第5話 佐藤さんとドライブ

 今日は他の営業部員たちはデスクワークがあるらしくて、朝礼が終わってすぐに外回りに出かけたのは俺と佐藤さんだけだった。

 車を出そうとして、俺はふと駐車場にずらりと並ぶ営業車の列に目を止めた。

「そう言えばうちの会社って、車がみんなワンボックスですよね」

「そりゃそうだよ。ちょっとの納品に楽じゃない」

 急に持って来いって言われることもあるし、何ケースというレベルならルート配送のトラックに寄ってもらうより営業が持って行った方が早い場合もある。積載重量を考えなければ、ワンボックスならパレット二枚ぐらいの荷物は積めるのだ。

 うちの支店は二階建ての事務所と天井の高い倉庫が合体したような形をしている。基本的に納品は物流センターか工場からトラックが走るけど、小口や緊急の注文に即応できるように支店の倉庫にも一通りは商品が積まれていた。

「支店の倉庫に積んでいてもデッドストックになりがちで、管理上良くないって意見もあるんだけどねー……でもうちのお客さんはねえ」

「わかります」

 POSとかコンピューターで仕入れまで管理しているところ、チェーンのスーパーとかは楽と言えば楽。減れば自動発注もかかるし、仕入計画の見積もりが甘くて欠品しても“予測がずれた”で話が終わる。ただ、うちが得意にしている個人の飲食店やスーパーだと土壇場でFAX発注が多い。対応可能な期限はもちろん設けてはいるけれど……当日欲しいがなんとかならないか!? って直電が来るのは日常茶飯事だ。

 そういうお客さんたちに販路を広げて、業務用に強いってイメージでシェアを取っているのがうちの会社だ。会社方針なんだから可能な限りフォローしなくちゃならない。

「そういうところに『なんとか都合つけましたよ』ってヘソクリ捻り出した風に持って行くと、『あいつはアテになる』って俺の信用が上がるんですよね」

「営業の仕方がわかって来たじゃない」

 実際は隣の倉庫のパレットに載ってる商品を伝票切って持ち出すだけなんだけど。

 詐術に近い小技だが、誰も傷つかないで仕事がやりやすくなるから問題ない。あと、言外に“いつでも無茶が利くわけじゃねえんだよ”っていう脅しにもなる素敵なノウハウだ。

 それでも締め切り破り常習犯の文筆業みたいな“そこまで当て込む”店主も多々いるけどね。飲食業界は一筋縄じゃいかんわ……。

「個人的に信頼があると、うるさいオヤジさんでもこっちの話も聞いてくれるんだよねえ」

 このトーク技術を教えてくれたのはこの人。本人は忘れているっぽいが。


 外回り中の車内では、佐藤さんとこういう話をしていることが多い。佐藤さんも延々お説教みたいなウンチクを垂れ続けるタイプではないので、とりとめもない雑談の中に役に立つ話が混じっている感じ。

 おかげで世間話の合間に仕事の役に立つテクニックもずいぶん教えてもらったが、それを差し引いても個人的にはこの時間はありがたい。なぜかを説明する必要も無いだろう? “美人”の佐藤さんと“二人きりで”楽しく“ドライブデート”している気分になれるから、だ。

 実際には恋人じゃないけどね。雑談でもプライベートの話なんかほとんど無くて、時事ネタ五割に打ち合わせ四割だけどね。二人きりが楽しいのはもしかしたら俺だけで、向こうは退屈してるかも知れないがね。

