第十話 脱出軌道

 恐竜が無重力で自由に動けるはずがない。

 そう踏んだ僕は、恐竜が床を蹴るのを待ってから、カリナの腕を掴んだ。

 こちらの靴はマグネットシューズだ。不用意に浮き上がったりはしない。

 目論見通り、恐竜は勢い余って、宙に舞い上がった。その下をくぐり抜けるようにして、僕とカリナは恐竜が出てきた方、重力区画への通路へと飛び込む。恐竜が向きを正反対に変えるのは、時間がかかるだろうと考えたからだ。

 カリナがシューズの底を床に吸着させるのを確認するあいだに、僕は銃を抜いた。セレクタースイッチを失神スタンモードに。相手はブリュー・カルテルの資産だった。殺すわけにはいかなかった。

 天井に頭をぶつけた恐竜は、怒りの咆哮と共に首をこちらに向けようとしたが、慣性はそのまま、天井で跳ね返った恐竜をホールの反対まで連れて行った。僕は落ち着いて狙いを付ける。

 的は大きい。外しようはなかった。ビームは狙いたがわず、恐竜に命中し、身体をビクッと震わせた敵は、そのまま気を失って、壁に衝突、バウンドして、宙に漂った。

「カリナさんは、隔壁の操作ができますか?」

 銃をしまった僕が聞く。アンドロイドのカリナは、一連の出来事にショックを受けたりはしていなかった。落ち着いた様子で、扉の制御パネルに近付く。

「私は本来、オンラインで扉の開閉ができます。しかし今は、管理システムが私の操作を受け付けません」

 制御パネルは彼女の入力に対し、エラーを表示したようだった。

「直接入力でもダメです。どうやら、隔壁のシステムにトラブルがある、というより……」

 少し考える様子を見せてから、カリナはこちらを振り返って、言った。

「管理システムそのものに、なんらかの介入があるようです。緊急用の手動ハンドルを使用すれば、時間はかかりますが閉鎖は可能です」

 僕は頷く。

 最初は、爆発にはじまったシステムのトラブル、事故だと思っていたが、安全システムは、事故の場合はより事態の悪化を防ぐように働くよう設計されるのが普通だ。危険な生物が入った檻の扉を勝手に開けてしまうというようなトラブルは、まず考えられない。

 誰かが故意にそうした。そういうふうに考えるべきだ。

 爆発も含めて――いや、もしかしたら、最初のドローン技術者の行方不明も含めて、一連の出来事は、誰かの、なんらかの目的があってなされた、テロ行為なのだ、おそらく。

 では、その目的は……部外者である僕の立場でそれを推し量るのは無理だろうが――

「カイトさんから通信です。先ほど報告のあった、接近中の船舶について。暗号通信から、銀河帝国軍の固有通信シグナルを検出したとのこと」

 銀河帝国軍。僕はその単語に思わず顔をしかめてしまう。

「帝国軍も、この施設のスポンサーを?」

 僕の質問に、訝しげな表情を浮かべたカリナは首を横に振る。

「いいえ――当施設のお客様は、むしろ帝国軍とは利益が相反する企業団体が多く」

「マジかよ」

 僕は思わず日本語で毒づく。

「それがどういうことだかわかる?」

 質問しておきながら、僕は返事を聞かずに床を蹴ると、天井付近に設置された窓へと取り付き、外、宇宙空間の様子を覗き見る。

 窓から、間近に接近している宇宙船が見えた。複数。帝国軍の、軍艦だ。一糸乱れぬ編隊を組む、その流麗なデザインの重巡航艦クルーザーに、僕は舌打ちする。

「アルベルタ級……あのマークはフライターク提督のファルケ部隊だ」

 僕は思わず、握った手で窓枠を叩き、反動で天井から離れる。

「帝国軍のエリート部隊だよ。一連の出来事は、たぶん全部、ヤツらの仕業だ」

「……どういうことです?」

 怪訝な顔のカリナに、僕は言った。

「おそらく、ここで研究しているなにか――もしかしたら、全部を手に入れるつもりだろう」


 ファルケ部隊のフライターク提督。僕が帝国軍と関わりたくない最大の理由で、因縁の相手だ。ヤツに、僕がここにいることが知られるのは、本当にマズイ。捕まれば、特に聞き出すことなどないくせに無駄に拷問などされた上で、確実に殺されるだろう。アレに比べたらアイリーンやビクトルが聖人君子に見えてくる、本物の悪党だ。

 そういう個人的な事情はともかくとして、フライターク提督という人物は、帝国の利益のためならどんなことであっても躊躇なく行える忠実かつ模範的な軍人だ。彼が部隊を率い、帝国とは特に何の関係もない極秘研究施設を訪れる理由など、想像に容易い。

 帝国軍はこの施設の存在を知り、接収――強奪しようとしているのだ。

 ヤツはおそらく工作員を使って、破壊工作を行っている。どこかのモジュールを破壊したり、猛獣が閉じ込めてある扉を開いたのもそうだろう。施設内部に混乱を起こして、制圧を容易くするためだ。研究成果だけがほしいのであれば、ここで飼育している生物が生きてようが死んでようが、かまったことではないのだろう。

