第九話 暗黒宙域

「アロイ・レッツェです。よろしくお願いします。いやぁ、雄鶏ルースター星人の船長さんで安心しました。貨物船って聞いていたんで、心配していたんです」

 サリススリーの月ステーションで、僕はエラル星人の若者を船に迎え入れていた。握手を求めてきた彼を、憐れみのこもった目で見そうになるのを我慢するのは難しかった。

「僕は雄鶏ルースター星人ではありません、地球人です」

 決まり文句への反応は、不審げな表情がお約束だが、彼の場合は違った。驚きと喜びの表情を浮かべたのだ。

「地球!? 知ってますよ! 第四オリオン渦状腕にある未開惑星ですよね!」

 レッツェ氏は僕が握り返した手を、ぶんぶんと上下に強く振る。今度こそ、僕は顔をしかめた。

「知っている? どうして?」

 地球というのはご存知の通り、銀河文明基準では原始人同然の生物が支配的に振る舞う未開の惑星だ。地球人類は外宇宙に進出するどころか、この宇宙に自分たち以外の知的生命がいることすら公には認識していない、低レベルの文明種族だ。銀河文明にとって、地球人類などいないも同然。その惑星について知らないのが当たり前で、知っている者に会うことなど、滅多にない。

 彼は満面の笑みで答えた。

「イトコがね! 住んでいるんです! 地球に移住したエラル星人は多いんですよ。面白いスポーツがあるとかで……えっと、確かヤキューとか言ったかな?」

 僕は更に顔をしかめる。地球に宇宙人のコミュニティがすでに存在することなど知りたくなかったし、野球も嫌いだった。

 まあ、それはともかく。


 無事にサリス星系に戻った僕(とビクトル)だったが、連絡を受けたアイリーンは、チキンライダー号のサリススリー静止軌道ステーションへの接近を嫌がった。

 持ち帰った荷物、リナスリー由来と思われる謎の新生物の能力が、未知数だったからだ。

 その能力は、最初に考えたよりずっと強力な可能性があった。未だに僕にはその生物の姿が、監視カメラ越しであるにも関わらず、“あの女の姿”に見えていたのだ。その超能力の影響範囲が、考えた以上に広い可能性もあった。入港して、ステーション全体がその影響に晒される可能性も、否定できなかった。

 アイリーンは昔の男の姿を見たくないんだろうと思いついたが、それを言ったらマジで殺されるかもとも思ったので、口にはしなかった。

 そういうわけで僕たちは、サリススリーの静止軌道から遠く離れた第1衛星大きい方の月の、小さなステーションへ入っていた。

 船を降りるビクトルは、何故か僕の手を強く握ってから去った。彼が何を勘違いしてるのかは知らないが、それは訂正しなくてもいいタイプのものだろうと思う。僕としてはただ仕事をこなしただけだが、彼がそれに恩義を感じ、僕への恨みを忘れてくれたのなら、棚からぼたもち、ひょうたんから駒というヤツだ。


 そういうわけで荷物の一つ、ビクトルは無事に降ろしたわけだが、もうひとつのほう、リナスリー由来の新生物が入った、肝心のコンテナ荷物については、まだチキンライダー号の右舷側に接続されたままだった。

 それの更なる輸送が、次の仕事だった。例の生物を安全に扱えるところまで、運べというのだ。

「そんなところが本当にあるのか?」

 音声通話ではなく映像通話を要求してきたアイリーンの秘書に、僕は皮肉たっぷりに訊ねる。

 アイリーンの秘書――ビジネスウーマン風にバッチリ決めたレティシアは、不機嫌さを隠そうともせずに、口調だけは丁寧に答えた。

の研究を専門に扱う機関です。あなたのご心配には及びません』

 つまりは生物兵器やらの研究をしているということだろう。もしかしたら最初から、僕にそこまで運ばせるつもりだったのかも。

「だったらいいけど」

 なにせ、見た人間が漏れなくを見せられてしまうようなシロモノなのだ。僕だってそれが許されるなら、コンテナごとさっさと放り出してしまいたい。なんならそこら辺の恒星にでも放り込んでしまって――と考え、それはそれでちょっとかわいそうか、と一瞬思い浮かびもしたが、しかしアレが僕にした仕打ちを思い出すと、全然かわいそうでもないな、と思い直した。手慰みに手近な恒星サリスへの進入ルートを計算してみたりしたぐらいだ。

――あの化物、知ったようなことを言いやがって。まったく。

『どうしました? 体調でも悪いの?』

 僕の浮かない顔を見つけてしまったらしい、画面越しにレティシアが気遣わしげな表情を見せる。

「ちょっとね、歯が痛むんだ」

『ちゃんと歯医者に……その身体、歯が生えてました?』

 もちろん、生えてない。

「いいから運送先の情報をくれよ。さっさとこの荷物を降ろしたいんだ」

 ごまかされたのだとわかったレティシアはまた不機嫌な顔を見せたが。

『当該座標は極秘で、通信でお伝えすることは出来ません』

「えっ? じゃあどうするのよ」

 一瞬、レティシアがここまでくるのではないか、もしかしたら同乗して案内するとか言い出すのではないか、と恐れたのだが。

『その荷物と一緒に運んでもらいたい人物がいます。その人物に、連絡してもらいます』

「僕の船は旅客船じゃないぞ」

 些細な抵抗を、レティシアは鼻で笑い飛ばす。

『何を今更』

「――極秘の研究機関に、人間を運ぶのか?」

『会社が採用した新人で、その組織に出向する科学者です』

 レティシアが発した「会社」という単語に、僕は顔をしかめてしまう。

 確かにそういう形なのではあるが、彼女と、そしてその新人の科学者とやらを雇用している会社は、星間犯罪組織ブリュー・カルテルのフロント企業だ。まあレティシアはわかっててやってるわけだが、その科学者とやらは、そのあたり本当に知っていて就職したのだろうか。

