第9話 イケないことばかりする佐藤さん
「結局……入ってしまった……」
五分後。俺たち二人はついに、“素敵な一夜を過ごす”ホテルのエントランスに踏み込んだ。
どう考えても、他に手段がなかった。
とてもここまでびしょ濡れだと交通機関には乗せてもらえない。
駅前の交番に保護してもらうことも考えたけど、基本的に警察は介助者のついている酔っ払いは預かってくれないだろう。それに留置場に寝かせてもらっても、布団はあるが着替えは無い。
……正直に言おう。俺も事態を理解したときに、ココに連れてくるしかできることは無いとは思った。だけど自分の願望に理由をこじつけて連れ込むみたいで嫌だったし、佐藤さんとの今後の付き合いの事もある。するもしないも、朝起きてシラフに戻った時の気まずさを考えると……それにこういう所に初めて入るのは、お互いそのつもりで入りたかったんだ。シラフの時にな!
俺の葛藤する乙女心? も知らないで、酔っ払い佐藤さんは逆にノリノリだ。
「もおう、私をこんな所に連れ込んで何するつもりぃ!?」
「貴方が何したから連れ込んだんですよ! もう年末ですよ!? 凍死するつもりですか!」
「にゃはははは! わかってるって!」
「ほんっとーにわかってるんですかね?」
「お酒の勢いが無いと誘えないなんて、シャイなんだからぁ」
「あんたが勝手に飲んだんだろ!? ゴミ捨て場に捨てて帰りますよ!?」
ヘタに仏心を出したのが間違いだったかもしれん。
今からでも交番へ引きずっていこうかな、なんて考えている俺の肩を濡れたままで抱きながら。俺をイジるのに飽きたらしい佐藤さんは、嬉々として周囲を見回している。普通のホテルとは違うエントランスの様子に興味津々だ。
「フロント係はいないんだね。入りやすいようにかな? でもチェックインはどうするのかしら……おっ、このタッチパネルで部屋を選ぶんだ!」
無人のエントランスの壁に部屋の写真のパネルが一面に飾ってある。裏に照明が入っていて、部屋の使用状況が一目でわかるようになっていた。点灯している部屋が空いている、暗くなっているのは使用中らしい。週末という事もあってか、ほとんどの写真が消灯していた。
緊急避難だから。こんな所に入るのも仕方ない事なんだ。
興味深そうに眺めている佐藤さんを支えながら、俺は自分自身にそう言い訳した。
「えーと……あっ、左上のあそこだけ空いてるみたい」
空いているのは一部屋のみ。そうだ、ギリギリ滑りこめた幸運に感謝するべきだろう。
本当に緊急避難だから。本当に仕方ないんだ。泥酔した佐藤さんを救うためなんだ!
だから……本当に彼女と“使用”するわけでもないのに、最上級のセレブリティルームに入るしかない俺は、自分の財布にそう言い訳してエレベーターへと向かった。
「へーえ。中はこんな感じかあ」
このホテルは改装をしているらしく、古びた外見に比べて中は綺麗で豪華な雰囲気だった。佐藤さんは初めて来るラブホの内装にはしゃいでいる。
「うわさに聞いた回転ベッドや鏡張りの天井は無いんだね!」
「それいつの話ですか」
「枕元にあるのはぁ……鈴木君。例のヤツは二個用意してあるけど、これってご休憩でも二個? 泊まりだけ二個?」
「知りませんよ。初めて入ったんですから」
佐藤さんが利用したこと無さそうなのが嬉しいけど、濡れた服のままベッドに上がるのは勘弁して欲しい。
「十二時間利用可で二個は少なくない? 睡眠時間があるから長時間でも数は使わないって計算? それとも持ち帰り防止で少なくしてる? 頼めば追加できるのかな……?」
四つん這いでぶつぶつ言ってる佐藤さん。気になることを追求する姿勢は立派だけど、そっちに意識が行っていて俺が一緒にいる事を忘れてる。いいんですか? タイトスカートがずり上がってますよ?
(まったく酔っ払いは……)
などと思いつつも、俺はチラチラ見てしまう。だって……男だし……。
佐藤さんはストッキング越しにパンツが見えているのに気がついていない。注意すべきなんだけど……俺も酔ってるのかな。注意するのをしばらくためらって、じっくり観察してしまった。役得、になるんだろうか?