 いずれにせよ、中にいる宇宙人人間は、彼らにとって不必要だ。おそらく、全員殺される。

 一刻も早くここから逃げ出さなければ。

 しかし、どうやって。

 ヤツは念入りにも、船外へ脱出する装備のある桟橋区画を、予め閉鎖してしまった。脱出すら許さないつもりなのだ。相変わらず、まったく情け容赦がない。

「まったく、ツイてない……」

 思わず日本語で呟いた僕だったが、なぜこのタイミングなのか、と考えたとき、思いついたことがあった。

 

 その時、僕が思い出したのは、ここまで運んできた研究者、アロイ・レッツェ氏の顔と、彼が別れ際に発した言葉だ。

――だったら早いほうがいい――

 あの時は意味がわからなかったが、彼はもしかして、こうなることを……つまりは彼は――

 僕はその想像を、頭を振って追い払う。

 例えだったとしても、今は、そのことに何の意味もない。

 とにかく今は、チキンライダー号に行くのが先決だ。どこかに緊急用の船外活動用装備、宇宙服がないか。カリナにそれを聞こうとした僕は、ふと、窓の外に、光るものを見つける。

 重力区画の、モジュールを多数備えた、回転する観覧車状の構造物だ。回転していたことで、その窓に反射した光が見えたのだ。それを見つけたことで、僕はこの絶体絶命に思えていた状況が、千載一遇の大チャンスであることに気づく。

「カリナさん、重力区画の隔壁は、開いてるって言いましたよね?」

「えっ? はい」

「接続されているモジュールの切り離しは、できるんですか?」

「はっ? ……はい。緊急時用に、手動で分離するための装置があります」

「カイトに、まだドローンは使えるのか聞いてください」

「はっ、はい……大丈夫です、使えるそうです」

「よし、カイトには、ドローンを重力区画に回すように言ってください。帝国軍に見つからないように」

「はい……あの、一体、なにをなさるおつもりなんですか?」

 僕はその質問には答えず、カリナを見た。美しい造形の顔に、心配そうな表情を浮かべている。

 彼女は良識を備えているアンドロイドだし、この施設に従属するマシンだ。そんな相手に、僕が考えている非倫理的行為を話したら、どうなるか――考えるまでもない。正直に話したりするべきではない。

 ただ彼女は現在のところ、僕にとって必要な存在であった。カイトとの通信を仲介してくれるだけではない、このあとの道案内もしてもらわなければならなかった。

「……帝国軍は、この施設、もしくは研究成果を盗むつもりです。おそらく、中にいる宇宙人人間は、全員殺されます。その前に脱出しなければなりません」

 そう言って僕は、勿体つけて窓の外を指差す。

「気密されたモジュールに入ったら分離させて、それごとカイトに――ドローンに回収してもらいます。モジュールを僕の船に接続して、そのまま脱出するって寸法ですよ」

 作戦を理解したカリナが目を見開く。

「し、しかし、大きなモジュールが動いているのは、見つかりやすいのでは?」

「確かに。しかしヤツらは、桟橋区画を閉鎖したことで、施設から脱出する方法はないと思っているはず。きっと、付け入る隙があるはずです」

 カリナは少し考えてから、言いにくそうに口を開いた。

「……他のスタッフは?」

 そのつもりはなかったが、僕はため息をついてしまった。

「カリナさん……正直言わせてもらって、現状、他のに関して、僕にできることはありませんし、するつもりもありません。帝国軍が相手なんだ、自分が逃げ延びるのが精一杯ですよ。まあ万一、モジュールへ移動する途中で出くわすようなことがあれば、連れて行くことは可能ですが……このプランだって確実性があるわけではないんです。下手をすれば帝国艦の攻撃を受けて終わりだ。そういう作戦に、気軽に誘うわけにもいきません」

 言い訳がましく、僕は言った。カリナに見捨てられてしまえば、困るのは僕の方だからだ。かといって、器用に彼女を騙すことも、できそうになかったから、正直に言うしかなかったのだ。

「カリナさん、あなたの立場では、複雑な気持ちなのはわかります。しかし冷静に考えてください。重力区画の、危険生物の檻は開かれている。ここの研究員は、武器を携帯していますか?」

「……いいえ」

 みなまで言わずとも、重力区画にいた研究員たちの命は絶望的だと、わかっただろう。

「それに、生存者に呼びかける手段もありません。下手に広めれば、敵、帝国にも、目論見がバレる。僕は自分――そしてあなたと共に脱出を試みる、それしかできません。協力、してもらえますか?」

 僕が伸ばした手を、カリナはしばし、戸惑いの目で見ていたが、やがて頷くと、自分の手を乗せた。

「お客様の安全を守るのも、私の仕事です。もちろん、私ができることはいたします」

 それを握った僕は、カリナの顔を覗き込む。

「ありがとう。では……高速複製ハイスピードクローニングマシン・モジュールへ、案内してください」

 僕の言葉を聞いたカリナは、顔を上げて目を見開いた。

「あなた……いったい……もしかして!」

 僕はわざとらしく肩をすくめてみせる。

「どうせ帝国に取られちゃうなら、僕がいただいても構いませんよね」


 カイトからの連絡では、帝国の船はすでに、桟橋区画に接岸していて、戦闘員が乗り移っているようだ、ということだった。カイトには、貨物船のハッチを閉鎖するよう指示する。ドッキングアウトさせたいが、大きな動きは気取られる可能性があった。