 もちろん本心の確認なんかしない。


 そんな気分でいたせいか、俺はふと車の車種が気になったわけだった。




「ワンボックスだとトラックに近いから、こうバイパス道路を飛ばしていてもドライブしている感じはしないですよね」

「そう? 座席位置が高い分、視界が広くていいと思うけどなあ」

「それは分かりますけど、観光バス的な感覚じゃないです?」

「バスだとフロント全面の景色なんて楽しめないじゃない」

 普段自家用車で何に乗っているかの違いだろうか。俺はセダンやステーションワゴンの方が“走ってる感”があると思うんだけど、佐藤さんは景色がよく見える方が良いらしい。

「ワンボックスが気にいらなかったら、うちの社有車にはタクシーみたいな普通の車もあるよ?」

 あるにはあるけどさ。国産高級セダンがいるけどさ。

「それ、役員車ですよね……取締役以上まで出世しないと乗れないじゃないですか」

 佐藤さんが指摘した車は全国に十台も無い。乗れるご身分まで昇進できる可能性は……今のところ“ゼロではない”としか言いようがない。

 佐藤さんが憮然としている俺を見て、にんまりと人の悪そうな笑顔を浮かべた。

「平社員でも乗る方法があるよ」

「えっ? どうやって?」

 別に外回りに高級車を乗り回したいわけじゃないけど、そのおかしな裏技はちょっと気になる。

 俺が見返すと、佐藤さんは自分の豊かな胸に親指を突き立てた。

「私が役員まで出世できたら、鈴木君を運転手にしてあげる」


 ……空が青いな。


 運転中に呆けていると危険なので、俺の自己防衛本能が意識を身体に戻してくれた。

「何年先の話ですか。そしてその頃まで俺、平社員なんですか」

「うちの会社、営業職が多いわりに営業系の役員三人しかいないからね。しかもオーナー経営だし。鈴木君が役員になるには明日からずっと支店トップの成績ぐらい取らないと」

「いえ、俺が役員になりたいわけじゃないんですが。佐藤さんが役員になれた頃に、おれまだ課長部長にもなれてないんですかって話ですよ」

 そういうと佐藤さんが急に暗い顔で黙り込んだ。

 そして俺の顔をちらりと見て。

「……頑張ろ?」

「うわあああああああ!」


 コンビニで車を止めて車内で休んでいると、外で電話をかけていた佐藤さんがついでにジュースを買ってきてくれた。社名のでっかく入った車なので、顧客コンビニの駐車場を不正利用ってわけにはいかない。

「落ち着いた?」

「……はい」

 俺はペットボトルを受け取り、蓋を取ると一気に半分ぐらい飲み干した。飲んで見て、のどがカラカラになっていたことに気がついた。

「ショック受け過ぎだよ。ちょっとした軽いサラリーマンジョークじゃない」

「だったら深刻そうな顔で言わないで下さいよ!」

「ごめんごめん」

 佐藤さんはあんまり反省してなさそうな顔で俺に謝り、自分もジュースに口をつけた。

 俺は改めて手元のビンを眺める。

「……今気がついたんですけど、これ同業他社のじゃないですか」

 佐藤さんが買ってきたのは、本社がアメリカにある世界で一番有名な炭酸飲料だった。なにかは敢えて言うまい。

 佐藤さんはもう一口飲んでから、俺の発言を鼻で笑った。

「自分のトコのなんか飽きてるでしょ。仕事以外で飲みたい?」

「それを口外しないでください」

 佐藤さんの愛社精神的にアウトな発言を、俺は形だけ制止した。

 ルート営業なんかしてるとね……時々、理不尽な目に遭ってるのがうちの製品のせいなんじゃないかっていう憎しみがね……。

 そういう八つ当たり以外にも、倉庫で期限切れになりそうなデッドストックを産廃にしたくないから社内行事で無理矢理消費するっていうミッションがあったりして……食傷気味なのは認めざるを得ない。

 佐藤さんがふてくされる俺の顔を覗き込んできた。この距離でそれをやられると、結構心臓に悪い。コロンのいい香りとか近すぎるお互いの顔の距離とか、俺には刺激が強すぎる。強くは言えないけど、止めてほしくないけど止めて欲しい。そうじゃないと俺、我を忘れて抱きついてしまいそうだ。