「仕事、どう?」

 僕は何気なく聞いたつもりだったのだが、レティシアは意味有りげに微笑んだ。

『心配してくれるんですね、わたしを売り飛ばした張本人が』

「あなたのおかげで賞金は取り下げてもらえた。感謝してます」

『うれしいわ。お礼まで言ってもらえるなんて』

「悪い待遇ではないと思うけど」

『そうね、部屋は綺麗だし、食事は社内のカフェで食べ放題。お給料はまだだけど、準備金ってことでいくらかいただきました。わたしはまだ、こうやって手続きとか手配とかしてるだけだから、そういう仕事の結果、宇宙のどこかで誰かが死んでいるかもしれないっていうのは、まだ信じられないけど』

 僕もビクトルも危ういところだったし、調査船ではたぶん複数人が死んだかそれと同等の目にあったはずなのだが。おそらく彼女は知らされていないか、気づかないふりをしているだけだろう。

 そんなことより。

「食べ放題だって? アイリーンはその会社で僕を雇ってくれないかな?」

『あー、うん、無理だと思いますよ』


 最後のは蛇足だったが、まあそのようなやり取りがあり、僕はアロイ・レッツェ氏を迎え入れたわけである。彼が自分の仕事が誰の、何のために成されるのか本当に理解しているのか。実は詳細を知らされぬまま、もしくはもっと悪く、騙されてここに来ているのではないか、そのように思って、哀れみの視線を向けてしまったわけだ。

 僕の内心など知る由もないレッツェ氏は、少々厚みのあるカードケースのようなものを二つ、差し出してきた。

「預かって来たものです」

 受け取った僕は、それを眺める。

 小型だが、時限ボックスだ。つまりは決められた時間になるまで、開かない箱。中に行き先の情報があるのだろう。それにしても、なぜ二つあるのだろうか。

 いずれにせよ、それが開かなければ移動は出来ない。

「いつ開くって言ってました?」

「えっ? いえ、聞いてません」

 仕方ないと僕は首を傾げ、彼を居住ブロックへと案内する。

「科学者らしいですね?」

 世間話のつもりで話しかける。

「ええ、まあ……実はこないだまで学生で。カルクに留学して研究をしていたんですが、長くやりすぎて就職できなくて。国に帰ろうにも、エラルでは生物学の学位なんてなんの役にも立たないんですよね。……それでまあ、なんとかこちらで拾ってもらったというわけです」

「……どういう会社だか、ご存知で?」

「なんでも、広く銀河のあちこちからよくわかっていない生物を集めて、研究しているとか」

 嘘は言っていない、ということになるのだろうか。

 あなたが研究した生物は、やがて生物兵器として使われるんですよ、とは、僕は言わなかった。

 キャビンに荷物を置かせ、操縦室の客用の席を案内し、さて、この調子だといつ出発できるのだろうか、と考えたところで、持っていた時限ボックスの片方がカチリ、と音を立てた。

 開いたらしい。

 中から出てきたのはフラッシュメモリーカードだった。標準規格ではないが、銀河文明ではスタンドアローンのマシン用に、よく使われるヤツ。

 読み出し機はもちろん装備してある。僕は操縦席に収まると、スロットにカードを挿入する。

 読み出されたデータが、正面のスクリーンに表示された。座標だ。カイトはすぐに星系図を表示させ、その座標が示す場所をズームアップする。ロシュ星系のそばだが、恒星系内ではない。末端衝撃波面より外、恒星圏ヘリオポーズの更に外だ。

 星間宙域――極秘の研究施設を擁する人工天体を隠すには、いい場所とも言えるが――

「ロシュ星系ねぇ……」

 スクリーンに航路が表示される。みなまで言わずともやってくれる、カイトの察しの良さだ。

『理想航路を恒星嵐が横切る予報になってますが、すぐに出れば影響を受ける前に超空間跳躍ハイパージャンプ可能圏まで到達します。このコースが一番速いですネ』

 僕は手元に残されたもう一つの、未開封の時限ボックスが少し気になったが、いつ開くかわからないこれを待つことなどやはりできない。

 仕事はさっさと済ませたかった。

「オーケー、やってくれ」

 チキンライダー号はステーションを離れる。月の小さい重力を振り切り、加速。背後のサリススリーが、どんどん小さくなる。

「ずいぶんガタつきますね。大丈夫ですか?」

「いつものことです。心配いりませんよ」

 そういう客の不安そうな反応に、自分の船がだいぶ老朽化していることを思い出す。運航に必要な部分は多くが手を入れられているが、居住区画の基礎的な部分は手付かずで、座席耐Gシートのフレームなどはその最たるものでもあった。

 そもそも貨物船なので、客の快適さは度外視だったのだ。

 宇宙船で大事なのは、乗り心地のいい座席より、信頼性の高いエンジンだと、そういうポリシーがあった。

 まあ、そっちの方に金がかかってしまって、他のところにまで回らない、というのが、本当のところなんだけれども。

 加速噴射終了、慣性飛行。予定航路を無事に走破し、他の天体、ゲートの影響を受けない超空間跳躍ハイパージャンプ可能圏へ到達する。チキンライダー号はただちに超空間ハイパースペースへ移行する。船内が平穏を取り戻す。 

