第6話 佐藤さんに抉られる

 九件目のお得意先を辞去した頃には、もう早くも薄く紫色に染まり始めた空に宵の明星が瞬き始めていた。

「やれやれ、今日のノルマは何とか達成だね」

 佐藤さんが肩をぐりぐり回しながら首を振って骨を鳴らす。俺も愛想笑いで引きつった頬を両掌でマッサージしながら頷いた。

 一押しの新製品が出るということで、今営業部は連日パンフレット片手に顧客の店を回って説明に歩いている。正直こんなドブ板選挙みたいな人海戦術をしているより、ゴールデンタイムにCMを一本打った方がよっぽど効果あるんじゃないかと思うのだが……これはこれでやらないといけないらしい。いきなりCMをやってしまうと消費者にはアピールできるけど、「事前に告知もなかったから、客に聞かれても知らなくて恥をかいた!」と小売店を怒らせる事態もあるそうな。効率良くっていうのも難しい。

「さて、課長に今日の進捗を報告するけど……車も持ってきてないし、直帰にさせてもらおうか?」

「そうしましょう!」

 俺は佐藤さんの提案に一も二も無く頷いた。

 今日は駅近の顧客を集中して回るために、資料だけ担いで徒歩で来ている。今から路線バスで問屋街の支店まで戻るのは時間の無駄だし、直帰ならこのまま飲んで帰ってもいい。もし佐藤さんの都合が良ければ、彼女とサシで飲むのも楽しそうだ。

「それじゃ、ちょっとブラついて時間を潰してて。課長に電話するよ」

「わかりました」

 手近の電飾看板に肘を置いて会社支給のガラケーをいじり始めた佐藤さんを置いて、俺はぶらぶら歩きながら付近を見回した。

 どこか手頃な居酒屋がないだろうか? 飲みに誘うんなら、先に店を見つけておきたいものだけど……。

 佐藤さんは気取ったレストランも似合いそうだけど、残念ながら俺が似合わん。それに営業からの直帰上がりなら、サラリーマンの行きつけって感じの店の方が良いだろう。個室で周りを気にせず盛り上がるのもいいし、大部屋で楽しげな雰囲気の中でというのもあれはあれで……。

 そんな感じでギリギリ佐藤さんの視界に納まる辺りまで歩いて行った俺は、角から二件目にある大手チェーンの海鮮居酒屋にアタリをつけた。こういう店、意外性は滅多に無いけど大外れは絶対無いからな。

「値段はだいたいどれくらいだろう?」

 給料日までまだ半月あるしなぁ、と思いながら道路に立っているA看板を見た。


《とにかくエロいぞ! 各人気レーベル毎月続々入荷中!》


 俺は一回目蓋を閉じて、親指と人差し指で目の付け根を揉んだ。

 今日は個人商店ばかりまわったからなあ……クセのある経営者ばかりだから、気を使って疲れているんだな。

 目を開いてもう一回看板を見た。


《とにかくエロいぞ! 各人気レーベル毎月続々入荷中!》


 何も変わっていなかった。

「あっれぇ!?」

 驚いて一歩下がった俺は、ビルの全景を見てやっと気がついた。

 外壁についている看板は居酒屋の行灯看板が派手で目立つけど、一階には全然関係ない不動産屋と消費者金融が入っている。居酒屋は二階で、俺が今見た看板の横には地下へ降りる専用階段が口を開いていた。地階のセルビデオ店の看板だったわけだ。

「なんだ……」

 大手が恥も外聞も無く、いかがわしい商売でも始めたのかと……後日勉強の為に改めて出向かなくちゃならないかと思ったじゃないか、紛らわしい。

 それはともかく。


 階段横の壁には綺麗なお姉ちゃんがセクシーなポーズを取っているポスターが、スペースと大家が許す限り一面に貼ってある。

「……」

 ジャンルによるのかもしれないけど、近頃はこの手のポスター、かなり出来が良くなって来たよなあ。デザイナーの質が上がったのか、写真加工の技術が上がったのか、非常に心誘う魅惑的な写真ばかりに……。

 思わず俺は今の状況を忘れ、しばし大人の社会見学にふけってしまった。


「……と、マズいマズい!」

 俺は今外回りの終わりかけで、電話をしている佐藤さんを待っていたんだった! 新作AVの品定めなんかしている場合じゃない!