 そんな俺の内心など知らず、佐藤さんが実に可愛らしく小首を傾げる。

「だけど意外だね。鈴木君に出世願望があるように見えなかったんだけど」

「……別に昇進したいとかじゃないです」

 佐藤さんは訳が分からないって顔をしている。そうだろうな。そしてこっちからも説明するわけには行かない。


 俺がショックを受けたのは成績がどうのじゃない。

 “上司の評価が辛い”のはどうでもいい。そうじゃなくて、“佐藤さんにできないヤツと思われている”という点が問題だったんだ。

 本人はほんの冗談だと言っているけど……一度言われてしまうと、本心がどうなのか、疑う気持ちで心が乱れてくる。


 まだ晴れない顔をしている俺に、佐藤さんが運転大丈夫かと聞いてきた。

「次は遠いよ? 替わろうか?」

「いえ、大丈夫ですよ」

 これ以上俺の出来に疑問を持たれてたまるか。




 海岸沿いのバイパス道路を結構いいスピードで走り抜ける。高架の上を走っているので、信号も全然ない。渋滞もなく高速道路みたいな快適さで、さらに言えば晴れた海岸線は景色もいい。

「仕事でこっちに来るのは初めてですけど、今日みたいな日は気分いいですね!」

「だよねえ。ふふふ、この眺めはワンボックスだからこそだよ?」

「それは認めます」

 この辺りは住宅が少ない上に高架の上なので、道路の側壁が低い。と言っても普通車だと視点が低いからコンクリートの壁ばかり見えることになるけど、商用のワンボックスだと運転席の位置がトラック並みに高いから壁越しにオーシャンビューを楽しめるわけだ。

「昼飯どうします?」

「途中で食べたい店があるんだけど、まだ遠いからちょっと遅い昼休みになりそう。我慢できる?」

「大丈夫です」

 俺は佐藤さんのナビにしたがって、バイパス道路を降りようと左にハンドルを切った。


 佐藤さんが行ってみたいと言った店は、市街地を縦断して山間部の郊外に入った辺りにあった。

 山小屋風の外見の小洒落た多国籍料理店で、ちょっと男一人では入らなさそうな店。実際にデートで来るカップルが多いみたいで、俺たち以外はそういう二人連ればかりだった……平日だけど社会人っぽいの多いな。どうでもいい話だけど、こいつらの職業が気にかかる。

 細身のわりにいつもは男前な注文が多い佐藤さんだけど、今日はパスタをメインにコース料理っぽく軽くまとめた内容でウェイターに頼んでいた。俺もそれに近い感じで、でもシェアして色々な物を食べれるように違う物を注文する。

 地元名産豚を使った仔豚のポークピカタを一口摘まみ、アイスティーのグラスを揺らしながら佐藤さんが笑った。

「こういう時、うちの会社はいいよね」

「何がですか?」

「アルコール扱ってないから、この料理に合う酒は……とか考えなくても済むじゃない」

「あれは職業病ですよね……」

 ワインや日本酒なんかを売って回っていると、休日に入った店でも料理を食べて無意識にお勧めの提案とかを考えてしまうらしい。ビール会社なんかはまず外の行灯看板を眺めて自社製品を置いてない店はスルーするとか。 

「ソフトドリンクはそこまで飲料の力が強くないですからねえ」

「乗り換えてもらうのに、味で提案しないしね」

 何で提案するかって? 金だよ。大量に買ったらオマケつけたり、サーバーのレンタル料を安くしたりする。店の方だってコーラやオレンジジュースを飲み比べて“美味いからこっちにする!”なんて選び方はしない。“シャキット! シリーズを置いてない店には入らない!”なんてありがたいお客さんはいないのだ。


(それにしても、二人差し向かいでシェアして食べてるとか……)


 景色を堪能しながらドライブして、人気の店で料理を分け合って食べている。まるで……まるで、本当に佐藤さんとデートしているような気分になってくる。

「鈴木君の頼んだラビオリもいいねえ……他のパスタも気になって来たわ。また来てみない?」 

「そうですね!」

 佐藤さん、俺と同じ皿の物を食べることに違和感を持っていないみたいだ。現金なもので、それだけで俺の評価が彼女の中でかなりいい方なんじゃないかと思えてきてしまう。だって、親しくなかったら取り分けて食べるなんてしないよね。