「そういえば、新種らしき生物も運んでるって聞いてますけど、本当なんですか?」

 船の揺れが落ち着いて、こちらも落ち着きを取り戻したのか、レッツェ氏が言った。

「右舷側のコンテナがそれです。カイト、コンテナ内部に異常はないか?」

『カメラで見る限り変化ナシ。変化がないことを異常がないと言っていいなら、ないです』

「中が見られるんですか? 見せてもらってもいいですか?」

「いや……それは辞めたほうがいいと思いますよ」

「なぜ? ああ、守秘義務とかそういうのですか?」

 この生物について、乗客に秘密にするようには特に言われてはいない。彼が研究者なら、遅かれ早かれ、知ることでもあるだろう。

「いや、そういうのじゃなくてですね。予備知識なしにこの生物を見るのは、たぶん危険だと思うんですよ」

 つまらない超空間航行の、ちょうどいい暇つぶしになるだろう。そう思い、僕はその生物について、調査船で体験したことを話した。“女”に言われたことについては、ぼかした。レッツェ氏は、時折メモを取りながら、熱心に話を聞いてくれた。

「なるほど。そういうことなら確かに、精神防護装置等を使用せずにそれの姿を見るのは、危険かもしれませんね」

「防護装置? なんですかそれは」

「超能力を阻害し、心身を防御するための機材ですよ。簡便なものだと、頭部に装着するような安価なテレパシー妨害装置もあります。あいにく、今は持ってませんが」

 そんなものがあるとは、初耳だった。

「そういう準備も一切なしで当たることになってしまいましてね。まあ、そういう悪趣味な、タチの悪い生物なんですよ」

 僕が言うと、レッツェ氏は首を傾げた。

「お話を伺うと……まあこれは、わたしの印象に過ぎないのですが、相手はなにか、悪意があってしたわけではないのかもしれませんね」

「……というと?」

「もしかしたら彼らのその行為は、彼らなりのコミュニケーション手段だったのかも」

「コミュニケーション? 記憶の中の――誰かの姿になることが?」

 生物学者は大真面目に頷いた。

「未開惑星の生物ですから、我々とはまったく違うメンタリティーを持っていても不思議ではない、いえ、むしろ、そうであって当然です。同じものを見ても、まったく違う印象を持つというようなことは、交流のある宇宙人同士でも当然あります」

「……そうですね」

「我々から見て、記憶を覗かれてそこにあった人物の姿を見せられていると感じるその現象が、彼らなりの、何か意思を伝える手段の、その結果だった、そのように考えることも出来ます」

「つまり――ヤツらは話す代わりに、相手に幻覚を見せる?」

「彼らの呼びかけが、あなた方には幻覚と感じられる現象だった、ということです。あくまでも可能性の話ですよ。そもそも、彼らに何かを伝えたいという意思そのものが、あったかどうかもわかりませんしね。彼らには我々が考えるような知性などなく、それはただの反射行動だった。そういう可能性もあります」

「記憶にある人間の姿になったのは、なにかの意図があったわけではない……彼らには、そういうふうに見せているつもりすら、なかったかもしれないってことですか?」

「その通り」

「なんの悪意もなかった?」

「そういう可能性もある、ということです」

 僕は首を傾げて、言った。

「やっぱり、タチの悪い生き物ですね」

 レッツェ氏は苦笑を返す。

「そうですね」

 今のところ、彼の説は、そういう可能性もある、という、仮定の話に過ぎない。

 しかし、そう言えば。

「どうしました?」

「いえ、考えてみると……」

 失われていた脱出ポッドと往還船ドロップシップ。脱出ポッドで惑星へ降りようとしたビクトル。あの幻覚があの生物なりの意思表示で、彼らがあの生物の意思を受け取ったのだとすれば、その意思というのは、つまり。

「帰りたいと思っていただけなのかな、と、ちょっと思いついて」

「そういう感じが、あったんですか?」

 僕は、僕の前に現れたアレがとった姿を思い出す。

 知らない女だ。彼女は、そう、僕を怒らせただけだった。

「いえ、やっぱりわからないですね」

 あんな悪趣味な意思表示など、あってたまるか。


 何もないわけではない、とは言っても、そこに行ってみれば、やはり何もないと感じる。それが恒星系の外、恒星間宙域だ。

 最寄りの恒星、今回の場合はロシュだが、最も存在感があるそれでさえも輝きは遠く、言われなければそれとわからないほど。それ以外の星々はやはり、全周に渡って遥か遠くに見える。大気がなく遠くのものも鮮明に見えるこの宇宙では、その距離感もつかめず、ただ真っ黒い背景に、光る点が配置されているだけのような錯覚にも陥る。

『ココが指定座標ですけど』

 カイトの言葉に、僕はもう一度、周辺宙域のレーダー画像を見る。

 少なくとも、三十光分の距離に、微小天体以外にはなにもない。チキンライダー号より大きい物体は、その宙域に浮いていないと思えた。

 指示された座標と現在位置が一致していることは、三度確認していた。もっとも慣性のせいで、現在位置はそこから少し離れていたが、誤差の範囲だ。

「ここじゃないんだろうな」

 僕はもう一つの時限ボックスを見る。おそらくはそちらに、このあとの移動の指示が入っているのだ。本来の目的地を隠すためだろう、おそらく。

「ここは中継点なんだろう」

『いつ開くんです? それ』

「知らんよ」

待つのは平気ですけど』

 僕はそれには答えず、ベルトを外して船長席から離れる。

 僕の様子を見て、客、レッツェ氏もそのようにした。席を蹴って、天窓へと近付く。

「アレはなんですか?」

 僕は隣の窓から外を覗くが、そこには概ね予想した通りのものがあった。

 その方向に、まるで穴が空いたような、ポッカリと丸く、真っ暗なものが浮かんでいるように見えるのだ。その周囲の星々の並び、背後の渦状腕天の川も、その黒い穴を中心にして、歪んでいるように見える。重力レンズ効果という現象だ。