 時間の猶予はあまりない。

 重力区画に入る。マグネットシューズをオフにしても、走れるようになる。身体は重くなるが、こちらのほうがやはりフットワークに勝る。

 カリナの案内で、銃を握った僕が先行する。

 途中で抜けたいくつかの研究・実験モジュールでは、運良く実験動物類と出会うことはなかった。ただ間近でこの世のものとは思えない嫌な鳴き声を聞いたり、パーティーションの向こうで何かを貪るような音を聞いたりした。可能な限り音を立てないようにして、通り抜ける。

 柱状構造の最外周部近くに設置されたマシン・モジュールへは、本来であれば直通のエレベーターですぐに行けたはずだが、肝心のエレベーターは使用できなくされていた。エレベーターシャフトに隣接する、メンテナンス用のシャフト、深い縦穴に設えられた梯子を、せっせと下る。落下したら即死、という深さがある。

 女性型ではあるがアンドロイドであるカリナは、平然と付いてきた。非常照明しかない縦穴で、深さが実感できるわけではなかったことが、僕には幸いだった。

 下が見えていたら、とてもこのような勢いで下ることはできなかっただろう。

「閉鎖されたままの隔壁を迂回するので、次のハッチで一度、外に出てください」

 放し飼い状態の危険生物と鉢合わせたくないが、こればかりは運だ。ハッチをそっと開けて外を覗き込む。誰もいない。静かだ。ハッチを出る。カリナも続いて出てくる。

「次は?」

「あちらです。モジュールを三つ、通り抜けます……逃げるだけなら、ここのモジュールは好都合なんですよ?」

「僕には高速複製ハイスピードクローニングマシンが必要なんですよ」

「いったいどうしてそこまで」

「僕の身体を取り戻すためです」

 歩きながら、僕の事情、本来の身体を取り戻したいことを手短に説明する。

 僕の話を聞いたカリナは、納得したように頷く。

「それで……いえ、雄鶏ルースター星人のお客様が、カルテルの幹部だなどと、おかしいなと思ったものですから」

 実際に幹部ではないわけだけど。そもそも法令遵守意識の強い雄鶏ルースター星人は、犯罪組織の仕事を請け負うことなどないだろう。

「火事場泥棒なんて思いついたことにも納得です」

 それにしてもこのコ、ガイドの割にずいぶんズケズケと物を言うようになってしまった。

 そのような話をしているあいだに、モジュールを二つ、通り抜ける。

 三つ目のモジュールは研究施設だった。騒ぎがあった様子はないのだが、人の気配もない。ゴミひとつない清潔な通路を進む。

 誰もいないと思われたところで、足音。僕はカリナをかばうように足を止め、銃を構える。

 物陰から現れたのは、人間型宇宙人ヒューマノイドの女――いや、地球人の女。正確には、そのように見える女、だ。

「へぇ、今日はかわいい女の子が一緒なんだ?」

 正体はわかっている、僕がここまで運んできた、リナスリー由来の超能力生物だ。こいつも解放されているとは思わなかったが、接続されたコンテナの隔壁も開かれてしまった、というところだろう。

 かわいらしい微笑みを浮かべた女は、この状況で余裕たっぷりにさえ見え、どこまでも場違いだ。

 僕は銃を構え直す。即座に撃つつもりだったが、女――僕の記憶から構成したらしい、フェミニンな白いワンピースに黒髪の、地球人の女の姿をした生き物は、制するように片手を上げた。

、それでわたしを撃つの?」

 僕は引き金を引いた。幻覚だとわかっている相手に付き合う時間は一秒だって惜しい。

 レーザー・ブラスター・ガンから発射された光は、寸分違わず、女に命中した。しかし女は倒れず、その表情に抗議の色を見せる。

「ちょっと……一度は好きになった相手でしょ? 少しは躊躇したら?」

 女はなにか言っていたが、僕は構わずブラスターのモード切り替え。『失神スタン』から『殺人エリミネーター』へ。これでよし。

 本来であればこいつもカルテルの資産だが、先ほどとは状況が違う。死んでしまっても僕への責任は問えないだろう。そう思えば躊躇なく撃てる。

 またもやレーザーは命中。しかし女は変わらずそこに立っていた。憮然とした表情だったが、その口元が笑みの形に変わる。

「気づいてるんでしょ? わたしを撃っても、何も解決しないって」

 どうして銃が効かないのか。僕は考える。相手の体格サイズを考えたら、この銃で十分通用するはず。事実、前の時は確かにこれで気絶させられた。

 僕はすぐに気づく。銃が効いていないのではない、レーザーが当たっていないのだ。あの女の姿が幻覚なのは既知の事実だ。おそらく、生物本体がいる実際の位置より、ずらしてその姿を僕に見せているのだ。

