第8話 帰れない佐藤さん

「うぉっしゃー! どうじゃあああ!」

 元はラガーマンらしい石塚先輩が、深皿になみなみ注いであったビールをを飲み干して気勢を上げた。皿で飲んでいるのは相撲取りの祝賀会によく出てくる大盃の代わりだ。直径四十センチはある。

「ヒューッ、行ったぁ!」

「漢だな石塚ぁ!」

 周りの先輩たちが囃し立てる中、一気飲みを成功させた石塚先輩は不敵に笑いながら満足そうにゲップを漏らす。大学の時に「俺、有名人ならだれに似てる?」と後輩に聞いたら、即答で「狛犬です」と返事が返ってきた逸話を持つ石塚さん。その彼が重低音で「ゲッフー!」と音を立てて口からアルコール臭をまき散らしていると、順当にゴジラにキャリアアップしたんだなとコワモテの成長ぶりが感慨深い。

「おーし、俺も負けてられねえな!」

 今度は対面の坂口先輩(大学時代は空手部)が直径二十二センチの両手鍋に瓶ビールを三本まとめて注ぎ始めた。あの鍋、まさか店の厨房から勝手に持ち出したんじゃないよな?

「行け行け坂口ぃ!」

「坂口君のぉ、ちょっといいトコ見てみたいぃ! おら、イッキ! イッキ! イッキ! イッキ!」

 周りの悪ノリした掛け声に合わせ、坂口先輩が鯨飲するいびきの様な音が座敷に響き始めた。


 初めて目にする居酒屋のバイトがお盆を持ったまま何事かと凍り付いているが、別に何という事も無い普通の宴会の光景だ……我が社営業部うちの基準では。

 今日は十二月二十四日、と言えば何の宴会かわかると思う。そう、御察しの通り支店営業部の忘年会である。




 正月の売れ数は毎年わりと予測の通りに推移するのに、どういうわけか年末の方は事前の計算が外れることが多い。

 だから我々営業部は毎年、年末は大晦日まで過不足の調整に走り回る事になる。この忘年会は年末の壮行会も兼ねて、毎年忙しくなる直前の週末にやることになっていた。

 営業特有のノリというか、もともとそういう人材を採っているせいか、我が支店営業部も例に漏れず体育会系の空気が濃厚だ。

「営業成績を上げるにはどうすればいいか?」

 という問題提起に元気よく、

「今より頑張ります!」

 と答える系のバカしかいない。

 ……あれ? こんな脳筋集団の中だったら、考えて動く佐藤さんが成績トップなのは当たり前な気がしてきた……。

 とにかく。

 そんな連中が集まって宴会するとなれば……自然とする流れになるのは当たり前。

 おれが今、目の当たりにしている光景はそういう訳なのであった。


「みんな凄いなあ……」

 (それほど)飲めない俺は唐揚げを頬張りながら、一気飲みで張り合う先輩たちを外周から眺めていた。幸い最近は世間の風潮のおかげで、飲酒強制は我が社でも御法度になっている。先輩たちが皿や鍋でイッキしていても笑って見ていられるのはありがたい。

 下座の俺のところまで避難してきた課長が、二合の銚子をラッパしながらしみじみ呟く。

「おまえらは楽な時代に入って来て羨ましいわ。俺らの若い頃なんか、飲めないなんて言い訳にならなかったからな。下戸はああいうイベントじゃ前座扱いだったんだぞ」

 課長が昔の思い出を武勇伝みたいに語っているけど、こっちに避難してきたってことはあなたも強く無いですよね? 課長は早めに潰される引き立て役の担当だったようだ。


 課長の昔話なんだか仕事のコツなんだかわからない話を聞かされていると、取引先へ電話を掛けに席を外していた佐藤さんが戻って来た。器用にも両手にそれぞれウィスキーのショットグラスとビールジョッキを持っている。

 佐藤さんがちらりと飲み比べを見る。

「鈴木君はチャンピオン決定戦に参加しないの?」

「あんな飲み方で、さらにトーナメント戦ができる化け物どもに挑戦する気はありません。佐藤さんこそいい所まで行けるんじゃないですか?」

「私は一気飲みはねえ……それにビールだけ飲んでるのも性に合わないんだよねえ」

 あなたの持っているソレは何なのか。

 ビールが主体でないとすると、その取り合わせは……。

「まさかウィスキーのチェイサーにビールですか……?」

「おいおい鈴木君、アルコールを重ねてチェイサーになるかい」

 俺の横に座ると佐藤さんはジョッキの縁にショットグラスを載せ、卓を平手で叩いて衝撃でウィスキーをジョッキの中に突き落とした。二個のジョッキから同時に泡が吹き上がる。

 佐藤さんはその一つを口に運ぶと美味しそうに五センチほど飲み干し、満足そうにプハーッ! とか言っているけどあんたソレ……。

 俺の視線に気づいた佐藤さんが顔を引き締めた。

「ビールとウィスキーって言ったら、一緒に呑むに決まってるじゃん」

 キリッとした顔でバカなことを言われてもな。即効性ビール度数が高いウィスキーって、最悪のチャンポンだろ。

 課長が目を細めて相好を崩す。

「バクダンかい? 懐かしいなあ」

「昔はそういう名前だったんですか? 今はボイラー・メーカーって言うんですよ」

「最近の若い子は酒の名前もお洒落だねえ」

 いえ課長、ほのぼの語っているけど横文字にごまかされないで? 実際にやってることは全然可愛くないよ?