「“事象の地平面”ですよ」

 生物学者の彼には、僕の言葉はピンとこなかったようだ。僕は続ける。

「ブラックホール、といえばわかりますかね」

 以前に僕は、ロシュ星系に来たことがあった。ロシュ星系は、その恒星系内部のことよりも、星系自体がある宙域の方が、有名だった。

 すぐそばに、ブラックホールがあるのだ。

 そば、とはいっても、その影響を直接受けるほどではない。ただこのブラックホールの存在が、ロシュへの渡航を、ある程度制限していた。ブラックホールの超重力の影響で、その向こう側の宙域へは、直接超空間跳躍ハイパースペースジャンプできないのだ。そういう方向からやってくる、もしくはそちらに行くためには、一度回り込むしかない。悪いことに、ブラックホールはロシュから見て、銀河の中心方向にあって、その結果、ロシュが取引したい多くの星系との交通が、このブラックホールの影響を受けているのだ。

 そのため、ロシュへの運航コストは、どうしても高く付く。速達となると尚更だ。僕はこのあたりの航路を何度か飛んだことがあって、航路を短縮しようとしてだいぶ危ない目にあったこともあったが……まあそれはまた別の話だ。

 今回、僕たちの出発地だったサリスは、運良く、ロシュへ直接飛べる方向にあったので、これの影響を受けずに済んでいた。

「へぇ! すごいですね! 肉眼で見るのははじめてです!」

「……これを“肉眼で見た”と言っていいのか、わかりませんけどね」

 ブラックホールは、光さえも抜け出せない超重力だ。だから光を発することも、反射させることもない。それゆえ真っ黒、つまり、その姿を見ることができないのだ。

 見えているのは、ブラックホールが周囲の光を吸収してしまった結果、つまり、その向こうの星々が発したはずの光が届かなかったことによる、空白部分――漆黒部分だ。その漆黒部分、光を含めあらゆる情報が伝達できなくなった境界面を、“事象の地平面”と呼ぶのだ。

 そういえば、はじめてアレを見た時は、僕も感動したものだった。目を輝かせブラックホールを眺めるレッツェ氏を横目に、そういうことを思い出す。

 と同時に、嫌な予感がこみ上げてくる。

 なぜ僕たちは、チキンライダー号は、こんなところへ誘導されてきたのか。

 今、見ているブラックホール、その周囲には、ブラックホールとそれに引き寄せられる天体が発する重力、電磁波が作り出す、超空間跳躍ハイパースペースジャンプ不能領域、通称“暗黒宙域”が広がっている。

 他者の接近を拒絶するその宙域は――何かを隠すのに、ピッタリではないか。

 その時、もう一つの時限ボックスが開いた。中にはやはり、フラッシュメモリーカード。

「ハハハ、まさか」

 思わず口走ってしまって、レッツェ氏の訝しげな視線を浴びる。

 読み出し機に飲まれたメモリーカード、そこに書き込まれていた情報は、やはり僕らを、その暗黒宙域へと誘導するものだった。


 指定された座標、暗黒宙域間際の空間まで、超空間跳躍ハイパージャンプする。

 そのあとは通常航行だ。周囲の異常電磁波、異常重力を避けて通るための航路はすべてメモリーに入っていて、僕はカイトにそれをなぞらせるだけ。ただもちろん、実際の観測も怠らない。他人の作ったデータ言うことを完全に信用しないのは、宇宙生活での鉄則だ。

 ブラックホールはその超重力で、周囲の天体を引きつける。ブラックホールに近付くほど重力の影響は大きくなり、やがて物体はその構造を保っていられなくなるわけだが、十分に離れていれば、徐々に引き寄せられていても、宇宙人人間が観測できるような短い時間であれば、安定しているようにも見える。そういう宙域は、引き寄せられてきた天体がまた各々の引力で引き合い、混み合っていた。指定の座標は、そのような塊の一つにあった。

 いくつものガス星雲、宇宙塵が、まるで迷路のように漂う中を飛び、やがて船は、重力が比較的安定した宙域にたどり着いた。メモリーに指定された座標であるそこには、巨大な人工天体が浮いていた。

 船、と呼ぶには、少し形が歪だ。よく見れば、複数の宇宙船、もしくはモジュールが、組み合わさって構成されているのだとわかる。もともと大きな一つの人工天体だったのではなく、少しずつパーツを運んで、ここで組み立てたのだろう。その計画が杜撰だった、というよりは、無秩序に膨らんでしまった、という雰囲気を感じる。

 とにかくそのサイズは、チキンライダー号のゆうに百倍はあるだろう。このようなところにこれほど大きなものを隠してあるとは、まったく想像していなかった。

 やはりメモリーに含まれていた暗号コードを送信し、接岸許可を取る。誘導波に導かれ、桟橋へと近付く。ドッキング。

「ありがとうございました、船長さん」

 レッツェ氏が求めた握手に、僕は素直に応じた。久しぶりに平穏な道程だった。

「お元気で。いい研究ができるといいですね」

 ボクがそう言うと、レッツェ氏はなぜか複雑な顔をした。

「船長さんは、すぐにお帰りになられる?」

「そのつもりですが?」

「だったら早いほうがいい」

「えっ? なんです?」

「いえ……なんでもありません」

 彼は苦笑いを見せてから、そそくさと船を降りていく。僕はその後ろ姿を怪訝な顔で見送る羽目になった。

 さて、レッツェ氏を降ろしたあとは、こちらが真の目的、例の生物が入ったコンテナだ。これを降ろしさえすれば、僕の仕事は完了。レッツェ氏の言葉通りにというわけではないが、こんな宙域さっさとおさらばして、今回の仕事に関することは早く全部忘れてしまおう。

 ところが。

『すいません、もう一つの積荷の方、トラブルがあって、受け入れ準備にもう少し時間がかかりそうなんです』

 無駄に映像通話を使って、管制の責任者とやらがそのように言ってきた。僕は自分のニワトリ顔を盛大にしかめる。

「トラブルって? こっちとしては、コンテナを降ろさせてもらえれば、それでいいんですけど」

『それが、コンテナ運搬用ドローンの故障でして。実質的に、船から降ろしたコンテナを、こちらで受け入れる手段がないんですよ』

「はあ!?」

『いや、本当に申し訳ない。いまこちらで、ドローンの修理はもちろん、できるだけ早急に解決できるよう、対応方法を検討してますんで、もう少しお待ちいただきたいのですよ』