 そうすると、どこを狙えばいいのだ。

「キヨにはもうわかってるはず、わたしがなんなのか」

 僕は思わず反論してしまう。

「僕はキヨなんて名前じゃない。おまえはただの幻覚だ」

なんかじゃない。これはあなたへのよ」

 僕はその時ようやく、ここに来るとき、輸送したレッツェ氏との会話を思い出す。

 僕らがヤツらに見る幻覚は、ヤツらの意思などとは関係がなく、ただ僕らがそういう風に感じているに過ぎないだけ、という仮説だ。

 もしもその仮説通りだとすれば、この女にこのようなことを言わせているのは、僕自身だということになる。

 しかし女に心当たりがあったビクトルと違い、僕の方はこの女のことをまったく知らない――仮に本当にただ忘れている、記憶を喪失しているのだとしても、そのように自分がまったく思い出せない人間を、このように幻覚として見たりするだろうか? おまけにこの女はなんと言ったか? 警告、だと? 説得力の点から言っても、ここは僕の母親とかを出してくる方が相応しいように思う。

 いや、母親が出てきても、大人しく話を聞くつもりなんかないけど。

「キヨ、わたしを思い出せないなら、あなたは地球へ帰ってはいけない」

 女の唐突な言葉に、僕は眉根にしわを寄せる。

 それが、彼女の言う“警告”だと気づくのに、少し時間がかかった。

「どうして僕の幻覚がそんなことを言うんだ?」

 女は気遣わしげに首を横に振った。

「あなたがわたしに見るの姿はあなたの幻覚だけれど、あなたに話しかけるわたしは幻覚ではないから。これは……あなたを哀れんだ、わたしの好意、というところかしら」

「……なんだって?」

 僕が彼女の言葉を飲み込む前に、女は続けた。

「自分の身体を取り戻せば、あなたはきっと、のことを思い出す。でも、それでは遅いかもしれない。あなたは今のままでのことを思い出すか……それができなければ、地球へ帰ること自体を考え直した方がいい」

「なんだ? おまえ、一体何を……?」

「地球への帰還は、あなたのためにならない――いいえ、もっと悪い結果を招くかもしれない。それをどうしても、あなたに知らせておきたかった」

 僕には女の言葉の意味がわからず、混乱して、何を聞くべきかわからなくなる。

「お客様、いったいなにを……誰と話しているのですか?」

 後ろから聞こえたのは、カリナの声。

 女は僕の幻覚なのだから、カリナには見えないし、声も聞こえない――彼女はアンドロイドだ。超能力などに影響されたりはしないだろう。それに気づくと同時に、カリナを使えば、敵に狙いが付けられることに気づく。なぜ今まで気づかなかったのか。やはりこの生物、ただ幻覚を見せるだけではない、意識自体への干渉のようなことを行っている。

「あいつは宇宙人人間に幻覚を見せる宇宙生物なんだ。僕にはヤツの正確な位置がわからない。どっちに銃を向ければいいか教えてくれ」

 カリナは前方に視線を向けたが。

「……なにもいません」

「なに?」

 思わずカリナを見た僕は、女の方へ向き直る。

 しかし、そこには彼女の言う通り、誰も……なにもいなかった。

「……逃げた?」

「いいえ、最初からなにもいませんでした」

 カリナの言葉に、僕は驚く。

「最初から?」

「はい。お客様は突然立ち止まり、銃を撃ちました。二回。それから……何かと話しているような」

「独り言を?」

「……はい」

 その僕の姿は相当、間抜けに見えたことだろう。僕は銃を降ろす。

 何が起きたのか、はっきりとしたことはわからないが……あの生物の超能力の影響だ、と考えるべきだろう。アレはこの研究区画のどこかにいるはずだし、自身は安全な場所にいながら、距離を隔てた僕に、その能力で幻覚を見せたのかもしれない。

 まだ調査船で受けた超能力の影響が残っていて、それが幻覚を見せたのだ、そういうことも考えられる。もしもまだ精神干渉の影響が残っているのなら、僕は僕自身の思考や行動すべてを信用できなくなってしまうが、その心配をしても仕方ない。今は、そうではなかったと信じる他ない――僕は脳内に残った“それ”を追い払うように、頭を振る。

 あの女の姿と言葉は、僕の意識とか記憶が作り出した、ただの幻想、妄想に過ぎない、と考えたいのだが、それと同時に、あの生物の言い様から、僕自身が忘れている僕の記憶を覗き見たあの生物が、僕に警告してくれたのだ、とも考えてしまっている。だが、しかしそうだとすると、なぜ、なんの義理があってわざわざそんな親切をしてくれるのだ、とも思う。

 僕は、アレを故郷の星から引き離した、いわばカタキだというのに。

「行きましょう」

 考えても仕方ない。僕はカリナを促し、先へ進む。


 高速複製ハイスピードクローニングマシンは、情報通り、航宙規格スタンダードコンテナサイズのモジュールに収められていた。これ自体に生命維持装置はついていないが、中で作業するために、与圧可能な密閉構造になっている。モジュールを切り離せば、呼吸ガスの循環を含め、生命維持機能は失われてしまうが、呼吸ガスなら避難所から持ってきた簡易呼吸器があるし、貨物船に接続するまでの短時間であれば、僕一人を活かすのに十分、環境を維持できる。