 一応視界の内にいるようにしていたつもりだけど、気がつけば夕闇とともに通行人の量も増えている。佐藤さんが俺を見失って帰っちゃったかもしれない。

 慌てて俺は振り返る。幸いなことに佐藤さんはちゃんと見えるところにいた。


 ……いや、不幸なことにと言うべきかも知れない。


 いつの間にか電話を終えていた佐藤さんは俺の二メートル後ろで、ニマニマしながら自前のスマホで俺の動画を撮っていたのだから。




「わかる! わかるなあ!」

 やたらに上機嫌な佐藤さんが、馴れ馴れしく俺の肩を抱いて来る。ここまでのボディタッチはさすがにほとんど無いから貴重な感触なんだけど、その前段階を踏まえると素直に楽しめない。

「あの、ホントに……」

 居酒屋を探していて、たまたま目に入っただけなんです。そう主張したいのだけど。

「大丈夫、誰にも言わないから安心して!」

 全然わかってない。

「この動画は人には見せないから! 私が時たま見返して爆笑したいだけだから!」

 全く安心できない。

 すんごく楽しそうな佐藤さんが、めっちゃ乗り気な笑顔でサムズアップする。

「鈴木君は動画派なんだね!」

「変な区分をつけないでください!」

「ああごめんごめん、写真もイケるクチなんだ」

「そういう事ではなくて!?」

 ドン引きされなかったのは良かったけれど……この人、からみ方がオッサンだよ!?


 俺が団体行動中にさえ、先輩の目を盗んでAVを品定めするような男と思われたままなのは嫌すぎる。だけど今は全然弁解を聞いてくれそうにないし、かといって落ち着いてからだと訂正しようもないくらいイメージが焼きついちゃっているかも知れない。

 どうしたものかと悩んでいると、佐藤さんが俺の袖をクイクイと引いた。

「ほら鈴木君、こんな所に立ってても仕方ないよ」

「あ、そうですね」

 ビデオ屋の店頭で突っ立っているのも宜しくない。誰に見られるかわからない。俺は佐藤さんに袖を引かれるまま、この場所を立ち退いて階段を降り……って、おい!?

「佐藤さん!?」

「なに?」

「なんでビデオ屋に入ろうとしてるんですか!?」

「そりゃあ、君」

 俺が崇める美貌の先輩は、常識だろ? って顔で真面目に答えた。

「気になったんなら、ちゃんと確認ストコンしなくちゃ。外で考えていたって時間の無駄だよ」


 地階だけあって天井は低いけれど、ビル自体が大きいからか店の面積はなかなか広く感じる。DVDだけじゃなくて、その手のグッズとかコスプレ衣装とかも売っているみたいだ。

 まあ店の感想はどうでもいい。

「ほうほうほう、思っていたより整然としているね」

 俺の横で佐藤さんがしきりに感心しているのが問題だ。

 入口に近い棚を見ていた客たちが急に踏み込んできた美人OLにぎょっとして、視線を合わせないように一斉に目の前の棚へ集中し始めた。奥の通路を回って来た人なんか、佐藤さんを見たとたんにビクッとして急ぎ元来た方へUターンしている。マジごめん。

 同性の友人にカミングアウトするのも躊躇しちゃうビデオ屋での買い物中にさ、全く知らない女性(しかも相当な美人)が手元を覗き込んで来るんだぜ? こんな羞恥プレイに平然と耐えられるのは相当な上級者だ。

(なんでこの人、こんな場所でも向上心を発揮するかな……!)

 アダルトな世界を見聞したからって、佐藤さんの今後にメリットはないと思うんだけど!?

 俺のそんな心の叫びも察することなく、興味本位に男のナイーブな領域に踏み込む佐藤さん。スーパーでも見て回るみたいに、平然と棚を見回しながら歩きまわっている。

 居たたまれないのは極秘の買い物をじろじろ見られる他の客と、その問題人物について回らなくちゃならない……俺だ。

(もう勘弁してくれよ!?)

 そう心の中で何度叫んだか。

 なにしろ。

「女優、メーカー、体型、職業に性癖……検索の仕方も色々あるのね」

「ソウデスネ」

「扱い商材はDVDだけじゃないんだね。関連商品は集めてディスプレイが、やっぱりどの業界でも主流かあ」

「ソウデスネ」

「ブランド別と女優別があるのはお客が探すのに調べにくくない? 二ヶ所展開してるの? ……あ、ブランド別に並ぶメーカーは一定の性癖に特化してるのね」

「ソウデスネ」

 この人、なんで真面目に視察してるんだろう。いや、この空間でなぜ真面目に視察できるの!?