 佐藤さんが目の前にあったビール瓶を俺に向けて笑顔で突き出してくる。

「さあさあ、鈴木君も酒が足りないぞ。せっかくの忘年会なんだから大いに飲もうよ!」

 アルハラギリギリの勧め方をされて、佐藤さんの言う事なので俺も仕方なくグラスを持つ。この人に言われると、どうにも断れないんだよなあ……。

 メイン会場ではトップが決まったらしく、泥酔したベテランたちがポンポン服を脱ぎ散らかし始めていた。チャンプを讃えるブリーフ・ダンスに移行するらしい。

「おい川島ぁ、神聖な営業部の忘年会にトランクスとは何事だ!」

「粗相だ! 粗相だ!」

「すいまっせん! うっかりしておりましたぁ!」

 川島さんがパンツ一丁でペナルティの大瓶一気をするのを、佐藤さんがゲタゲタ笑って見ている。課長も笑い過ぎで酸欠を起こして、引きつった笑顔のままヒイヒイ転げまわっていた。

 正直酔いが浅いと、笑いのツボが分かりにくいけど……普段ノルマで殺伐としている皆が楽しそうなので、細かいことはどうでもよくなった。たまにはこういうのもいいなと、佐藤さんと一緒に眺めているだけで嬉しくなる。


 年に一回で十分だけどな。


 ちなみに支店営業部唯一の女子が笑って見ているさとうさんだから問題になっていないけど、これ参加者によってはアルハラ・セクハラで懲戒事案だよな。元々バカ騒ぎが嫌いな総務の香取ちゃん辺りが参加だったら……明日には本社に全員召喚されて、人事本部長の前で土下座しているところだ。

 そんなことを考えていると、ちょっと心配そうに課長が漏らした。

「最近宴会のモラルがうるさいんだろ? アレ大丈夫かな? 店に何か言われないか?」」

 一理ありますが、貴方は裸踊りの前に一気飲みの段階で心配すべきです。

「大丈夫ですよ、課長」

 佐藤さんがヤバいヤツを飲み干して空いたジョッキに、手近にある酒を片っ端から注ぎ込んで混ぜ始めた。イッキはヤダとか言いながら、もう飲み干したのかよ……おかしなカクテルを作り出すあたり、佐藤さんも一応酔ってはいるらしい。

 その酔っ払いがのほほんと、明るい顔でのたまわった。

「これだけもう派手に騒いでいるんだから、どうせ来年からこの店出禁です」

「それなら今さらいいかあ」

「いいか、じゃないですよ。毎年入れない店が増えていくじゃないですか」

 俺の忠告が乾杯している課長と佐藤さんにが聞こえたかどうか、俺はどうにも自信が持てなかった。




 その後は二次会のカラオケボックスにパンツ一丁のまま移動しようとした先輩たちが、通りがかりのヤンキーに「変態だ!?」とか“言われなき中傷”を受けて圧迫面接をした以外はトラブルも無く。そこでも楽しく飲んで、日付が変わる前に解散となった。カラオケの店員がどう思ったかまでは何とも言えない。とりあえず今年もなぜ警察が駆けつけてこなかったのか、俺は正直不思議で仕方ない。

 まだ希望者で三次会に行こうとする一団もいて、足元がふらつく俺としては信じられない思いでいっぱいだが……さしあたって俺は課長から別行動のお墨付きをもらったので、「付き合いが悪いぞ(ハート)」とか言われる心配はなさそうだと安堵していた。


 もっとも俺の仰せつかった任務というのが、潰れてしまった佐藤さんの介護なのでどっちがマシだったかは悩むところだが……。

 佐藤さんが正気ならもちろん二人きりにされるのは嬉しい話だが、今彼女はまっすぐ歩けないくらい泥酔中だ。ザルみたいに飲む佐藤さんがつぶれるという異常事態に、俺が一人で対処できるか……はなはだ心もとない。

 俺一人で面倒を見ろと言われたのはちょっと心細いけど、飲みすぎという点ではどうせ他の先輩も大差ない。介護対象が複数になるぐらいなら佐藤さん一人のお世話の方が気が楽だと、俺は敢えて不安を訴えたりはしなかった。