 切り離しに不都合のない、末端部に接続されたモジュールに陣取る。ここであれば、一箇所の切り離しで、モジュールは“宙に浮く”。

「状況、わかりますか?」

 僕の質問に、カリナは沈痛な表情を浮かべる。

「カイトさんからの報告では、船内各所で、帝国軍兵士による攻撃が行われているようです。詳細は確認しかねますが、やはり、船内のスタッフはほとんど……」

 おそらく、管理系統から順番に制圧しているのだろう。研究区画には、武器や戦闘員もいるはずがないし、研究成果が目的なら、それが保存されているコンピューター等は、できるだけ傷つけたくないと考えるはず。桟橋区画は最初に制圧していて、船内から逃げ出すのは不可能。そうすると、他の主要で危険な部分から制圧して、目的のものは、邪魔が入らないとなってからゆっくりいただこう、というようなプランだろう。

 おかげで、研究区画の最奥とも言うべき場所にいる僕らには、猶予があるというわけだ。

「船外については、小型艇による警戒があるようですが、密度は薄く、作戦遂行には支障なし、とのことです」

「タイミングは任せる、と伝えてください」

「わかりました」

「さて……ではモジュールの切り離し。方法を教えていただけます?」

 頷いたカリナは、僕をモジュールから外、隣のモジュールと繋げる、ここへ来るためについさっきくぐりぬけてきた与圧結合アダプタへと案内する。彼女が壁の一部に触れると、隠されていたメンテナンスハッチが開き、誤操作防止用透明パネルで保護されたハンドルレバーが現れた。

「手動切り離し装置です。レバーを引けば、モジュールは即座に切り離されます」

「即座に?」

 カリナは頷く。

 僕はモジュールの方を振り返った。

 これを引いてから、すでに切り離されているモジュールへと戻り、ハッチを閉める――真空暴露は避けられないし、それが短時間で済んだとしても、モジュール内の与圧は失われるだろう。

 それでは、宇宙空間に放り出されるのと、ほとんど変わらない。

 モジュール内の環境を守るためには、切り離しは、モジュールのハッチを閉めてからでなければならない。

 そうするためには、誰かがこの与圧結合アダプタに残り、切り離し操作をする必要がある。

 僕はカリナの顔を見た。

「最初から、そのつもりで?」

 彼女はここに残り、モジュールの切り離し操作を行うつもりだ。僕だけを脱出させるつもりなのだ。

 カリナは微笑み、頷く。

「私はこの施設のガイドです。ここを離れるわけにはいきません」

「あなたの仕事は、事実上終わりだ。僕はあなたを置いていくつもりは――」

 彼女は僕の言葉を遮るように、首を横に振る。

「お客様が責任を感じる必要はありません。私は私の意思で、この役目を引き受けるのです」

 僕は、カリナをここに置いて行きたくはないと、強く感じていた。

 だが同時に、彼女にはそうしてもらうほかないとも、わかっていた。そうでなければ、脱出できない。脱出できなければ、僕は良くて死ぬし、悪いともっとひどい目に合いかねない。選択肢などなかった。

「気にやまないでください。私はロボット、機械なのです。帝国兵のブラスターは効きませんから、すぐに破壊されるというようなことはないでしょう。人間より生存率が高いです、きっと」

 カリナの言葉は対人レーザーは効かないという意味だったが、結局は破棄されるか、よくても再プログラミングだろう。そしておそらく、彼女はそれもわかっているのだ。

 わかっているが、他に選択肢はない。切り離しを頼み、僕だけモジュールへ行き、ハッチを閉める。やるべきことは明白だった。

 しかし理性ではない、なにか忘れかけていた感情が、それで本当にいいのか、と僕に問いかけてくるのだ。そういう声に、僕は、何を今更、と思う。ここに来るまでに、たくさんのものを、ヒトを犠牲にしてきたではないか。今更そこに、アンドロイドが一つ増えたところで、なんだというのだ。