 佐藤さんはじっくりと、余すところなく店内を観察している。女優別のコーナーではどういう外見の女優が好まれるかトレンドを調査し、エッチな道具はパッケージを手に取り様々な形状の用途を確認。見本があるヤツは手に取って動かしてみている念の入れようだ。SM用品コーナーにはマネキンにフル装備させたディスプレイがあったので様々な角度から熱心に眺め、セクシーランジェリーは縫い目までチェックしている。

「渋谷系とか名古屋嬢って、あまりにターゲット層の範囲が狭くないかしら。メーカーのこだわりはわかるけど、ユーザーがついて来れているのか気になるなあ」

「これ『ジョークグッズだから自己責任で』って断り入れているけど、実際に使用して故障で感電とかしたらPL法を用途外で免れられると思う?」

「ほおお……このサイズ、ホントにお尻に入るのかしら? マネキンだからってことは無い? それとも展示用だから大げさにディフォルメしてる……?」

「裏地が無いのはまあ用途的に仕様だとしても、ちょっとこの値段でこの品質は酷いわ……縫製も甘いよね。鈴木君、この縫い目を見てよ」

 さすが佐藤さん。いつどんな物でも手抜きをしない仕事ぶりだ。

 でもひとつ言わせていただければ。


 うちは飲料メーカーであってアダルトグッズは作ってないんですけど!

 阪本食品㈱はこちら方面への経営多角化は予定してないんですが!


 そして二言目には「鈴木君、どう思う?」って分析を聞いて来るのを止めて欲しい。知らない人ばかりとはいえ、ここで名前を呼ばれるの物凄く恥ずかしいのをわかってくれないだろうか。匿名の客Aでいたいんだよ、誰でも。




 ちょっと距離を作って、佐藤さんが実は全部分かった上で俺に対して言葉責めを実行中という可能性について考えていると。

 他の客は皆出来るだけ距離を開けようとしていたのに、痩せた男がソソッと佐藤さんに近寄っていくのが見えた。

(珍しいな)

 まさかビデオ屋でナンパでもあるまいし。

 珍しい男の行動を、佐藤さんのボディガードたる俺はついうっかり見逃してしまった。自意識過剰なイケメンが闊歩する繁華街と違って、こんな所で佐藤さんに声をかけるヤツなんかいないだろうと高をくくっていたのだ。

 むしろ呆気にとられて眺めていると、男はモジモジしつつもDVDのパッケージを見比べている佐藤さんに話しかけた。

「あ、あの……」

「はい?」

 佐藤さんは話しかけにくい怜悧な容姿をしているけど、実際に話が始まればむしろ受け答えがハッキリしていて喋りやすい。見知らぬ男にも営業職らしく、パッと表情も柔らかく応対している。

「あ、あの……お姉さん、どこのレーベルですか? 今日は営業で?」

「いえ、今日はあくまで市場調査で。うちはまだこちらには製品並んでないんですよ」

 最初の会話を聞いただけで、俺は話のズレに気がついた。

 あのおじさん、女優がサイン会とかに来たと思ってるな。そして佐藤さん、いったい何の市場調査だ!? しかも“まだ”って!? うちがこの店に商品並べる可能性はそもそも無いだろ!

 しかし俺の思いとは裏腹に、二人の会話はかみ合わないまま進んでいく。

「ほーう、新レーベルの女性社員物ですか! こまめにチェックします!」

「ありがとうございます。ご期待に添えるように頑張ります」

 どこまで言ったら食い違いに気がつくのか、ずっと見ていたい気もしたけれど……佐藤さんが名刺を出しかねない可能性に気がついて、俺はダッシュで駆けつけて引っ張り出したのだった。




「あー、そっかあ。そう思われたのか」

 俺が勘違いを指摘したら、佐藤さんはケロッとした顔でカラカラ笑った。今の一件、何にも気にしてない。どこまで行ってもブレない人だな……。

 男の生理反応に理解があるというか拒絶反応が出ない俺の先輩は、自分がセクシー女優に間違えられてもまだ退去する気が無さそうだった。腕をワキワキさせながら周りを見回している。

 だから俺の方から申し出た。 

「佐藤さん、そろそろ出ませんか? もうアダルトショップの見学はいいでしょう」

「あらら、ダメだよ鈴木君」

 佐藤さんは俺の鼻に人差し指を押し当て、本気の顔でビシッと言って来た。

「今夜鈴木君が楽しむ珠玉の一本を、まだ選んでないよ」

 そっちの勘違い、まだ引きずってたのか! 

