのに結局渡せなかった。理由は主にわたしがヘタレたせいだ。いや、でも先輩だって察して渡しやすい雰囲気を作れよ! って気もする。

 まあ過去を悔やんでも仕方がない。それよりも今、このときを考えるのだ、わたし!

 本命チョコは、うん、ちゃんと鞄の中に入ってる。

 インターホンももう押した。

 あとはその場でこの軽い口が『残念でした、今年はチョコはありませんよー』とか言い出さない限りは大丈夫。

 大丈夫、かなぁ……。

 めっちゃ言いそうなんだけど、わたしのヘタレ口。

「遅いな……。出かけてるとかじゃないよね?」

 そうしても意味はないとは分かりつつも、ついインターホンをじーっと覗き込んでしまう。

 そうしていると、玄関が開く音がして、そっちを見ると先輩がいた。

 あ、よかった。家にいた。

 わたしは門扉を開いて中に入る。

「先輩なんでインターホン出てくれないんですかぁ。いきなり玄関から出てきてびっくりしちゃいましたよ。まぁ、いいですけど」

 そう言いながらも、なかなか先輩と目を合わせられず、つい視線がうろちょろしてしまう。

 それでも、なんとか先輩の顔を見るが……ん? なんか元気ない?

「先輩……? どうしたんですか?」

「え……?」

「先輩なんか変ですよ。それにその紙は?」

 先輩は片手に紙をぎゅっと握りしめていた。

 先輩って物をかなり大事にするから、そんな風に乱暴に握りしめているのは珍しい。

 捨てる紙ですら、くしゃくしゃにするのではなく、丁寧に畳むような人なのだ。

 先輩はまるで、今、その紙を持っていることに気づいたかのような表情をして、ゆっくりとその手を広げようとする。

 長い時間握りしめていたのか、その手はなかなか広げられないようだった。

 先輩がそうやっている間、わたしの心臓はチョコとは別の意味でざわついていた。

 だって、明らかに先輩の様子がおかしい。

 それから少し時間をかけて、先輩が手を完全に開き、数枚の紙をわたしの前に出してくる。

 えっと……これは?

「父さんと母さんが死んだ」

 そして、先輩の口がぼそりと動いた。

「え……?」

 先輩の言葉の意味が一瞬分からず、でもすぐにその詳細がこの紙に書いてあるのだと察する。

 わたしは先輩からその紙をできるだけ丁寧に受け取り、目を左右に動かして、手紙を読む。

 それは、先輩のご両親の最期の言葉だった。

 きっと、わたしが読んでいいものじゃない。

 それでも、わたしは目を離すことができずに、言葉を噛みしめる。

 次第には涙が出てきた。


「ごめん」


「……っ、なんで、先輩が謝るんですかっ」

 一番つらいのは先輩なのに!

 なんでわたしが先に泣いて、先輩が泣けてないの!?


「ごめん、約束、守れない」


 去年、わたしが先輩に向けて言った約束のことだって、すぐに分かった。

 高校でもう一度、一緒に生徒会になって、幅を効かせること。

 そうだ。先輩が遺産放棄をするとしたら、先輩は当然、この家には住んでいられなくなる。それどころか、今まで通り、学校に通うことだって難しくなるだろう。

 きっと、先輩はどこかの親戚とかに引き取られて遠くに行ってしまう。


「ごめん」


 だから、先輩は謝っているのだ……。

 そんなの……、嫌だ……っ。

「許しません」

「……?」

 わたしの声がよく聞こえなかったのか、先輩が目を細めた。

「先輩に学校を辞めさせたりなんかしません。先輩にはわたしと一緒に生徒会をやってもらうんですから……」

「……でも」

 無理じゃない!

「先輩」

 まっすぐに先輩を見上げる。

 わたしの雰囲気に押されてか、先輩が一歩下がる。

 逃がさない!

 わたしは更に一歩、前に踏み出した。

「わたしの執事になってください。わたしの家に住んで、わたしのお世話をして、わたしを一番に想ってください。もちろん一緒に学校に通わなくちゃ駄目ですし、わたしが生徒会をやる以上、先輩にも生徒会をやってもらいます。ずっと……ずっと、一緒にいてください」

 それは告白よりもっともっと酷いものだ。

 先輩が、わたしと一緒にいるという響きはとってもいいけれど、それは見た目だけで、中身はもっと残酷だ。

 わたしは、わたしを『餅搗家ご令嬢』としてではなく、『わたし』として扱ってくれる先輩が好きなのだ。

 なのに、今わたしが先輩に突き付けているのはそれとは真逆のことで。

「先輩の返事は二つ、『はい』か『イエス』かです」

 もっといい解決方法はなかったのか。

 こんな歪んだ関係を作らなくたって、先輩を助ける方法があったんじゃないのか。

 先輩はわたしの言葉に少しだけ、本当に少しだけだけど、笑みを浮かべて――


「分かりました。お嬢様」


 と言った。

 この言葉を、きっとわたしは生涯忘れない。

 わたしはその言葉に耐えるように脇を締めた。その拍子に鞄が脇に強く挟まれる。

 あ、そういえば、鞄の中にチョコを入れていたんだった。

 甘いもの好きな先輩に向けて作った、あまーいチョコ。

 ラッピングだって頑張った。先輩が好きな夕焼けみたいな赤色のリボンで、丁寧に、わたしの想いと一緒に結んだのだ。

 でも、それも今のできっと割れてしまっただろうな。

 ゆっくりと息を吐く。脇を緩める。

 それから先輩のだらんとした手を両手で握りしめた。

 冷たくはなかった。

 たぶん、先輩の手も、わたしの手も同じぐらい冷たかったからだ。

 今、わたしたちを外から見たら、空みたいな青色と夕焼けみたいな赤色が混ざって、いたことだろう。

 その言葉関係が間違っていることは分かっている。



 それでも、わたしたちは歪で残酷な紫くむらさく主従になったのだ。

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むらさく主従とチェーホフの部屋 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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