ずっとそうしていたい気持ちはあったけど、さすがにいつまでもってわけには行かない。俺は十分堪能した後、隠しカメラを探している酔っ払いにおそるおそる声をかけた。
「あの、佐藤さん。そろそろ着替えた方が」
「そうだね! そうだった!」
自分がびしょ濡れなことを思い出した佐藤さんが跳ね起きた。
「呑気に鈴木君にサービスしてる場合じゃなかったよ!」
俺のこの時の気持ちを、どう説明したらいいものだろうか?
未だ酔っているらしく、佐藤さんは相変わらずテンション高い。
「よーし、お約束もやったし! お湯溜めてゆっくり、ひとっ風呂浴びようかな!」
「待ってください!? 深酒した後に長風呂って……!?」
早く乾くように部屋の暖房を最強に設定していた俺がリモコンを手に振り返ったら……。
びしょ濡れのブラウスが飛んできた。
続いて水を吸って重たいタイトスカートが飛来する。
「佐藤さん!」
「なに?」
すでにパンストを膝まで下ろしている佐藤さんが中腰のまま振り返った。
あなた、それ脱ぐとあとはハーフカップのブラとビキニパンツだけなんですが……。
いつかは見たい。
絶対見てやる。
きっと正々堂々見せてもらうんだ。
そう思っていた佐藤さんのランジェリー姿を、俺は遂に見せてもらうことに成功した。
でも俺の臨んだシチュエーションは、「恥ずかしいの……せめて明かりを消して?」とか言われながら恥じらう佐藤さんに優しく促す素敵な一夜だったはず。
決してこういう“中年オヤジな上司と出張した先のツインルームで『いやあ、今晩飲みすぎたな!』とか笑いながらステテコ見せられる”ノリではなかったはずだ!
「どうしたの鈴木君!」
泣き崩れる俺の肩を、パンストも脱ぎ終わった佐藤さんが慌てて掴んだ。
「俺は……俺の期待したシチュエーションは……もっとこう……!」
「前から思ってたけど、鈴木君キモいぐらいにロマンチストだよね」
「それ褒めてないですよね!? せめて言葉だけでも飾ってくれませんか!?」
「現実を直視しないと彼女できないよ?」
「どうせできやしないんだから、夢ぐらい見させて下さい……」
「そんなこと無いんだけどなあ」
しかし長風呂は危険とはいえ、風呂には入ってもらわないとならない。真冬の夜に外気の中で冷水を浴びたのだから、風邪をひく恐れは十二分にある。身体を温めてもらわないといけない。
ただ、問題は。
俺はガラス壁を透かして見て呟いた。
「……マジックミラーでさえないんだな」
この部屋、風呂場と寝室のあいだの壁がガラス張りなんだよね。
広い風呂場の様子が丸見えだ。もしかして中から外は見えないっていうパターンかとも思ったけど、湯を溜めに入ったらばっちりベッドが見えていた。本当に素通しだ。
愛を育む二人は、こういう趣向を好むものなのか? 経験のない俺にはわからないが、同僚と泊まる場合にはこういう事をされると大変困る。
「向こうからも俺を監視できるんだから、後ろを向いているからで納得してもらうしかないよなあ……」
ひとっ風呂浴びると言っていた佐藤さんに、その辺りの話を先にしておかないと。
そういう情報を携えて寝室に戻った俺は、もう一つ大事なことを忘れていた。
俺が風呂に湯を落としている間にバスローブ姿になっていた佐藤さんは、ベッドに横臥しながら馬鹿でっかいテレビ画面にくぎ付けになっていた。
「佐藤さん、風呂に湯を入れてますから。それでですね、先に言っておきたいことが……」
「あ、鈴木君先に入ってて」
「……はい?」
もう一度言う。佐藤さんはテレビ画面にくぎ付けになっていた。
「見たい番組忘れていたわ。これ見てから入るから、先入っちゃって」
そうだった。
佐藤さんは美人で優しいけど、気まぐれで何をするか行動が読めない人で……まさに猫みたいな人だった。
さっきの風呂に入る宣言から、五分もしないうちに前言撤回。いや、多分本人はその意識もない。元の性格に酒も入っていて、気の向くままに動いているだけだ。
「はい……」
