佐藤さんを見てしまう
山崎 響
第1話 佐藤さんという人
阪本食品工業㈱と名乗った時、大抵の人は「はあ?」という顔をする。飲料メーカーですと区切ってもまだわからない。主力商品の炭酸飲料「シャキット! グレープ」とかの名前を出せば、やっと「ああ、あの無果汁ソーダの……」という感じになる。
看板商品はみんな知っているけど、それを作っている会社名までは誰も知らない。中堅企業のユーザー知名度なんて精々そんなものだ。この業界はとにかく「アメリカの超大企業」とか「酒類もやってる総合大手」が強すぎて、その他大勢となると商品名と企業名をセットで覚えてもらえない会社の方が多い。
うちの会社はこれでもノンアル専業では五位だか六位で、製品は全国のスーパー・コンビニの店頭に並んでいる……筈なんだけど、世間様は厳しい。
そんな会社の地方支店の営業部に、俺こと鈴木
仕事はだいたい覚えたと思う。
ルート営業独特の付き合い方もだいぶ手馴れてきた。
お得意先で毎回「何処さん?」て顔をされるのにも心が折れなくなってきた。
気苦労のわりに給料が安い事には慣れないが諦めはついている。
入社二年ともなれば新入社員のイメージも抜けてきて、後輩の一人も入って来る頃だ。ベテランとは言えないが、そろそろ一人前を自称してもいいだろう。
そんな境遇の俺でも未だに慣れないことが、会社の中に……まだ一つあった。
さっきからどうにも気になって仕方ないので、意を決した俺は振り返って声をかけた。
「……佐藤さん、何やってるんですか?」
営業部の机は島が三つある。俺の机は一番出入口に近いシマで、通路を挟んだ斜向かいに明るい色のセミロングの髪の女性社員が座っている。俺の指導係で多分上司? にあたる二年先輩の佐藤さんだ。
日報の提出先は課長だけど、何かあった(やらかした)時の報・連・相の相手はとりあえず彼女だ。会社で俺が一番親しい相手と言えるだろう。
難しい顔で前を見つつ、佐藤さんは俺の問いに唸りながら答えてくれた。
「八段以上になると難しいんだよね。しかもなんで毎回三段目から崩れるんだろ?」
自分のデスクの上に、試供品の100㎜缶を積み上げている。ピラミッドのごとく。
何度積み上げても思うほど上まで行けないらしい。さっきから賽の河原の石積みのように、積んでは崩れての繰り返しを俺の後ろで繰り返していた。
彼女の答えになっていない回答に、俺はそうですかと頷いた。佐藤さんが何か“やらかして”いる時は、真正面から取り合ってはいけない。
「二次元で積んでいるので前後にズレがあるんじゃないですか?」
ピラミッドのように積み上げているけど、あくまで奥行き一列の平面。ちょっと前後しているところがあれば、歪みがだんだん大きくなるかもしれない。
「そこは補正してる。一段ごとに定規当ててるんだよ」
なるほど、その点もちゃんと考えていたか。
先読みして手当てしてある。真摯な仕事ぶりだと思うけど、残念なことに方向性が
(本当にこの人、残念美人って言葉が似合うよな……)
俺は彼女に聞こえないように、こっそりとため息をついた。
誰に聞いても佐藤さんが美人なのは間違いない。涼しげな目元にシャープな印象を受ける綺麗な人で、背丈もそこそこあって全体にカッコいい感じだ。鈴を転がしたような涼やかで凛とした声が何とも言えない。
それだけ見ると「いかにもできるキャリアウーマン」といった感じの佐藤さんだけど、しゃべってみればフレンドリーで見た目ほどはキツイ人じゃない。当たりが柔らかいので女子受けもいい。むしろちょっとトボけた性格を「カワイイ!」とまで言う子までいる。
女子だけでなく男からも人気自体はある。あるけど男で実際に声をかけるヤツはあまりいないようだ。どうも顔もスタイルも完璧すぎて、野郎どもにすれば近寄りがたさが先に出るみたい。
新人教育を受けた俺みたいに、しばらくマンツーマンの経験がないと話しかけにくいのかもしれない。
(無口だけど気さくな人なのに、気が引けているとは男どもももったいないよな。決して“営業”かけにくい相手じゃないんだが)