「それじゃ鈴木、佐藤さんを頼んだぞ」

 手を振る課長たちに置いて行かれ、俺は一つ溜息をつくと介助している佐藤さんを支え直した。

「幸い終電がまだあるし……明日は休みだから、まだマシか」

 佐藤さんの家は知らないが、最寄り駅まで連れて行ってタクシーを拾えばいいだろう。佐藤さんを寝かせたら、俺自身は……近くに漫画喫茶でもあるといいけどな……。

 支えてよたよた歩き出すと、佐藤さんがとろんとした目つきで後ろを振り返った。

「おろ? 課長たち置いてっちゃっていいの?」

「課長たちを置いてったんじゃないです。俺たちが置いて行かれたんです」

「なんで?」

「泥酔しているからですよ」

 佐藤さんがまた絵に描いたような酔っ払いになっている。めったにないセクシーな表情を堪能したい気持ちはあるんだけど、今はそれよりからんでくるのがウザったい。

「鈴木君そんなに酔ってるの?」

「酔ってるのはあなたです」

 駅まで連れて行くのも大変そうだ……。


「そもそも終電、何時だったかな?」

 一応佐藤さんも自分で立てるみたいなので、一旦手を放してポケットからスマホを取り出す。乗換案内を呼び出しながら何気なく彼女を見ていると、ふらふら何故か閉店している花屋に近寄っていくのが見えた。そして店の脇に転がっているしまい忘れたポリバケツに、水道の蛇口をひねって水を汲み始めた。

「……あの人、何やってんだ?」

 まさかシャッターを殴ったり水を通行人にぶちまけたりはしないだろうけど……俺はスマホをチラ見しながら、佐藤さんの背中に呼びかけた。

「佐藤さん、どうしました? 水が欲しいならそこのコンビニでミネラルウォーター買ってきま、す……からぁあああああ!?」

 呼びかけは途中から悲鳴に代わる。うん、いつも通りだ。予定調和ってヤツだよ……俺は不本意だがな!


 俺の呼びかけるタイミングは、多分遅すぎた。

 佐藤さんは俺がのんびり声をかけている間に、水が溜まったバケツを持ち上げ……水垢離宜しく頭から自分でかぶったのだ。

「佐藤さん!?」

 佐藤さんは一瞬で全身濡れネズミ。ふんわり片分けにセットされていたセミロングの髪は垂直にまっすぐ垂れ下がり、実は長い前髪が顔にべったり張り付いている。上着を脱いでいたのでYシャツ型のブラウスは濡れ透けてほぼ肌色になり、ブルーグレイのブラがくっきり見えている。

「ちょっと、この寒いのに何やってんすか!?」

 俺は慌てて奇行に走った彼女に駆け寄った。こっちも動転していて、スマホをポケットにしまう事さえ忘れていた。だから当然、この人ダークカラー好きだな、あと十二月なのにスリップもタンクトップも着てないのか、とかいう観察を楽しむどころじゃなかった……ホントだよ?


 無言で突っ立っていた佐藤さんは不意に手で前髪を描き上げて顔を出すと、さっきよりは(比較的)まともな顔色で叫んだ。

「おっしゃ、酔いも醒めて頭すっきり! 目も冴えたよ! やっぱりアルコールを飛ばすには、水をかぶってシャッキリするのが一番イイね! 今なら空も飛べる気がする!」

「やかましい! いまだに全然抜けてませんよ!」


 どうしたらいいんだろう? 俺は凍える一歩手前の佐藤さんを連れて、途方に暮れた。

 真冬の屋外で着衣のまま冷水をかぶるという、コンビ結成以来の暴挙を起こしてくれた佐藤さん。正直俺は今、自分に何ができるかが全く思いつかない。

「ああもう、急いで家に送らないと……でもこの格好じゃ、電車もタクシーも無理だよな。そもそも今の時期に、濡れた服を着たままで家まで持つのか? 風邪ひくどころじゃすまないかも……」

「何をうろたえているの鈴木きゅん。非常事態こそ冷静に構えて原因を突き止めないと」

「原因はあなたです!」

「わお」

 ダメだ、あの(仕事の事だけ)しっかり者の佐藤さんが全く使い物にならない。


 だが佐藤さん自身は役に立たないけれど、“冷静に構えろ”と言うのは確かに言う通りだ。俺は深呼吸を何度かして、冷静になれと自分に言い聞かせた。

「とにかく佐藤さんを早く着替えさせないと……」

「鈴木きゅん、鈴木きゅん」

 考えろ俺。打開策は一つじゃないはずだ。

「シャワーでも浴びせて体を温めないとまずいし、この調子じゃ目を離せないからできれば酒が抜けるまでどこかに休ませたい。けど、入れる店もないし……」

「鈴木きゅん、鈴木きゅん」

「なんですか? いま考えるのに忙しいんです」

 俺がうるさそうにあしらっても、佐藤さんがクイクイと袖を引いて来る。

「条件並べたら一択しかないじゃん」

 佐藤さんが指さす方向を見ないようにしながら、俺は叫んだ。

「だからその一択以外にないかを考えているんですってば!」

「なんで?」

「なんでじゃないでしょう!」

 佐藤さんが言うように、いま最善の答えが一つしか無いのは俺にだってわかる。わかるけど、わかるからこそその一つを選ぶわけには行かない。


 佐藤さんが指さしているのは……先日焼肉帰りに見かけた、ラブホの看板だった。

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