「いやー、ごめんごめん。私ばかり見て回っちゃって、せっかく買いに来たのに鈴木君がじっくり探してるどころじゃなかったね」

「いや、だからそれはですね……」

「それでどんな娘がいいの? 私が一緒に選んであげる!」

「勘弁してくださいよ!?」

 これは、アレだ。デートに母ちゃんが付いてきちゃう感じのヤツだ。デートに母親と、おかずに先輩と、普通どっちが恥ずかしいんだろう?


 どっちも恥ずかしいに決まってるよ。


 男の生理反応に理解があり過ぎる先輩を持って、俺はきっと幸せなんだろうな……本人的には、片思いの相手に男どころかケダモノとさえ思われてなくって泣きそうなんだけど。


 どう説得しようかと言葉を探す俺を尻目に、付近の棚を厳しい査定人の目でサーチする佐藤さん。彼女の様子を見るに、何か買うまで店を出られそうにない。

 いっそ適当に一本買って出ちゃおうか……そんな考えも頭をかすめる。だけどこのノリだと何を買ったか見たがるだろうし、今後佐藤さんにそれが俺の性癖だと思われ続けるのも絶対阻止したい。

 出口が見えず俺が悶々としていると、腕組みして棚をにらんでいる佐藤さんがポツッと呟いた。

「鈴木君の今のトレンドはOL系かあ」

「はい?」

 急におかしなことを言われたので佐藤さんの見ている棚を一瞥すると、確かにそういうジャンルの物が並んでいた。いや、興味はあるけどコレだけが好きというわけでも。

 さっきの突撃男から身を隠すつもりで佐藤さんを引っ張り込んだ場所がちょうど職業系コーナーだった。特にコレってつもりもなかったけど、でも意識すると確かにじっくり見比べちゃうね。

 つい無言で見入ってしまった俺の横で、佐藤さんが頷いた。

「鈴木君の視線の動きからすると、黒パンストにタイトミニの組み合わせが今注目のホットなコンテンツだね?」


 ……怖っわ!?


 あんたホントにただの営業職!?

 組んで二年もしてから判明した先輩のスキルに、俺は身体の震えが止まらない。

「なっ、なんで視線の行方なんか追えるんですかっ!?」

 思わず絶叫しかけた俺の問いに、先輩はしれっと。

「棚の配置を覚えていれば、目の動きでどれを見てるってわかるよ。競合店調査ストコンの時なんか、お客さんがどんな順番で商品をサーチするのか見えれば棚割りの時に有利だしね」

 ……俺には、まだまだ学ぶことがいっぱいだ。

 だがとりあえず。

「制服物はスルーしたから一般職には興味が無い。香取ちゃんは対象外か」

 身近に置き換えるのは止めてくれ。

「こっちの年上に甘えるヤツも視線が止まらなかったね。寺内さんも興味無し?」

 だから身近に置き換えないで欲しい。それとあの人はOL物じゃなくて熟女系だ。うちの母より歳が上なんだぞ。




「んんー、これはチョイスが難しい」

「いえ、ですから。もう今日はよしにして出ましょうよ……」

 これ以上心理テストされてたまるか。

 もう先輩の前だろうと、俺は取り繕わずにため息をついた。これ以上騒いだらお店に迷惑だし、何より時間が経てば経つほど俺の内側が丸裸にされそうで怖すぎる。

 だけど出口へ急き立てようとしかけた俺の前に、佐藤さんが一枚のDVDを突き出した。

「というわけで、厳正な選考の上で私がプレゼンでお勧めする注目の一品はこちらです!」


 …………ほう。


 佐藤さんの持っているパッケージ。気の強そうなスタイル抜群の美女が、タイトなスーツの上から手足を縛られてこっちをにらんでいる。

 なんというか、ピチピチのスーツにグラマーな肢体とか、艶めかしいパンストにつつまれた素敵な曲線美とか……それを縛るって、全体のバランスと組み合わせがイイね!