まあ暖房もガンガンに利かせているし濡れた服も脱いでいるから、身体を冷やすことも無いだろう。言い争ってまで風呂に放り込む必要もあるまい。
猫に言うことを聞かせようというのが無駄である。
俺は大人しく、一番風呂を使わせてもらうことにした。
忘年会に佐藤さん。今晩はたっぷり振り回されて身体も疲れ切っている。泥酔した佐藤さん向けにぬるめに湯を入れておいたけど、もうちょっと熱めにしようかな。
「はぁー……」
考えてみれば一人暮らしを始めてから、風呂は大体下宿のユニットバス。こんな広い風呂にのびのび入るのはいつぶりだろう。手足を伸ばしてリラックスしていると、凝り固まった疲れの元が抜けていくような気がする。
「たまにはいいよな、こういう所も」
リゾートホテルじゃなくてラブホだけどね。相手もいない身でそもそも入る所じゃないけどね。
「でも、リゾートホテルと思えばガラス壁の間仕切りもそれっぽく見えるな」
確か深夜の旅行番組で、海外の高級リゾートにこんな所があった気がする。気分が上向きになったところで、俺は湯舟の縁に手をかけた。
「よし、佐藤さんがテレビ見ているうちに体を洗っちゃうか」
ふつう逆だけど、先に温まりたかったので入ってすぐに湯舟に浸かっていた。ま、大浴場じゃないし。
湯舟も広いが洗い場も広いんだよな。そんなことを考えながら体を起こしたところで、俺はガラス越しに見ている佐藤さんと目が合った。
一瞬、何事も無くスルーしてしまいそうになった。
腰を浮かしかけたところでギリギリ違和感に気がつき、俺は慌てて湯舟に座り込んだ。思わず絶叫する。
「キャー!?」
「鈴木君、それ普通私のセリフじゃない?」
「見られてるのは俺ですから! ていうかなんでこっち見ているんですか!? テレビは!?」
いつの間にか佐藤さんはベッドの上からソファに移動していた。こっち向きのソファに膝を組んでふんぞり返り、ワイングラス片手にニヤニヤ笑ってこっちを見ている。これで膝にペルシャ猫を乗せていれば完璧に悪い金持ちの出来上がりだ。
「何してるんですか!? なんでこっち見てるんですか!?」
「なんでって。もちろんかわいい後輩が酔って風呂に入ってるから、溺れたりしないか見守ろうとね!」
「顔が嫌な感じに笑ってますよ! 絶対嫌がらせですよね!」
「何を言うの! この私の真心がわかんないかな!?」
「真心のある人はそんな顔で黙って観察したりしない!」
佐藤さんが軽くワイングラスを掲げた。してやったりという満足げな笑顔だ。
「全く鈴木君は油断しすぎだね。私が酔っているからって甘く見過ぎたようだ!」
「何をどう深読みしたら、俺の方が風呂を覗かれるかもって警戒する事態になるんですか! 今は女子が男に対してやってもセクハラなんですからね!」
「フハハハハ、セクハラってやる側だと気持ちいい!」
「最低だ、この人っ!?」
何を言っても糠に釘。欲望を隠さなくなった酔っ払い相手に、いくら言っても全然聞いてくれそうにない。
もうのんびり風呂に入っているどころじゃない! さっさと出ちゃって、このダメ人間と交替を……脱衣所が遠いな。
洗い場がやたら広い仕様なので、脱衣所まで2メートルはありそうだ。湯舟を出て脱衣所まで行って、身体を拭かないまでもせめてバスタオルを腰に巻いて……何秒かかる?
「佐藤さん、俺出たいんですが」
「どうぞ」
佐藤さん、ポジションそのまま。
「ですから、風呂からもう出るので向こうを向いていてもらえませんか」
「……まだ身体を洗って無いよね?」
「それを知ってるってことは、いつから見ていたんだ!?」
「最初から」
マジ最低だ、この人……途中で気が変わったんじゃなくて、テレビを見ていたのもポーズだけかよ……。
「そんなのはどうでもいいから! 俺は今すぐ出たいんで見ないでください!」
「ええーっ!? クライマックスシーンが無いなんて、とんだダイジェスト版だよ!」
「クライマックスとか言うんじゃねえ!」
いくら拝み倒しても全然聞いてくれない佐藤さんを諦め、俺は洗面器を持って脱出した。ガラスの向こうからブーイングが上がったが……知った事か!