女子の輪に混じって佐藤さん談議ができる支店唯一の男である俺は、本当にそう思う。時々突拍子もない事をする彼女の話に付き合うコツもちゃんとある。
でも、教えてやらない。
悪いがこれは俺の門外不出の営業ノウハウだ。佐藤さんと親しい男は俺だけでいい……つまり俺の気持ちは、そういう事だ。
当たり前だろう? あんなに見た目も気立ても良い美人が四六時中一緒で、俺を常に気にかけてくれるんだぞ? 困っていると体温が伝わるような距離から覗き込んで来るんだぞ? 勘違いしたりはしないが、こんな付き合いを一年以上も続けて意識しない男なんかいない。
そんな素敵で素晴らしい先輩である彼女は、今。
どう見ても仕事中に遊んでいるわけだが。
こう、佐藤さんが何か変なことに気がとられている時に、いきなり「仕事しろ!」とか言ってはいけない。後輩で指導される側、言える立場じゃないのもあるけど……佐藤さんは天才肌なので、急ブレーキ・急ハンドルをかけさせてはいけないのだ。鉄道のごとく、緩やかに進路を変えさせて元の路線に合流させなくてはいけない。
「ところで、それは何をやっているんですか?」
「おっと鈴木君、認知から行動に踏み切るまでが遅いね。私が始めてから五十三分二十秒を過ぎてやっと質問なの?」
……この人、俺の能力診断の為にやっていたとか言わないだろうな。
「すぐに終わるかと思ったものですから。集中しているところを邪魔しても悪いですし」
俺より二歳上なんだから、人生経験も二年分多い……はず。だからこんな幼稚園児みたいな事も判ってやっている……はず。なので俺のような若輩者が一々「仕事中に遊んではいけません」なんていう基礎過ぎる常識を口に出す必要はない……はず。
……わかっている。一々歯切れが悪くなるのは、自分でも一抹の不安を否定しきれないからだ。
この人、マジもんで常識が無いんじゃないかって。
佐藤さんはどうしてもうまくいかないので一旦手を止めた。
「おかしいよね。列のズレは無い。左右のブレ幅も気を付けた。缶の形状から安定性は問題ないはず。鈴木君、他に問題点を挙げてみて?」
「えっ!? ええと……デスクマットの段差とか」
「引いてない」
「入口からの風が、とか?」
「微量の流れはあるけど肌に感じるほどの吹込みは無いよ」
「ボコ缶が混じってる」
「真っ先に検品した」
なんでマジメに考察してるんだろう、俺。
いつの間にか巻き込まれている俺を相手に佐藤さんがワイワイやっていると、会議から課長が戻って来た。
「あ、佐藤さん……次期の棚割の提案なんだけどさ、進んでる?」
「今ちょうどやっているところです」
課長の問いに平然と答える佐藤さん……まさか、このジュースのピラミッドがソレじゃないだろうな!? ありえないとは思うけど、“もしかして”という疑いがどうしてもぬぐい切れない。だって、佐藤さんだから。
恐ろしい推測に俺が震えていると、課長が佐藤さんの机上に目を止めた。そりゃ、これだけ派手に広げていれば目に付くだろうな。
「それなんだ?」
やっぱり疑問に思うよな。
「なぜか一定以上は積めないんですよね。鈴木君と原因を洗い出しているんですが、まだ特定には至っていません」
そして課長の質問に、サラッと当たり前のように進捗を報告する佐藤さん。どう見てもサボっているのに、こうなんでもないみたいに言われると逆に仕事中に思えてしまうのが不思議だ。あと俺がいつの間にか巻き込まれてた。
「あ、そう?」
ツッコミ不発で丸め込まれた課長。わかる。
「何か思い当たるところはありますか?」
課長も巻き込まれた。佐藤さん、なんでサボりがみつかったこの場面でマジメな顔して意見を聞けるんだろう?
「設置面の水平が取れていないとか? 机のアジャスターは確認したか?」
「さすが課長!」
思わず叫んだら俺と佐藤さんの声がハモった。
「そ、そうか? まあな!」
課長、得意げに照れているけど根本的な問題を忘れたようだ。コレ、仕事じゃないですよ?
