第3話 不可能に挑戦する佐藤さん

 俺が電話をかけて戻って来た時、佐藤さんは取引先の店頭にあるディスプレイを食い入るように眺めていた。音を聞くにPRビデオではなく、普通のテレビ放送のようだ。

「どうしました? 佐藤さん」

「鈴木君、ちょっと早いけど先にお昼取らない?」

「いいですけど……?」

 今十一時を少し回ったところ。今からなら次の相手先の近所に移動した頃にちょうど十二時ぐらいだけど、それを待てないって……ここの近所でどこか入りたい店があるんだろうか?

 振り返った佐藤さんの目がキラキラ輝いている。

「この店が住所見るとすぐ近所みたいなの! 行ってみようよ!」

 あ、ワイドショーの食リポコーナー見てたのか。俺もテレビを覗き込む。

「わかりまし……」

「どれぐらい凄いのか、!」


 四十二インチの液晶画面には、見慣れたタレントがわざとらしくはしゃぐ様子と……デカい丼の上に自重で崩れる寸前まで具が盛られた、ドカ盛り系のラーメンが映っていた。




「あの、本当に食べるんですか?」

 列に並んで何度目かになる俺の問いに、佐藤さんは何度聞いても変わらず首を縦に振ってきた。

「私、二郎系って食べたこと無いのよ。一度はその凄いの見てみたい」

 そりゃ、佐藤さんと二郎系って全然イメージが結びつかないわ。いつもだったら出先で一緒にお昼を食べる時って、佐藤さんはかつ丼とかスタミナ焼肉定食……あれ? 結構ガツン系だな? なんかカフェでこじゃれたランチプレートのイメージなんだけど……いや確かに俺、そんなところで一緒に飯食った覚えは無いが。

 混乱している俺をよそに、一歩前に並ぶ佐藤さんははしゃいでいる。

「番組が終わる前にサッと動いたのが良かったね! 見てよ、後ろに並んでいる人数」

「はあ」

「こういう時の決断の速さがビジネスでは大事なのよ。最後まで情報を聞き取ってから、なんて思ってたら三十人は後ろになったね! 即断即決、大事なことだから覚えておきなさい」

「はあ」

 大事なことのような気もするけど、ラーメン屋の行列に例えられてもなあ……。

 俺がなんだか割り切れないものを感じていると、不意に佐藤さんが小首を傾げた。

「ところで鈴木君」

「はい? なんでしょう」

「二郎系って何?」

 そこからかい。

 

 俺はスマホで検索したウェブ事典の記事を佐藤さんに見せた。

「発祥の店に由来しているみたいですね。元々山盛りの盛り付けが特徴なんですけど、さらに追加を頼むとテレビで見たみたいなとんでもない量になるみたいです」

「ふーん、なるほど」

 いかにも理解したみたいに頷いているけど、多分これ分かってないヤツだ。

「ちなみにこういうドカ盛りの店を二郎系と総称してますけど、狭義には発祥の店から暖簾分けした師弟関係の店だけを言うみたいですね。この店は……二郎一族には入っていませんね。こういう店は二郎インスパイア系とか言うらしいです」

「なるほどね」

 したり顔の佐藤さんが人差し指を立てた。

「初めて食べるからそこまでこだわっているわけじゃないし、直系の店じゃなくてもいいわよね」

「そうですね」

 俺も同意する。別に思い入れがあるわけじゃないから、佐藤さんの言うとおりテレビに出ていたこの店で十分だろう。そもそも直系の店、支店の周りにないし。

 彼女はやる気に満ち溢れて、両手をワキワキさせて待ちきれない様子。見ているとアドレナリン出まくりの佐藤さんはこぶしを固め、可愛らしく突き上げた。

「よーし、二郎パチもん系初挑戦! 完食するぞぉ!」

「イ・ン・ス・パ・イ・ア! いきなり列から放り出されそうな言葉を叫ばないでください!」


 誰か気分を害していないかと俺が慌てて辺りを見回している間も、呑気な先輩はウキウキしながらドンドン伸びる後方の列を眺めている。

「鈴木君、鈴木君」

「なんですか?」

「見て見て後ろ! 放送を見終わってドンドン駆けつけてきているみたい。これは番組最後まで見てたら昼休みの間には間に合わなかったかもしれないね!」

 佐藤さんの言うとおり、我々の後ろはほんの十分ぐらいでどんどん増えていた。もう百人近くいるんじゃないだろうか。一度に入れる人数も十人ぐらいみたいだし、十回転もしていたら確かに待ち時間が一時間ぐらいじゃ済まなさそうだ。