 僕は腕を組むと、憮然として背もたれに身体を預けた。

「見通しはどうなんです?」

 責任者はそれには答えなかった。

『なんでしたら時間潰しに、こちらの施設見学など、いかがでしょう?』

「施設見学?」

 僕は先ほどとは違う種類の怪訝顔を浮かべる。

「お宅、極秘の研究施設でしょ? 見学とかさせていいんですか?」

『確かにそうなんですが、当方、これでもいくつかのスポンサーからの支援を受けていまして、その関係者の方が見学に来るというのは、よくあることなんですよ』

 なるほど、運営費を出している人間が、自分が出した金がどのように使われているのか見に来るのだろう。つまりは査察だ。

『ですので、そういう方のために、見学ツアーが用意されてまして。時間調整に、ちょうどよろしいかと』

 生物兵器の研究施設の見学ツアーか。なんか嫌な響きだ。

「それって、危険とかないでしょうね?」

 画面越しの責任者は、一瞬、何を言っているのかわからない、と言った顔をしたが。

『あっ、あー……いや、それはもちろん! 危険なところになんて一切ご案内しませんよ。長年やってて、事故もないんです。ご安心ください』

 ふむ。まあ見るだけだし、特に問題など起きないだろう。それに、このような機会など、今後ないかもしれない。

『なんだったら、お食事もご用意しますよ。ウチは長期に渡ってここに詰めることになるんで、食事には気を使ってましてね』

「えっ、ホントに?」

『いま、案内係を向かわせます。荷物の方は、準備ができたらその案内係からご連絡いたしますので、どうぞごゆっくりお過ごしください』


 ドッキングポート。エアロックの前で待っていたのは、人間型宇宙人ヒューマノイドの女性……に、見えた。

案内ガイド型アンドロイドのカリナと申します。よろしくお願いします」

 一見、生体と見分けがつかないが、彼女の完璧過ぎる所作が、そのことを暗に伝えてくる。AI制御の超高性能人型ロボットアンドロイドだ。嫌味のない整った顔立ちに、自然な笑顔を浮かべている。

「わざわざアンドロイドを用意してるなんて、ずいぶんコストをかけてますね」

 僕の率直な感想に、ロボットは微笑んだ。

「この“研究船”のスタッフは長期間、船を降りることが許されませんし、案内係の出番は少なく、その上、秘密保持の問題もあって、宇宙人人間には不向きなのです。結果的に、わたくしのような存在の方が、コスト低減になるということです」

 なるほど。

「案内の仕事がないときは、なにをしているんです?」

「そうですね……お菓子を作ったり、ケーキを焼いたり」

「面白い冗談……えっ、マジなの?」

 彼女はニッコリと微笑み、こんな閉鎖環境で、よくも学習が進んだAIだな、と僕は感心する。

 案内されたのは、基礎研究をしている実験室だった。外から眺められるよう、通路側の窓が大きくなっている。最新の設備が揃っているという説明を受けたが、正直、興味ないので面白くない。

「意外です。てっきり、生物兵器の研究をしていると思っていたのですが」

 僕のぼやきに、カリナは頭を下げる。

「失礼いたしました。一般向けガイドコース、という指示でしたので」

「一般向け?」

「お客様は、時間調整のための貨物船パイロットだと伺っております」

 そういうことか。

 一般向け、すなわち、この施設の実体を知らない来客向けの、法に触れない範囲の施設見学コースを案内されてしまっていたのだ。

「僕はブリュー・カルテルの、アイリーン・ブリューのだ」

 ウソだけど。

 アンドロイドのカリナには、顧客に関する情報がインプットされているようだった。アイリーンの名を出すと、ほとんど間をおかず頷いた。

「そういうことでしたら、ご案内するのは“重力区画”の方がよろしいかと思われます。こちらへどうぞ」

 無重力の通路を連れ立って移動し、回転する人工重力区画へと移る。

 人工重力区画は、回転の中心から放射状に伸びた柱状の構造の各所に、宇宙船サイズのモジュールとなった研究プラントがいくつも設置される、という構造だった。遠目には観覧車のようだ。

 各モジュールは規格サイズのコンテナと同一のサイズ・形状だが、より広いサイズを必要とする場合は、それらを組み合わせて一つのモジュールとして扱える。

 分解すれば航宙コンテナと同じように扱えるということは、そのまま貨物船に乗せ別の場所に運んで修理したり、運んできて入れ替えるというようなことが、容易にできるということだ。

 そのように機能として独立している各モジュールだが、全体としての構造を保つため、更に別のモジュールとも、通路を兼ねた与圧結合アダプタで接続されている。ただ各々の環境を保つため、基本的に行き来はしないらしい。僕たちは中央区画から柱に沿ってまっすぐ伸びる連絡通路エレベーターを通って、そのうちのひとつへと移動する。

「こちらは重力環境を活かし、惑星上で生息していた生物を飼育、研究しています。こちらのモジュールは、カルテルのご依頼で研究している、メサ星系由来の動物食恐竜専用です」