 特にこのキツめの顔の女優、セミロングの髪を茶髪にしているんだけどギャル系じゃなくてあくまで清楚系。そんな女性を強引にとか、なかなか“もののあはれ”を感じて興味深い。

(だけど、この女優どこか見覚えがあるような……)

 乗り気になった中にも何か頭に引っかかりを覚えて、俺は首を捻った。


 キツめ、茶髪、セミロング、タイトミニ、パンスト美脚、清楚な美人。そのパッケージを持ってる佐藤さん。そしてそれを熱心に見つめている俺。 


 俺の背中を、新たに冷や汗が流れ落ちた。




「買わないの? 絶対お勧めの一品なのに」

「買いません!」

 俺は赤くなる顔と青くなる表情を見られたくなくて、佐藤さんに顔を向けないようにするのに必死だ。

 佐藤さんは気づいているのか? 気づいているよな。

 あの女優、どこからどう見ても佐藤さんとタイプ一緒なんだよ。しかもムリヤリ系のAVだ。それを熱心に見ていたってことは、俺に佐藤さんをそうしたい願望があるように取られるじゃないか……!

 だから絶対に認めちゃいけない。

 なのに一流セールスウーマンの佐藤さんは、俺に一押しの商品を買わせようと言い募ってくる。これ貴方の仕事じゃないでしょ!? 変なところに特技をぶっこんで来るなよ!?

「タイトルは『傲慢上司に倍返し! ヒステリー女が土下座するまでお仕置き十連発!』。平リーマンの鈴木君にはちょっとそそるタイトルじゃない?」

「センスが古いです!」

「私の市場調査によれば、鈴木君のフェチごころにフィットする確率は八十七パーと統計が出ている逸品だよ!」

「なんの市場調査ですか!」

「百二十分も入って、お値段たったの三千九百八十円!」

「普通の値段です!」

「相場知ってるんだ」

「あっ……」

 言い争っているうちに妙な言質を取られて思わず振り返ると、佐藤さんが満面の笑顔でトドメを言い放った。

「絶対お勧めだよ! これで鬱憤晴らしちゃえ!」

「自分に似てるって自覚があって勧めてたのかよっ!?」




 結局買わずに店を出て、ブーブー言う佐藤さんを追い立てながら駅に向かう。もうサシ飲みするような気分じゃない。

「本当にいい加減にして下さい」

「えー? 福利厚生の一助にと思ったのに。嫌な上司に一発入れるつもりでサンドバッグを殴るアレだよ?」

 そういう発散の方法はある。だけどそれを殴られる本人が勧めるのはどうなのか。

「俺は佐藤さんに業務的には鬱憤なんか溜めてませんから!」

「業務的には?」

「それから、あなたも身の危険とか真剣に考えて下さい! あんなDVD見て、俺がとち狂って佐藤さんを襲ったらどうするんですか!」

「大丈夫だよ。私、鈴木君を信用してるから」

「そういう甘い考えが良くないって言ってるんですよ!」

 佐藤さんは知らないからそんな呑気なことが言えるんだ。俺が何度も抱きしめたくなってムリヤリ自制心で押さえつけていることを。元から佐藤さん距離感近いし、俺の方はもう毎日毎日いっぱいいっぱいなのに。


 仕事に慣れることに今までがむしゃらで、将来のことなんか何も考えてなかったけど。こんな風に男のヤバいところを煽られて、やっぱり思う。

(佐藤さんと対等につきあえたらどんなにいいか……)

 だけどこの余計な世話の焼きぶりを見ていると。一人前の同僚以前に、一人前の男とさえ当分見てもらえそうにない。

 まだ反論して来る佐藤さんを無理矢理電車に押し込みながら、俺は先の長さを思いやった。




 家に帰ってスーツをハンガーにかけていると、ポケットに何か違和感があった。

 探ってみたら出て来たメモは、いつも見ている佐藤さんの筆跡だ。


“「傲慢上司に倍返し! ヒステリー女が土下座するまでお仕置き十連発!」

 ピンクビデオカンパニー㈱ 監督:江呂井好雄 価格:三千九百八十円  

 ※ネットで注文するならきちんと送料まで込みで価格を比較すること!  ”


「いつの間に入れてたんだ!? いや、それ以前にいつの間にメモってたんだ!?」

 それ以前に、なんでここまで人に買わせたがるんだか動機がさっぱりわからないがな!

 まるっきり子ども扱いの注意書きまで含め、俺は佐藤さんの突き抜けぶりに思考が追い付かない。


 何を考えているんだかわからない我が指導係に俺はしばし脱力し、そして気力が戻ってからパソコンを立ち上げた。

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