 テレビの影響力は侮れないな。俺が感心していると、佐藤さんが急に腕を組んで高笑いを始めた。

「フハハハハ! 見ろ、人がゴミのようだ!」

「だから危険な発言は止めてくださいってば!?」

 昨日やってた再放送見てたんだな……やはりテレビの影響力は侮れない……。


 

 

 この店は食券ではなくカウンターで注文のようで、伝票を持って聞きに来た従業員に口頭で注文を伝えないといけない。

「ブタメン小盛ニンニク辛味抜きコロ角マシ」

「あーい! ブタショウニンニクカラヌキコロマシ一丁!」

 俺が呪文のような注文をなんとか間違えずに言うと、店員がさらに略語に直して甲高い声で叫んだ。今ので通ったらしい。ちょっとホッとして、だいぶ疲れた……。


 店内に案内される直前。次で入れるかなと思いながら店の中を覗き込んだ俺は、席につくなり注文を迫られるシステムなのに気がついた。入った客は誰一人それをおかしく思っていない。みんな当たり前のように次々と注文していく。

 俺は慌てて先輩の袖を引いた。

「ちょ、佐藤さん! 座ってからメニューをのんびり見てられる店じゃないみたいですよ!?」

 この店、常連客しか来ないのかよ!? 俺たちみたいな初見の客はどうすんだ!

 想定外の関門が待ち受けているのに気がつきワタワタする俺……をキョトンと見た佐藤さんは、俺の慌てぶりをおかしそうに笑いやがった。自分だって初めてなのに。

「あ、知らなかった? ふふふ、私はさっきのテレビで予習済みよ!」

 知っていたのか! 特殊な店なら先に言え!

「知ってたなら、俺にも前もって言っといてくださいよ!?」

 仕事じゃ完璧なのに、どうして仕事じゃないところでは大事なところを見落とすのか!? 佐藤さんを恨みがましい目で見るものの、全く気にしてくれない佐藤さん。彼女の心はすでにラーメンへ飛んでいる。

 仕方ない……案内されるまでに基本だけでも注文できるようにならないと!

 俺は相手をしてくれない佐藤さんを置いておいて、急いでメニューを探した。この手の店ではローカルルール絶対で、知らない客は白い目で見られると聞いたことがある。初心者だからとのんびり卓上で選んでいる暇は無い。

 客の真上の間仕切り壁にやっとお品書きを見つけた俺は、見にくい一覧表を必死に眺める。

(なるほど、ベーシックなのはブタメンか。そこにオプションを『増し』と『抜き』で、さらに小盛から特盛までの量を選んで、オプションには有料と無料の区別もあると)


 めんどくさい。


 聞かれるのはラーメンの種類と並みと大盛りだけでいいじゃないかよ……。

 複雑な注文の仕方に正直な感想を呟きそうになるが、口から出す前に呪詛の言葉をグッと飲み込む。常連客ばかりのこんなところで店の悪口を吐きまくるとか、一番白い目で見られるヤツだ。なにより佐藤さんと同程度に常識が無いとか思われるのは、俺のプライドが許さない。

 そうだよ。理解できない俺みたいなのがいる一方で、この店には熱狂的な常連もいる。繁盛しているということは、消費者はこの呪文を唱えると商品が出てくるシステムを支持しているという事だ。俺がいかにアンチな意見を呟いたところで、多数派が向こうならそんなの負け犬の遠吠えに過ぎない。

 自分で自分をそう説得しながら、俺の予習は座れる順番が回って来るまで続いた。

 

 無事に注文の“儀式”が済んでホッとしたところで、俺は今度は隣に座る佐藤さんが気になった。予習は済んでると言ってたけど、テレビ番組にちょっと映ったぐらいでわかるものだろうか?