佐藤さんが勢いよく立ち上がった。
「課長、ありがとうございます! よし、結果持ってヤマダヤさん行くよ! 鈴木君、車出して!」
「あ、はいっ」
「おう、気をつけてな」
呆気にとられた課長に見送られ、営業車に乗って出発した俺たちが最初の信号を過ぎた辺りで。
佐藤さんがキラッキラした顔で俺に振り向いた。
「やったね鈴木君。サボりをうまくごまかせたね!」
「やっぱりサボってたんですか!?」
一瞬俺もごまかされたよ! アレに何か意味があったように思っちゃってたよ!
あても無く車を走らせながら、俺は憂鬱な気分でいっぱいだ。あの場だけならともかく、一緒に逃亡しちゃっては共犯確定だ。
「今はごまかせても、そのうちおかしいって気がつきますよ……支店に戻った時が憂鬱だ」
「大丈夫だって。ああ言っとけばディスプレイ提案か何かだって誤解するから」
佐藤さんはイイ顔をしている。うん、全然反省してない。
「そこまで考えてたんですか?」
「帰った時もおどおどしてちゃダメだよ? ごく普通に過ごしていれば、課長も深くは聞いて来ないから。プロの駅員さんはね、切符じゃなくて不審な態度でキセル乗車を発見するんだって」
ウンチクを語る佐藤さんはちょっとかわいいけど、俺は彼女の自信を信じきれなくってため息をついた。
「課長があれでごまかされますかね」
「ごまかされるよ」
一方の佐藤さんは当然って表情だ。
「いや、ごまかされたいんだよ」
「されたい?」
ちょうど赤信号で止まったので助手席を振り向いたら、佐藤さんもこちらを向いてニヤリと笑っていた。
「管理職ってのは不手際を凄く恐れるけど、問題は起こっていないって信じたがる動物だからね。おかしなことになっているって思っても、私たちが平然としていたから課長もツッコめなかったでしょ?」
「……確かに」
いくらなんでも、あれで騙されるような上司なんかいないだろう。
「だから今は課長、内心おかしいな、変だなってもやもやしてるかも知れないけど。でもこの後も私たちが何事もなかったみたいに仕事してたら、課長は問題ない、事件は起きてないって自分自身で建前を信じ込もうとするよ。無意識にね」
「……そんなことまで考えてたんですか」
思わず俺は呻いた。
これだから佐藤さんは油断ができない。
ボケているかと思えば切れるところを見せる。
まじめな顔でおかしなことをやる。
遊んでいる中に俺への指導が混じってる。
注意して見ていないと、見落としたらこっちが後悔するようなところがあるのだ。俺の指導係の佐藤さんという人は。
そして、気になったら目が離せない
「いや待てよ? その理屈、今の俺もごまかされようとしてるんじゃ」
「はーい、行き過ぎ行き過ぎ。鈴木君のくせに勘が鋭いゾ」
そんな感じで、佐藤さんは変な人だ。よくこれで社会人が勤まっているなと思う事も多々あるのだけれど……。
張り出された先月の営業成績を見ながら、俺はため息をついた。自分の成績は、まあ置いておくとして。
「佐藤さん、先月もぶっちぎりですね」
横で見ていた隣席の先輩も苦笑いだ。
「すげえよな佐藤さん。二位の岡島と、もう少しでダブルスコアだったぜ」
おかしなことばかりしているようで、営業成績はダントツにイイんだ、あの人。
「話がうまいんですよね。関係ない事を喋っていたのに、いつの間にか本題で注文書にサインさせてたり」
「細かい数字もちゃんと押さえているし、データの裏付けとかしっかりしているから売れ筋の予想も当たるしな。それであの話術だろ? ヌルっと相手の懐に入っちゃうんだよな」
俺は営業部の机を見た。佐藤さんは成績を見に来るでもなく、自席でクールに物思いにふけっていて……様々なメーカーのスナック菓子を机一杯に並べていた。
うん。巻き込まれる前に外回りに行ってこよう。
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