もう身体も拭かずに急いでバスローブを着て出ると、佐藤さんが唇を尖らせている。
「ここはむしろ自慢げに見せつけて出てくるところじゃないの? 鈴木君、その自信のなさが商談でも相手に頼りなく思われている原因じゃないかな」
「仕事にかこつけてごまかしたってダメですからね!? どうせ起きてたってロクな事しないんだから、さっさと風呂入って寝てくれませんか!」
「今度は鈴木君が仕返しに覗く番だね!? 私、これでもスタイルにはちょっと自信があるんだよ? 聖人君子みたいに偉そうなことを言う鈴木君がどれだけ鼻の下を伸ばすか、とっても楽しみだな!」
「見ないですよ!」
「ショーツはじっくり見ていたくせに」
「じゃあお休みなさい!」
佐藤さんが鼻歌を歌いながら風呂に入っている間、俺は覗いていると誤解されないように布団に入って反対側を向いて目を閉じていた。
佐藤さんの風呂なんて、もちろん見たい。見たいに決まってる! 当たり前だ! しかし見たいけど、俺にだって意地ってものがある。
それに佐藤さんに覗かれてセクハラされる苦痛を味わったばかり。我身に降りかかった気恥ずかしさを考えると、仕返しとはいえ自分がされた直後にする気にはなれない。俺は聞こえてくる楽し気な風呂の音に、見たい気持ちを必死に押さえて目を瞑っていた。
風呂から上がって来た佐藤さんはどことなく不満そうだった。
「鈴木くーん? 寝ちゃったのかな?」
声がかかったが、俺は身じろぎもせずに寝たふりをする。実はまだ悶々として目が冴えてしまっているんだけど、これ以上疲れるテンションの佐藤さんの相手をしていられない。
「ちぇっ、寝ちゃったのかあ」
佐藤さんは俺に相手をさせるのを諦めたようだった。よし、そのまま寝てくれ!
部屋を横断する足音がして。
ガチャッ。
ガチャッ?
扉が開くような音。そして佐藤さんの独り言。
「いいお湯でしたっと。そして湯上りにはやっぱりビールでしめて……」
「飲むなァァァァッ!?」
俺は跳ね起きた。
「コーラかオレンジジュースにして下さい!」
「湯上りのビール最高じゃん」
「あれだけ飲んどいて、さらに追加するって正気ですか!?」
佐藤さんが抜き出しかけた缶ビールを、俺がその上から押さえて無理矢理押し戻す。佐藤さんはかなり不満そうだ。やっぱりまだ宴会のアルコールが抜けてない。
「はいはい判りました。ぶどうジュースでいいにしとくわよ」
「ワインはダメですからね」
「ちぇーっ」
「……ブランデーもダメですよ!?」
「そこまで品ぞろえ良くないよう、ここ」
俺は佐藤さんに強制的に缶ジュースを押し付け、強引に冷蔵庫を閉めた。
「こんな所に来てまで『シャキット! グレープフルーツ』なんか飲みたくないよ。仕事を思い出しちゃう」
「今度からは飲まないで済むようにしましょうね!」
一応は渡したジュースを飲みながら、佐藤さんがムーっと唸りそうな顔を見せた。
「もー、長風呂はダメだとか迎え酒もダメだとか、なんで鈴木君そんなにダメ出しするの」
「なんでじゃないでしょう。常識で考えて下さい」
「守・破・離って言ってね」
「健康上の常識なんで、破っても離れてもダメです。守ってください」
今日はいつにも増して佐藤さんの聞きわけが悪い。俺は駄々っ子みたいな彼女の手を握り、目を見て言い聞かせた。
「佐藤さん、俺はね……貴方の体が心配なんです!」
そこまで言って俺は口をつぐみ、佐藤さんも黙り込む。
真面目な顔で見つめ合う。
ややあって、佐藤さんが口を開いた。
「鈴木君……口説くのならもうちょっと色気のある雰囲気でさぁ」
「今のはマジメに叱ってたんです! 俺が好きでガミガミ怒ってると思ってるんですか!?」
俺はついつい先輩で年上で指導係に説教を始めてしまった。
疲れた。
とにかく疲れた。
ベッドに入った時間的には、いつもの金曜日より早いぐらいなんだけど……精神的にコレだけ疲れたのは久しぶりだ。
さっさと寝たい俺は大事なことを一つ忘れて布団に入った。
そのおかげで……今、寝れない。
布団、というかベッドが一つしか無いんだよね。ラブホだから。
そして先輩を差し置いてベッドに入っちゃった俺。
そしてそして、裸を見られることも気にしない佐藤さんが同衾如きに頓着ないわけで。
「……寝れない」
俺の背中に、佐藤さんがくっついている。
もうピタッと。
俺に少し遅れて佐藤さんがベッドに入ってきたらしい。夢うつつからおかしな感触にアッと思った時には、すぐ後ろにもう華奢な身体の温かい感触があった。
慌てて出ようと思ったけど、気がつけば佐藤さんの手が後ろから俺の胸に回っている。背中に抱きつかれているのだ。
正直なところを聞かれれば背中にあたる感触が気持ちいいんだけど、コレ朝起きた時に佐藤さんが夜中の事を覚えていなかったらアウトな話になりそうだ。
「佐藤さん?」
声をかけるが、すでに熟睡しているらしく反応が無い。これを敢えて起こすのも……。
なんて気を使ったのが運の尽き。
佐藤さん、抱きつき癖があるらしくてグイグイ背中に押し付けてくる。何をとは言わないが。さらに首筋にかかるかすかな吐息。そして、かなりの腕力で俺の肋骨を強く締め上げる二本の腕……。
気持ちよくて、くすぐったくて、マジに苦しくて寝ているどころじゃない!