 俺の次に従業員に聞かれ、佐藤さんは自信満々に呪文を唱えた。


「ハイパーブタメンメン硬チョモランマ肉野菜アブラマシマシ!」


 俺は店員の復唱する声も聞こえず、おしぼりを握ったまま固まっていた。




 俺の注文したのは基本のブタメンの小盛。ブタメンはまあ、普通のラーメンとチャーシューメンの間ぐらいに肉増しな感じの野菜多めな醤油ラーメンだ。今から商談なんだから、当然ニンニクは抜き。辛味も汗になるから抜き。そもそも盛り付けが多いから、昼食では小盛で十分。コロ角マシはサイコロ肉のチャーシューを追加という意味。この店のオリジナルらしいので食べてみたくなったのだ。

 そして佐藤さんの注文したのは……説明したくもないけれど……。

 ハイパーはチャーシュー大盛り、メン硬は文字通り麺硬め、肉野菜アブラマシマシは無料サービスのチャーシューの切れ端ともやし主体の具野菜、背脂を増し・増しだから特盛にするの意味。チョモランマは……説明要らないよな?


 待て!


 待て待て待て待て!?


 佐藤さん何を注文しちゃってるの!? 要するにそれこの店の特盛全部載せだよね!?


 店員が離れたのを見計らって、俺は肩を寄せて佐藤さんに詰問調でささやいた。

「佐藤さん、こんな超特盛を注文しちゃって食べられるんですか!? この手の店はお残し禁止ですよ!?」

 佐藤さんが見た目に反したガッツリ系女子だからと言って、ここの特盛が入るとも思えない。しかも麺だけじゃなくてチャーシューも無料サービスの野菜も特盛で頼んじゃってる。体育会系の男子大学生がギブするって番組で言っていた代物だぞ?

 本人はとんでもない注文をしたのを全然わかっていないようだった。

「何言ってるの、鈴木君。初めての店だったらお勧めの看板メニューを食べなくちゃ!」

「そうですけどね!? それは確かに正論なんですが……!」

 言ってることは正しい。

 だけど時と場合TPOを考えて欲しい。

 普通に考えれば三人がかりでも食べ残しそうなチャレンジメニューを、仕事の中休みに食べるバカがどこにいるというのか……!

「大丈夫じゃないの? さっきのテレビじゃ小さい女の子が『美味しーい!』って叫んで食べてたし」

「絶対無理です。思い出しましたがあの女の子は元フードファイターです」

「そうかあ」

 佐藤さんはちょっと考える風で頬杖をついた。

「がんばって注文を聞き取ったのに」

「予習したって、テレビのセリフを丸暗記ですか!?」

 アレを一回聞いただけで覚えたのはさすが佐藤さん、頭がいいと思う。だけどやってる行動は絶対アタマ悪い。

 数分後に訪れる地獄の時間を思い、俺は背筋を震わせ恐怖した。




 五分ほどで、俺たちの注文したものが出来上がってきた。厨房から直接カウンターの上段に丼がそっと置かれる。

「はいよ! ブタショウニンニクカラヌキコロマシ!」

 俺の目の前に置かれた物は、普通の店ならどう見ても大盛りと称されるサイズだった。最小の組み合わせで注文したにもかかわらず、このサイズ感ということは……。

「はいよ! ハイパーメンカタチョモランマ! ニクヤサアブラマシマシ!」

 佐藤さんの前に置かれたのは……うん、確かにテレビ画面に映ってたやつだわ……箸を突き刺せば衝撃でもやしとチャーシューの山が一斉に崩れそうな、佐藤さんの頭より大きな盛り付けの一品だった。俺の小盛より確実に三周りは大きいシルエット。これもう、縮尺を間違えているとしか思えない。ショーウィンドウに飾るための大げさな食品サンプルと言われた方が納得できる。

「ほぉぉぉ……!」

 目を輝かせて佐藤さんは眺めているけど。

 佐藤さん? 感心してる場合じゃないと思うんですが? この人、自分が今からそれを食べるんだという自覚はあるのだろうか。

 こんなものを女性としても細身の佐藤さんが食えると思えない。俺だって無理だ。無理矢理平らげることができたとしても、苦しくて二時間後の商談なんか行けやしないだろう。かといってこの店で残して帰るという選択肢もないし……。

 無茶ばかりする佐藤さんだけど、これはさすがにどうしようもないだろう。自業自得とはいえどうするのかと見ていたら。


 カウンターの上、厨房との境の高い所に置かれた超特盛を佐藤さんは両手で受け取り、さりげなく俺の前に置いた。そして俺の目の前にあった小盛を自分の前に下ろす。

「いっただっきまーす!」

 両手を合わせてぺこりとお辞儀をした佐藤さんは嬉しそうに食べ始める……俺の小盛を。

「……あっ!?」

 あまりにさりげなさ過ぎて、俺も目の前で行われたイカサマを一瞬見逃していたよ! 丼がクロスして移動して、いつの間にか注文したものが逆になってる!?