 分厚い透明窓の向こうには、メサ星系のものを再現したのだろう、特異な植物が茂る小さな森が作ってあって、揺れる植物の向こうに、それらしき姿が見えた。

「こちらはご依頼の通り、動物兵器として研究が進んでいます。頭部に埋め込んだ機械により遠隔操作、その他、自立した作戦行動についても実用のめどがついております」

「自立作戦?」

「敵拠点の掃討、制圧作戦などが想定されます」

 動物兵器が組織戦を仕掛けてくる――それとまったく同じような経験をしたことがある僕は、顔をしかめる。銀河のどこに行っても、同じことを考えるヤツはいるんだな――

「しかし、生産性はどうなんです。生物だったら、一体仕上げるのに、時間、かかるんでしょ?」

「繁殖速度はこれらの計画ではもっとも懸念とされる部分ですが、こちらの恐竜については、すでに高速複製ハイスピードクローニングの検証は終了しています。量産が決まれば必要な施設を専用に――」

「ちょっと待って、なんだって? 高速複製ハイスピードクローニング?」

「はい。当該恐竜は高速複製ハイスピードクローニングに対応できるよう、遺伝子情報を……」

「待って待って。それが研究できるってことは――」

 僕は思わず辺りを見回す。見えるのは通路と、透明窓だけだったのだが。

「この施設に、高速複製ハイスピードクローニングマシンが?」

 カリナは頷いた。

「もちろん、ございます」

 彼女はそう言うと、僕を誘導するように通路を少し進むと、床に設置された窓から、外を指差した。

「ちょうど、あそこに見えるのがそうです。高速複製ハイスピードクローニングマシン・モジュール。八機、並んでいます」

「八機!?」

 窓から外を覗くと、更に下方へと伸びる柱状構造の先端方向に、同形状の八つのモジュールが規則正しく並んでいるのが見えた。

 顔を上げた僕は思わず、カリナ嬢の滑らかな手を両手で握ってしまう。

「あの、ちょっとご相談なんですけど」

「えっ……なんでしょうか」

 器用にも戸惑いの表情を浮かべたアンドロイドに、僕は言った。

「そのマシン、ちょお〜っとだけ使わせてもらえません?」


『いやぁ、無茶言わないでください』

 管制の責任者にそのような権限はないと思ったが、僕が話をできる中で一番偉いのは一応、カリナ嬢の上司でもあるこの男だった。

 僕は案内された食堂にいて、自慢の料理をいただいていた。言うだけのことはあって、とても美味しかった。マシンが作ったものではないだろう、ヒトの手で作られた温かみのようなものがあって、遠い宇宙の果てでこのような食事は本当に喜ばれるだろうなと思ったし、僕も喜んで食べていた。

 食堂には人影はあったが、まばらだった。時間的には食事時だったが、この研究船では決まった時間に食事をとる習慣はないとのことだった。

人間型宇宙人ヒューマノイド身体ボディを一体、成体付近まで成長させるだけでいいんです」

 僕はカリナの右手のひら――右マニュピレーターに内蔵されたホログラフィック表示装置に映し出されたその男に、言う。その様子は、カリナの手の上に縮小された男の胸から上が乗っているようにも見えて、奇妙だった。

『簡単におっしゃいますがね』

 男は難しい顔をして頭を横に振った。

高速複製ハイスピードクローニングマシンは台数が限られている上、使用スケジュールはパンパンに詰まってるんです。二十歳ぐらいのクローンとなると、マシンは四から五ヶ月は塞がっちゃうわけですし。稼働コストも莫大ですし、いくらカルテルの方のお申し出とはいえ、さすがに……』

 まあそう言われるだろうなとは、僕の方も思っていた。

 ただ、僕の方、僕の働く目的、旅の目的は、すべてはそれ、高速複製ハイスピードクローニングマシンなのだ。偶然訪れたこの場所に、それが複数機ある、そういう風に知らされれば、望み薄でも言ってみることはしたかった。

 そのマシンを五ヶ月使わせてもらえれば、僕は自分の、地球人としての身体を取り戻し、晴れて故郷に帰ることができる。一度は近づいたかに思えたゴールが再び遠ざかり、諦観と共に覚悟を決めた矢先の、この出会いだったのだ。

 頼んでみることもせずに去るなど、できなかった。

「なんとかならんですかね」

 僕は食い下がって聞いたが、答えは想像通りだった。

『申し訳ありませんが、ご希望には添えません』

 僕は、気遣わしげに視線を向けてくるカリナに気づいた。アンドロイドのくせに、その表情の豊かさは驚嘆に値する。

 僕はわざとらしく肩をすくめた。

「まあ……そうですよね。すいません、ちょっと言ってみただけです。――ところで、積み荷の引き上げの方、どうなってます?」

 画面の向こうの男は、先ほどよりずっと険しい表情を浮かべた。

『それが、まだ……』

「えっ? どういうことです。ドローンのトラブルってことだったでしょ? なにをそんな手こずるようなことがあるんです?」

『それが……大変お恥ずかしい話なんですが』

 男は額の汗を拭いてから答えた。

『ドローンのシステムを担当しているスタッフと、その、連絡が取れず』

「――は?」

『いえ、今朝方までは確かにいたらしいんです。ですが今はなぜか姿が見えず、所在が不明ということで』

「じゃあその、動かないドローンとやらは、手付かずなんですか?」

『おそらくそういうことに……』

 僕は盛大にため息をついて見せてから、男へと言った。

「なんだったら僕が、食事が終わったあとにでも見ましょうか。荷降ろし用ドローンなら、ちょっと扱ったことがあります」

『えっ……いや、でもしかし、それは……』

「僕の船から荷物を降ろすためのドローンなんだから、守らなきゃいけない秘密なんかないでしょ。それにこのまま僕を長期間ここに留め置いてるほうが、セキュリティ的に問題があるのでは?」

 責任者の男は、少し考えてから、頷いた。

『わ、わかりました……もちろん、担当者の方は引き続き探しますが、もしもお食事を終えるまでに見つからなければ、その時はお願いします』


 結局、その担当のスタッフとやらは見つからず、僕はカリナ嬢に案内され、荷受ドローンが置かれている格納庫を訪れていた。そこは無重力の桟橋区画にあり、船外活動用の装備や機材の格納庫だった。