 そのはずなのに、僕は、なぜか動けなかった。

「行ってください、ユウキさん。わたし……あなたに人間のように扱ってもらえて、嬉しかったんです。だから自分の意思でこの役目を引き受けるというのは、本当なんですよ」

 僕が口を開くより前に、彼女は僕の肩を、優しくだが突き飛ばす。マグネットシューズが外れ、僕の身体は慣性に流されるまま、モジュールへと流れていく。

「カリナさん、僕は」

 僕は彼女を利用していただけだ。道案内、そして通信機として。だから、自分の何が、彼女を置いて行きたくないと感じているのか、すぐにはわからなかった。

「あなたにはいなくなってほしくないんだ」

 そう口にして、僕はようやく、この感情の理由に気づく。

 彼女は、僕が宇宙で出会った中で数少ない、打算無く僕を助けてくれた存在なのだ。

 そしてその最後の瞬間まで、ただ僕を助けようとしてくれている。

「約束します。生きます、わたし」

 彼女はおどけた仕草でガッツポーズをしてみせて、そのまま、ハッチを閉める操作をした。

 カリナの姿が見えなくなる。

 我に返った僕は、床を蹴って、閉まったハッチまで戻った。無意識に閉鎖を確認する。

「くそっ。なんだってんだ」

 僕は閉じたハッチを拳で叩く。

 気持ちを切り替えなければならない、と僕は考えていた。あらゆることを理性的に、合理的に判断するのだ。それができなければ、宇宙では簡単に死ぬ。

 難しいことではないはずだった。雄鶏ルースター星人の身体になってから、ずっと自然にできていたことだ。地球にいた時は、そうではなかった。だからおそらく、宇宙に出たことか、もしくは別の身体に脳移植されたことで獲得した、そういう能力、というか、性質なんだと思っていた。自分がいわゆる人間性のようなものを失っている、希薄になっているという自覚は、確かにあったのだ。

 それがいま、揺らいでいるような気がする。カリナを置いていかなければならないという事実が、苦しいと感じる。それはたぶん、彼女が“いいヒト”だったからだ。

 彼女だけのせいではないかもしれない、と僕は思いつく。僕の前に現れた幻覚の女、あの生物も、“好意”と口にした。船内で聞いたような仮説がまったくの間違いで、あの生物が他の文明宇宙人と変わらない精神性を持っていて、僕の記憶に見つけた何かについて、自分の危機を棚に上げて警告してくれたのだとしたら――僕が、そういう、人間とかけ離れた存在の利他的な行動を見て、人間性らしきものを蘇らせてしまうとは、なんとも皮肉ではないか。

 いや、そういう話ではないのかもしれない――

 僕は顔を上げて、窓から外を見る。衝撃音と、振動があった。モジュールが切り離されたのだ。あとはもう、カイトに任せるほかない。相棒との通信手段はないのだ。彼の操縦するドローンの姿は見えないが、モジュールに取り付いているはずだ。窓の外の景色が、切り離しのものとは違うベクトルを得て、ゆっくりと回転していく。

 あの生物のことを思い出して、僕はもう一つの可能性を思いつく。アレの超能力だ。超能力によって、僕の脳が刺激され、失われた脳細胞が再生したとか、移植の影響を受けた何かが、活性化したとか。

 どっちだろうと、いま考えたってわかることではない。

 僕は外の景色に、カリナを置いてきた重力区画の観覧車構造を探そうとしていることに気づき、窓から顔をそらした。

 この状況、心配すべきは帝国軍に見つかることだが、あいにく、僕にできることは何もない。カイトが上手くやって、チキンライダー号に無事にドッキングできることを祈るだけだ。

 いつの間にか姿勢が安定していて、モジュールは“上部”を先頭にして移動していた。僕は進行方向の小窓に取り付く。上方に、チキンライダー号が見えた。桟橋区画ではない。背景に他の船影は見えない。研究船を離れている。帝国軍には気づかれているはずだ。状況は切羽詰まったということだ。

 ゾッとするような勢いで接近し、ぶつかると思われた瞬間、唐突な逆向きのG、そして衝撃、続く短い振動。ずいぶん乱暴だったが、モジュールが接続部にドッキングしたのだ。僕は上部のハッチ、チキンライダー号の中央を貫くシャフトの連絡通路へ繋がったはずのハッチに取り付く。気密はオーケー。ハッチ、オープン。

 船内の振動は、メインエンジンの燃焼を示すものだとわかる。噴射は急激に増していた。

「カイト、聞こえるか」

『現在、帝国軍艦艇の追跡を受けてます。離脱噴射中』

 僕は狭い連絡通路を急ぎコックピットへ。

「状況!」

 叫びつつ操縦席へ滑り込む。上部スクリーンにはすでに予定航路と敵艦艇のプロップが表示されていた。

「見つかったのか?」

『さすがにモジュールの移動は目立ちますんでね』

 スクリーンを見れば、カイトが頑張ってくれたことはわかる。コンテナを抱えたドローンと、チキンライダー号を別々に操作して、研究船から離れつつランデブーしたのだ。ドッキングが多少乱暴だったのは、帝国の船が追跡を開始していたからだ。

 それに補足されないよう、研究船を盾にするように加速した結果、チキンライダー号は、研究船から更にブラックホール寄りの宙域を加速中だった。追尾してくる巡航艦は、二隻。一隻はまっすぐ追ってくるが、曲者なのは頭を抑えようと動いているもう一隻の方で……僕は舌打ちしながらタッチパネルを弾き、離脱航路を計算する。

 サブスクリーンにはすでに、豊富な帝国軍データベースから、カイトが一致する敵船の情報を選び出して表示してくれていた。

 見なくてもわかる。アルベルタ級だ。チキンライダー号が備えている軍用の超高性能エンジンと同じものを、四機も搭載している化物だ。ここから暗黒宙域を離脱する航路を取ろうとすると、どうやってもその二隻目の方に頭を抑えられてしまう。完全にそれをわかっていて、そのつもりでいる動きだ。相当キレるヤツが指揮している。