「どうしたの? 手が止まっているよ?」

「いえ、なんでもないです」

 俺はにっこり笑って、一度置いたフォークに手を伸ばした。




 普段は走らない距離を走って、やって来たのは高原にある道の駅だった。営業に配属されて、これだけ遠くまで来たのは初めてだ。

「鈴木君、自家製骨付きソーセージだって! 食べていこうよ! 絶対美味しいヤツだよ!?」

「そうですね。でも生ビールはダメですよ」

 はしゃぐ佐藤さんの視線の先を読んで、俺はやんわりけん制しつつ高原の澄んだ空気を胸いっぱい吸い込んだ。やっぱり街とは違った清々しさがある。

「鈴木君、これ良くない? 君の部屋に飾らない?」

「まだ売ってるんですね、ペナントなんて……」

 佐藤さんは到着時にチラッと時計を見たっきり、後は仕事の話なんかおくびにも出さずにお土産物や展示物を見て騒いでいる。アポの時間よりだいぶ前に着いたらしい。

「ロデオマシーンなんか日本にあるんだ……」

「やらないで下さいよ? 佐藤さん今日はタイトスカートなんですからね」

「パンツスーツならOKってことだね!」

「転げまわったスーツでお客さんに会うつもりですか」

 相変わらずな思考回路の佐藤さんに苦笑しつつ、俺は自分の言葉で商談の事を思い出した。慌てて時計を見ると、到着してから結構な時間が経っている。

「佐藤さ……!」

 呼びかけようと顔を上げた俺の前で、佐藤さんが優しく微笑んでいた。

「だいぶ元気が出たみたいだね。もう大丈夫かな?」

「……佐藤さん」

 佐藤さんの笑顔が、“なんでもお見通しだ”と心の内を物語っていた。


 俺が自分の冗談で結構きついショックを受けたことを、彼女なりに気にしていたのだろう。デートみたいな流れだったのも、やたらとはしゃいでいたのも、俺がすっかり気を落としているのを持ち直させようとしてくれていたのだろう。


 こんな後輩想いな先輩がいるだろうか。


 佐藤さんの顔を見てそれを感じ取った瞬間、いじけていた気持ちが一気に洗い流された気がした。わだかまりの解けた俺は素直に頭を下げる。

「すみません、ご心配かけました」

「いいのよ。私の不注意な一言が原因なんだし」

 佐藤さんは俺の肩をポンポンと優しく叩き、日が暮れかけた空を見上げると大きく手を突き上げて伸びをした。

「今から戻ればちょうど退勤時間だね! さーて、それじゃ帰りますか!」


 ……うん?


 今、なんて?


「あの、佐藤さん? 商談は? お店に挨拶もしてませんけど?」

 俺が絞り出した問いかけに、佐藤さんが不思議そうに振り返った。

「無いよ?」

「はっ!?」

 いや、そう軽く「無い」って……。

 一日かけてここまで来たのはなんだったんだと茫然自失する俺に、佐藤さんがにんまりと笑い返してきた。

「鈴木君がずっとダウナーだったからさ。ちょっと気晴らしに、行きたがっていたドライブに連れて行ってあげようかと」

「はぁっ!?」

 車の車種について話していただけで、別にドライブに行きたかったわけじゃ……それは今、置いといて。

「えっ? じゃあ、ここに来たのって全くの私用、ですか!?」

「うーん、後輩のメンタルケアと言えば仕事にならないかな」

「なるような、ならないような……」

 産業医ならともかく、営業職が勤務時間中にするのはアウトだと思うが。

「そもそもここ、うちの管轄外だよ。東部支店の担当じゃない」

「そうでした!」

 俺もなんで気がつかなかった! よく考えたら距離を走り過ぎてるよな!


 今日は丸一日、一切仕事をせずにドライブしただけ。営業車で。


 ……とても営業日報に書けない……。

 事実関係を認識して青くなる俺の肩を佐藤さんはまた豪快に叩き、いたずらっぽくウインクしながら自分の唇に人差し指を押し当てた。

「黙ってたらバレないって」

「そ、そういう問題ですか……」

「今日行く予定だった訪問先には、ちゃんと朝のコンビニで予定変更のお詫びを言っといたから。そっちからチクられる心配はないって」

「あの時の電話、そういう電話だったんですか……」

「明日からしばらくサボらず働けば、今日の分ぐらい簡単に取り戻せるよ」

 鼻歌を歌いながら車に戻って行く佐藤さんの華奢な背中を見送り、俺は改めて思った。


 やっぱりこの人、トンデモねえ……。

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