 荷受ドローンはよくある量産タイプで、どこの星系でも使われているお馴染みのヤツだった。ただし、僕が言った「ちょっと扱ったことがある」というのはウソで、それはそうだ、いつもは港側が設定して送ってくるのを待ち受け、荷物を持っていくのを見張っているだけなのだから。取り付いた僕は、勘でメンテナンスハッチを探り当て、その銀河共通規格のコネクタと、自分が持っていた携帯端末を繋いだ。

「カイト、どうだ?」

 最初から頼りになるAIに任せるつもりだった。当然。

『AI遣いが荒いんだから』

「わからないのか?」

『規格品でラッキーでしたね。エラーコードを信じるなら、自立判断系の回路に問題があるみたいです』

「というと?」

『これを動かすAIの基本機能を書き込まれてるチップか、その周辺の基盤が焼けてるとか、そういうとこでしょ』

 物理的な損傷ならお手上げだ。

『修理はできないでしょうけど、動かすだけならできますよ、ボクが』

「本当に?」

『任せてくださいよ。手足が生えたロボットを動かしてみたいって、前から思ってたんデスよね』

 ドローンの運転表示灯が青く点灯。作業アームがこちらに動いてきて、突然の動きに驚かされた僕は、思わず仰け反る。目の前でその指先がカチン、カチンと打ち合わせられた。

「これ、おまえがやってるのか?」

『そうですよ』

 携帯端末を、開いたままのメンテナンスハッチ近くに粘着テープで固定して、カイトとドローンの通信接続を確保。

「直接通信ができなくなる」

 僕とカイトが通信する手段がなくなる、という意味。

『わかってます。作業終わったら、カリナさんに連絡しますんで』

 ヒラヒラと手を振るドローンに僕は顔をしかめてから、与圧区画へと戻る。

 そのまま通路を進み、船が見える位置を探す。船外へ出ていったドローンを追うように視線を動かすと、僕の船が見えた。スラスターを点滅させて飛んでいったドローンは、クルリと不要なロール回転などしながら、船体の影へと入り見えなくなる。

「ぶつけんじゃねーぞ」

 つぶやきはカイトにはもちろん届かなかったが、隣りにいたカリナ嬢がクスリと笑う。

 その時、窓の外に、動くものを見つけた。確認しようともう一度顔を向けるが、遠く、スラスターの放つ光が見えただけだった。


 カリナ嬢がカイトからの作業終了の連絡を伝えてきたのは、十五分ほど経ってから。これでようやく、例の荷物ともおさらばだし、この場所ともお別れだ。

「ありがとう、おかげで楽しかったです」

 僕がそう言って手を差し出すと、カリナ嬢は一瞬、驚いたように僕の白い羽毛で覆われた手を見たが、握手に応じてくれた。

「こちらこそ。またお会い出来る日を楽しみにしております」

「――まあもう、ここに来ることはないでしょうけど」

 お別れをして、船に向かおうと身を翻したその瞬間に、それは起こった。

 大きな破裂音。続いて、通路全体が、激しく揺さぶられる。

 とっさに手すりを掴んだ僕は、衝撃で宙に浮き上がっていたカリナ嬢の腕を掴み、引き寄せる。

「あっ……ありがとうございます」

「いまの音、なんです? 爆発のように聞こえましたけど」

「確認します」

 カリナはアンドロイドだ。船のシステムとは無線接続オンラインで繋がっている。一言も発さず、情報収集ができる。

「詳細は不明ですが、防災システムが作動しています。一部、急減圧している区画があると」

 減圧、つまり、与圧区画のどこかに穴が空いた、ということだろう。しかしこういう人工天体に、その手の事故は付き物だ。そういう場合は隔壁を封鎖して、問題が広がるのを防ぐはず。

「防災システムに一部不具合があるとのことで、隔壁制御に支障が出ているようです」

「!? この区画の減圧は?」

「今のところ、大気圧正常」

 僕は慌てて、桟橋区画への通路を見る。その先に僕の船が繋がる区画があるのだが、途中、いくつかの隔壁があるはずだ。

 彼女は隔壁制御に支障が出ている、と言った。こういう設備は異常があった場合は、自動的に閉まるようになっている。制御装置に損傷が出た場合に作動しない構造では、災害で装置が破壊された際に、まったく役に立たなくなってしまうからだ。問題があった時はとにかく閉めるようにする、それがこの手の防災設備の基本だ。

 僕はカリナの腕を掴んだまま、壁を蹴った。この区画に問題は起きていないようだが、隔壁制御に異常があるなら、この区画の隔壁も自動閉鎖してしまうかもと思ったのだ。

 想像は正しく、僕が桟橋区画への通路に入る寸前に、目の前で隔壁が降りてきた。その向こうの隔壁も閉まり始めているのを見て、僕は無理に侵入するのを諦める。通路の途中で閉じ込められてしまうのは、もっと悪かった。

 閉鎖された隔壁を、僕は羽毛に覆われた手で叩く。

「くそっ! また足止めか」

 カリナを振り返ると、彼女はなぜか、驚いたような顔をしていた。その視線は彼女の腕へと向けられていて、そういえばその腕を握ったままだったと気づく。手を離す。

「復旧には、どのぐらいかかりそうです?」

「あっ、はい、確認します」

 カリナはしばし、間を開けてから。

「申し訳ありません。どうやら少々……混乱があるようでして」

 僕は眉間にしわを寄せる。

「混乱?」

 カリナは申し訳無さそうな顔を作る。

「中央制御室担当者との連絡が取れず、事情がよくわかりません。防災システムの反応からすると、なんらかの事故のようなのですが」

「連絡が取れないって、通信システムに不備が?」

「いいえ。復旧見通しのため、制御室に詰めている宇宙人人間のスタッフに連絡を試みたのですが、応答がありません。なお防災システムは正常に応答しており、そちらによると、事故は居住区画、個室モジュールのひとつで、破壊的な損傷が起きたとのこと」