 そして、まっすぐ追いかけてくるもう一隻のほう。このまま逃げればこいつに追いつかれる――前に、攻撃射程距離に入ってしまう。向こうがこちらを拿捕するつもりでなければ、砲撃されて終わりだ。アルベルタ級の主砲ビームは、チキンライダー号の強化された後方偏光シールドを二発で吹き飛ばすパワーがあるのだ。

 今回ばかりは、カイトが出ていって“対応”するといういつものプランが使えないことは、僕も相棒もわかっていた。

 アルベルタ級は、帝国軍の最新鋭巡航艦だ。備えている装備も当然最新型。カイトと同スペックの無人戦闘機を、数十機搭載している。カイトは独自の学習を重ねたユニークなAIではあるが、それでも、1対数十というドッグファイトを、無事で済ませるというようなことは、できない。

 カイトを失うことはすなわち、貨物船の航法コンピューターを失うということだ。このような極限宙域で、それは絶対に許容できないことだった。

『念のために確認しますが、投降は選択肢にはありませんね?』

「ない! ――フライタークは確実に僕を殺す」

 無益な問いだと、カイトにもわかっていたはずだ。だけどそれを確かめたのはおそらく、この状況を脱する他のプランの、不確実性のせいだ。

 スクリーンに、取れるべき航路が表示される。

 こちらはすでに加速中で、極端な進路変更はできない。ブラックホールの重力圏から離脱できるルートは一定の範囲に限られている。頭上――感覚的な意味で、ブラックホールに対して外側の軌道――を抑えているアルベルタ級は、こちらが航路のどこを通っても、十分に頭を抑えられる位置だ。おまけに追尾してくる船もいて、こちらは間もなく射程距離に到達する。

 連中の攻撃を交わしながら、脱出軌道を取る――それが唯一のプランだ。敵は当然、すでにこちらにそれ以外の選択肢がないことに気づいているだろう。言うまでもないがただの貨物船であるチキンライダー号に、帝国軍エリート部隊の本気攻撃を避けきる性能も、対抗する武装もない。

『確実に脱出できるプランがあります』

 僕の考えとは真逆のことを、カイトは言った。スクリーンの表示が変わり、航路予定を示すラインが先ほどとはこれまた逆の、ブラックホール方面へと伸びる。

『ブラックホールを利用した質量・エネルギー変換で加速を得るんです。この方法なら、敵が同じプランを使っても、追いつかれる前に超空間跳躍ハイパージャンプ可能圏まで到達します』

「なんだそれは。どうやるんだ」

『細かい説明は省きますケド……最大加速で事象の地平面スレスレを飛ぶように接近して、静止限界とそのあいだに荷物を投下しマス。そうすると、捨てた分の質量分だけ、速度エネルギーを得られるんですヨ』

「よくわからんが……重力アシストスイングバイみたいなもんか?」

 重力アシスト――スイングバイは、天体の運動と重力を利用して、宇宙機の運動ベクトルを変更する技術だ。天体の近傍を通過することで、星と宇宙船の運動量と運動エネルギーをやりとりする――理屈ではそう説明するらしいのだが、幾度と無く利用している僕も、実はイマイチよくわかっていない。簡単に言えば、他の天体を利用して向きを変えたり、加速・減速したりできるのだ。

『やることと結果は似ています。回転するブラックホールの角運動量を取り出すんです。ただし、スイングバイより遥かに大きい加速を得られます』

 スクリーン上、伸びた航路予定線は、彼の説明通りにブラックホールすれすれを通り、“く”の字に曲がって、離脱するラインを描いた。途中、ガス星雲をくぐり抜ける形になり、追尾してくる巡航艦の射程に入るまでの時間も稼げる。

 確かにこれなら逃げ切れそうだ。

『ただし問題が二つ』

「早く言え」

『質量をエネルギーに変換するので、相応の荷物を捨てる必要があります。荷物を選り分けてる暇はないんで、どっちかのコンテナを捨てることになります」

 どちらどっちかのコンテナ。

 チキンライダー号は背中側上部に常時、コンテナを背負っている。中身は嵩張るため置き場のない荷物のほか、なぜか持ってる武器弾薬、そしてカイトの本体無人戦闘機だ。

 そして今回に限れば、抱えている荷物はもう一つ。カイトはコンテナ、と表現したが、下側に抱えている航宙規格スタンダードコンテナと同サイズの、高速複製ハイスピードクローニングマシン・モジュールだ。

 最初に考えたのはもちろん、下部のモジュールを捨てることだ。これは盗み出した荷物ではあるが、僕が地球に帰るための、地球人としての身体を取り戻すためのものだ。これを捨てることはすなわち、またもや近づきかけた地球帰還が遠ざかることになる。できれば捨てたくなかった。

 ではもう一つのほう、アッパーコンテナを捨てるか? それを捨てることは、そこに収まっているカイトを捨てることを意味する。カイトは荷物を事象の地平面に捨てると言った。運動量を失ったコンテナは、当然、最終的にはブラックホールへと向けて落下することになる。カイトの推力を持ってしても、そこから抜け出すことは当然不可能だ。