 注文した俺が見逃したぐらいだ。他の客どころか店員も誰も気がつかない。愕然として佐藤さんを見ると、その無理に取り繕ったマジメ顔が物語っていた。


 ……この女、確信犯だ!


 そう言えば言ってたな……どれぐらい凄いのか、! って……。

「どしたの? 早く食べないと後ろが詰まっているよ?」

 何も知らないような顔をして、佐藤さんが囁いて来る。

 その原因を作ったのはあんただけどな!? 

 計画的だったのか急に尻込みしたのか知らないが、理不尽な後始末を押し付けて来た先輩への怒りに震えていると……当の本人が細く長い人差し指で俺の額をツンと突いて来た。

「コロ肉あげようか?」

「……結構です!」

 注文したのは俺だよ! そう怒鳴りたい気持ちを俺はギリギリで押さえつけて歯噛みした。お店への迷惑を考えるとこの場でキレるわけにもいかず、かといってやらかしてくれた佐藤さんへの怒りは腹の底から次から次へと湧いて来て……おれはやるせない気持ちの全てを箸の先に込め、猛烈な勢いでハイパーチョモなんだかを掻き込み始めた。




 努力はしたが、やはり勢いだけでは全部は無理だった。

 カウンターに並んだ味変アイテムとかも駆使して、喉から食道へ押し込む時はわずかに汁をすすって無理矢理流し込んだ。水なんか飲んだら余計にかさが増す。

 とにかく固形物を全部腹に収めるまでは席を立てない。胃袋の限界を超えて押し込んでいる今、手を止めたらもう動けなくなる。必死に箸を動かし続ける。流れる汗を拭う余裕もなくて、目に流れ込む汗で眼球が痛んで視界がかすむ。どんぶりの中で中身を手繰り寄せる箸先が空を掻き、手ごたえのなさでやっと完食できた事を悟った時には椅子から崩れ落ちそうだった。


「がんばったね、鈴木君!」

「……」

 そして俺は今、店から出て近くの公園で休憩している。

 佐藤さんが御褒美というか、お詫びというか……お疲れさまの膝枕をしてくれて、ベンチで横になっているという夢のようなシチュエーションのはずなのに……何故かちっとも嬉しくない。頬に伝わる太ももの感触が入ってこないくらい、頭の中は吐き気を訴える腹具合でいっぱいだ。そのくせ通行人の視線はビシビシ感じる。世間様には“昼休みに会社の外でいちゃつく社内恋愛バカップル”とでも見えてるんだろうな……。

 こんなシチュエーションを夢に見ていた筈なのに……それが正夢になってみると、妄想と現実の乖離が酷くて泣きたい気持ちしか出てこない。

 ダメだ、これ。体調悪すぎでネガティブな発想しか出てこないや……。

「鈴木クーン? そろそろ移動しないとヤバいけど、動ける?」

「……」

「えっ? なに?」

「……喋ったら出そうなんで……声、かけないでもらえますか」

「はい」




 結局午後の営業先は佐藤さんだけで行ってもらって、俺はその間ネットカフェの個室ブースで唸っていた。堂々たるサボりだけど、これについては労災で休養と言い立てたい。

 さすがにマズかったと思ったのか、その後しばらくは佐藤さんの言動もおとなしめだった。俺も胃の中の物が消化されるにつれて理性が戻ってきて、夕方に戻ってきた佐藤さん相手に喧嘩するような真似はしなかったが……しばらく刺々しくて怖かったと、後に佐藤さんが語っていた程度には怒っていたらしい。

 そんな感じで二郎系の話は二人の間で禁句になり、やがて記憶の中でも薄くなってきた頃。


 俺がバックヤードの残っている在庫を検数して戻ってくると、佐藤さんが休憩室のテレビを食い入るように見ていた。

「どうしました? 佐藤さん」

「鈴木君、ちょっと早いけど先にお昼取らない?」

「はあ、いいですけど……?」

「ここの近所に伝説のスタミナ丼を出す店がオープンしたって……」

「行きませんよ」

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