 僕たちがいるのは桟橋区画のすぐそば。事故があった場所とは離れていて、すぐさま危険が及ぶことはなさそうだが。

 スタッフと連絡が取れない――その言葉を聞くのは、この船に来てから二度目だ。一度目は、ドローンの整備を担当するスタッフで、次は中央制御室のスタッフ。

「この船って、ヒトが行方不明になるのは、しょっちゅうあるんですか?」

 カリナは唐突な質問に目を丸くした。

「えっ? いいえ」

 中央制御室担当者は、単に事故対応に忙しくて連絡に応じる余裕がないだけかもしれない。しかし、爆発も含めたこれら一連の出来事が、ただの偶然だと考えられるほどには、僕は楽観的になれなかった。状況が改善されるまで座して待つ気には、ならなかった。

 カイトに連絡しようとして、通信機が手元にないことを思い出す。唯一、連絡を中継してくれる“装置”、カリナに顔を向ける。

「カイトとの通信は?」

「できます」

「船に異常がないか聞いてください」

「――船に異常はありません。それと、えーっと……」

 なぜか言いよどんだ案内用アンドロイドに、僕は頷いて見せる。

「構わないんで、言ってください」

「そ、それでは……“あとから文句言われたくないんで先に報告しときますけど、接近する船舶を検知しました。詳細は不明”――とのことです」

 カリナはカイトのしゃべり方を真似したが、声質まで似せるようなことはしなかった。

 カイトが伝えてきたそれが、この事態と関係あるかはわからないが、それについて追跡調査するのは、カイトには負担にならないだろう。

「なにかわかったら報告しろ、こちらはできる限り早く船に戻る、と伝えてください」

「わかりました」

「さて――」

 僕は通路を見渡した。僕の船、というか桟橋区画方面への隔壁は閉まっているが、それ以外の方向については、閉まっていない隔壁もあるようだ。普通に考えるなら、閉まっている隔壁については、制御回路に異常があって自動閉鎖したもの。開いているものについてはシステム的に正常で、事故の影響範囲と関係ないため、閉める必要がないと判断されている、ということだろうが。

「隔壁の開閉の有無ってのは、わかりますか」

 僕の問いに、カリナは申し訳無さそうな表情を作る。

「隔壁のステータスについてはわかります。ですので、正常なもの、つまり開いているものについてはわかりますが、異常となっている隔壁が開いているか閉まっているかは、はっきりとわかりません」

 常識的に考えれば、異常があるものは閉鎖されているはずだが、システム的に断言できないと、カリナは言いたいのだ。しかしおそらく、十中八九閉まっているだろう。僕は頷く。

「開いている隔壁を通って、桟橋区画へ行くことは?」

「――できません。桟橋区画と接続するすべての通路で、隔壁の異常が認められます」

「……さっきの格納庫も? ドローンがあった」

 あそこは、船外活動用機材の格納庫だった。おそらく船外活動用の装備もあるだろう。雄鶏ルースター星人に対応した装備があるかはわからないが――

 カリナは首を横に振る。

「格納庫は桟橋区画になりますが、桟橋区画全体が、完全に行き来できなくなっています」

「……もしかして、閉まってる隔壁は、桟橋区画方面だけ、だったりする?」

「? ……いえ、他の区画の隔壁にも異常は出ています。特に、実験モジュールでの隔壁異常が多いようです」

「実験モジュール?」

 事故があったのは居住区画と聞いていたが……爆発で破片が飛んで、船外側から破壊されでもしたのだろうか。まあそれはともかく。

 桟橋区画方面への移動を妨げている、すなわち、この船から脱出させないようにしているのでは、と考えての質問だったが、現在の状況からでは、考えすぎかと思えた。

「この先に、非常時、避難場所になるホールがあります。緊急用の生命維持装置も備えてありますので、ひとまず、そちらにご案内します」

 カリナの提案に、僕は頷く。船に戻れないとなると、現状で安全確保するしかない。

 案内されたホールは、重力区画へと繋がる通路の途中にあった。その重力区画方面への隔壁は閉じられていた。壁にあるエマージェンシーハッチが開いていて、簡易呼吸器が取り出せるようになっていた。事故時、自動的にそうなるようになっているのだろう。

 中を覗き込んだ僕は、飲料水のボトルを見つける。ひとつ失敬する。

「中央制御室との連絡は?」

 アンドロイドは首を横に振る。

「申し訳ありません」

「カリナさんが悪いわけじゃないでしょ」

「その……施設を代表して」

「あなたはよくやってくれてる」

「! ……ありがとうございます」

「こういうこと、過去には?」

「ありません。はじめてのことです」

「たとえばなにかの――」

「お待ちください」

 彼女の声に顔を上げると、カリナは閉じられた隔壁の方を見ていた。重力区画方面への通路へ繋がるものだ。

「どうしました?」

「向こう側……隔壁が開いています」

 目の前の隔壁に異常はない。カリナが言うのは、その向こうのものだろう。

「復旧したのか?」

「違います――実験区画では先ほどから、隔壁の異常開閉があったのですが、研究生物を飼育している、飼育モジュールの隔壁も開いているようなのです。ですので、更にこちら側の防災隔壁が開いてしまったら……」

 僕が彼女の言葉の意味を認識するより早く、目の前の隔壁が開きはじめた。

 開いた隔壁の向こうに立っていたのは、通路いっぱいの高さの、二足歩行する異星生物――数時間前に、メサ星由来の動物食恐竜と説明を受けた、飼育中の研究動物だった。

 その動物はこちらに目を向けると、口腔から伸ばした長い舌で、口元をべろりと舐めた。



続く

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