『ユウキさん、もしよかったら――』

 答えを出す前にスピーカーからそういう声がして、僕の腹は決まる。

「下部の積荷を投棄する! 計算しろ!」

『……いいんですか? なんだったら上部コンテナを』

「お前を失って、ブラックホールから離脱できる気がしない」

 現実問題、カイトはこの船自体のコントロールを引き受けている。この離脱プランは先ほどまで考えていた脱出航路より単純だが、不測の事態が起きれば、離脱プランの仕組み理屈を理解していない僕では、対応できる自信がなかった。

 それに――僕は脳裏に浮かんだ、女性型アンドロイドの姿を、頭を振って追い払う。

 いいや違う、感傷ではない。これは合理的、理性的な判断だ。カイトは、この船に、航行に、地球に帰るのに、必要だ。

 高速複製ハイスピードクローニングマシンを失うのは正直痛いが……そっちを守ろうとして、命を失ったら元も子もない。

 そもそも、手に入るはずのなかったモノなのだ。当初の予定通り、必要な金を稼ぐだけなんだ、と、僕は自分に言いきかせる。

「命が先だ。失った時間は、きっと取り戻せる」

『……了解』

「問題がもう一つあると言ったな? そっちはなんだ?」

『いえ……些細だし、今更どうにもならないんデ』

「はっ!? おいちょっと……本当に大丈夫なんだろうな!?」

『大丈夫デスって。ボクに任せてくださいヨ』

「……やっぱ航法コンピューター買っときゃよかった」

 僕のつぶやきはカイトに無視される。

 チキンライダー号は、ブラックホールへ向かって更に加速していく。有様だけみれば、とても正気の沙汰とは思えない。しかし進入ルートは厳密に計算されていて、亜光速まで加速した貨物船は、事象の地平面に限界まで接近するが、その重力に囚われるようなことはない。加速の振動で操縦室内のものが激しく揺さぶられる。この件が終わったらさすがにシートレールは新調しよう、と心に刻む。

『下部モジュール、切り離します』

 短い振動。僕はそれを見送るようなことはしなかった。再び、掴みかけた帰りの切符が手からこぼれ落ちてしまった。僕はもう、地球へ帰ることなどできないのかもしれない、という想像が頭をよぎる。

 捨てた質量分のエネルギーを、運動エネルギーとして獲得したチキンライダー号は、ブラックホールから離脱するのに十分な速度を得る。計算上はその分、ブラックホールは回転エネルギーを失ったということになるわけだが……ごくわずかだし、まあ、僕が気にしてやるようなことではない。

『脱出軌道に乗りました』

 慣性飛行に移り、振動が収まる。限界まで光の速度に近づいていて、光学カメラが役に立たない。

「追撃は?」

『直接観測はできませんが、気にするような位置にはいません。間もなく、超空間跳躍ジャンプ可能圏』

 チキンライダー号は超空間ハイパースペースに飛び込み、僕はシートに身体を預ける。やけに疲れていた。そういえば今日は働きっぱなしだった。抗えず、まぶたを閉じる。



終わり



 ボルトン星系圏でワープアウトしたのは、この星系に用があったからではない。単に離脱を優先して行き先を決めたからだ。ブラックホールからの脱出軌道の先にあった恒星系のうち、銀河帝国支配圏から最も遠いものを選んだ結果だ。

 片田舎という表現がピッタリな若い文明恒星系で――とは言っても地球よりは遥かに進んでいて、母星の他、隣の二つの惑星を環境改造して住んでいる。僕はそこまでは行かず、第六惑星軌道にあるハブ・ステーションへと立ち寄る。ここで補給をして、サリスに戻るつもりだ。

『メールが来てます』

 メールボックスにアクセスできるのも、超空間通信経路がある文明天体近傍だけだ。メールのチェックもステーションに立ち寄ったときのルーチンワークで、大量に来る迷惑スパムメールの中から、必要と思われるものを見つけ僕に知らせるのもまた、カイトに頼んである仕事だ。彼にとっては何の負担にもならない、些細な処理だ。

雄鶏ルースター星から。重要タグ付き』

 驚いた僕は、思わず身を乗り出してしまう。タブレット端末に手を伸ばす。

 雄鶏ルースター星は僕の第二の故郷と言うべき星だが、旅立って以来、一度も帰ったことはなかったし、そこからメールが来ることだって、はじめてのことだった。

 メールの内容は短かった。


 あなたにお返しすべき最後の品目の準備ができました。早急にご連絡ください。


 僕は首を傾げ、少し考えてから、口を開く。

雄鶏ルースター星に寄るぞ」

『えっ? 寄るって位置じゃ、ないですケド』

「どうせ超空間跳躍ハイパージャンプするんだ。大した違いじゃないだろ」

『そりゃあそうですが……何が書いてあったんです?』

「よくわからん。行って確かめた方が早い」

 まさか、ありえない。そういう気持ちと、もしかしたら、という思いつき。

 補給が終わるのを、僕はジリジリして、待つ。



 続く

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星間貨物船チキンライダー号 ゆーき @yuki_nikov

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