「佐藤さんっ! ちょっとっ! 起きて!」
返事は全くなかった。
「この人前世はコアラか何かか!?」
いや、コアラなら締め上げるって程まで行かないよな。
「……子泣きジジイ?」
より悪質かも。あの妖怪は重さで潰すんだったよな? ハグで抱き潰すなんて聞いたこと無いぞ!? おまけに。
「んっ。んんぅ」
襟元や耳にかかる吐息。悩まし気な寝言。背中にグリグリ押し付けられる豊かな膨らみ。
俺も男だ。片思いの相手にそんな誘ってるとしか思えないことをコンボでされては、もう理性のタガが飛んでしまう。だけど理性を飛ばそうにも、相手が背中に張り付いて離れない。
「ん!?」
俺がのたうち回っている間に、気がつけば佐藤さんの足が俺の胴に絡みついていた。て事は……。
「ぐはっ!?」
腕に続いて脚も締め上げてくるぅぅぅ!
「佐藤さんっ!? 本当に寝てるのかよ!?」
俺がビタンビタン魚河岸のサンマみたいに跳ねても、がっちりホールドされて位置さえズレない。そのくせあちらは夢の中で動かすのも自由自在らしく……。
「ちょっ、さっ、佐藤さ、胸板撫でんなぁっ! だかっ、胸も揉むな! いい加減に……グハッ、かかとが脾臓に……!」
天国と地獄。比率で言ったら三:七と言ったところだろうか。硬軟織り交ぜた彼女の責め苦は、俺を朝まで寝かせてくれなかった。佐藤さんったら、夜は激しい……。
チェックアウト刻限ギリギリに外に出た時には、もう燦燦と陽が照って街はポカポカ陽気に包まれていた。昨夜もこんな気温だったら、駅のトイレで服の水気だけ絞って帰したのに……。
色々重なって寝れなかった俺と違い、ほんの三十分前まで熟睡していた佐藤さんは健康そのものの顔色だ。あれだけ酒をチャンポンして量も飲んで、挙句に泥酔して深夜に水をかぶっていた彼女の方が俺より健康体とか……絶対納得いかない。
「んっんー、いい天気だねえ!」
「そうですね……」
「こういう日に朝帰りしてそのまま二度寝とか、背徳的でウキウキしちゃうね!」
「俺は徹夜明けですけどね……」
「駅前のコーヒーショップで朝食メニュー食べてから帰ろうよ」
「そうですね……飯ぐらい喰わないと家まで持たないかも」
幸い起きた時も佐藤さんの記憶は保持されていた。おかげで俺が前後不覚の彼女を連れ込んだとか、誤解されることも無く無事にホテルを出て来たのだけど……。
忘年会とその後の騒動を抜きにしても。
佐藤さんの裸を見て。
俺の裸を見られて。
寝たふりをして。
飲酒で口論して。
うっかり一緒のベッドで寝て。
煩悩直撃の感触をお預け食らったまま痛みに苦しんで。
一睡もできずに朝を迎えてグロッキーと。
ホテルの中の事だけでも、いらない思い出満載でトラウマになりそう。
前を歩く上機嫌の佐藤さんが振り返った。
「ラブホっていうのも普通のホテルと違ってて面白かったね!」
「そうですか……良かったですね」
「次はどこに泊まってみる!?」
「もう結構です!」
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