3
空は不気味に曇り、雨が静かに降っている。
暗い昼の中、一機のヘリが紫雨研究所へと近付いていった。
紫雨研究所は、外周二十キロにも及ぶ塀で囲まれている。だだっ広い実験場には、森や沼、草原などの自然環境や監視塔が立てられている。実験場にはどんな生物が潜んでいるのか分からない上に、周囲の塀にある門は閉鎖状態の為に開けることはできない。
その為、研究所に近付く手段として、ヘリが採用された訳である。
「見えてきたぞ。あれが研究所だ」
隊長の言葉に、テン達は緊張を走らせる。
実験校のただ中に、地面に突き立つ槍のような建物が見えてきた。
あの八階建てのビルこそが、紫雨研究所である。この国でも最高峰の研究所で、最高の頭脳が集められている。
ビルの設計は海外の有名なデザイナーに依頼したとかで、商業施設のような構造をしている。
「降りれるか?」
「大丈夫です」
紫雨研究所の上空に到達し、操縦者のコウタはヘリを降下させる。ヘリが屋上に近付くと、テン、タンツル、ミナの三人が先に降り立った。
テンが屋上の出入り口を確認すると、事前情報の通りに封鎖されていた。左手でスキャンを試みても反応をしめさないし、銃で壊すことも簡単ではなさそうだ。
情報通りなら、下の階への階段にもシャッターが下りているらしい。ここからの侵入は無理と見て良いだろう。
「こっちはダメだ」
「どうにかしろよ、メカ野郎」
「俺の仕事は、屋上への出入り口が使えるか使えないかを確認することだ」
「言われたことしかできねー奴だな」
タンツルは、意味の分からない嫌味を言いながら、ミナと協力して削岩装置を設置する。削岩装置を起動させると、不快な音を撒き散らしながら、屋上の床が削られていった。
「ポイントに降下完了。三時間以内に通信する。通信が無ければ、我々は死んだものとして対応してくれ……ダメだな。やはり通信が妨害されている」
石を削る耳障りな音を聞きながら、通信機を弄っていた班長が被りを振った。
「通信は難しそうですか?」
「ああ。施設から妨害電波が出ているらしい」
コウタも通信機を確認するが、異常はない。不調は外部的な要因に間違いないだろう。
「妨害電波を止めないといけませんね」
「いや、内部に入って避難シェルターを確認したら、直ぐに離れるべきだ。テトラドラクマは、深く関わらない方が良い研究らしい」
「ドラクマは普段使われている手毬とかでしょ?その発展形であるテトラドラクマに、別段害があるとは思えませんが。案外通信不調のための行き違いかも知れませんよ」
「希望的観測で動くな。最悪の事態を常に想定しろと、いつも言っているだろう」
「分かってます。けど、やはり手毬とかが、どう恐ろしくなるのか分かりませんね」
「確かにな。私は調整前のドラクマを見た事があるが、小さくて可愛いモノだよ」
「カワイイは分かりませんが……」
コウタは何かをグッと我慢して、班長に調子を合わせる。
「基本、子供用ですもんね」
「ああ。しかし、そんなモノを、人間の脅威に変えてしまったとしたら禁忌だ。ドラクマの研究成果は素晴らしいが、その発展形とやらは悪だ」
「悪ですか」
コウタは班長の物言いに苦笑いしつつ、少し考え込む。
「でも、今回の騒動って、本当に実験体の暴走でしょうか?」
「言いたいことは分かる。実験隊の暴走と言うのは建前で、他の何かが起こったのかも知れないと言いたいのだろ?」
「ええ。それによって僕達の行動は変わってきます」
「化学物質が漏れたか、実験動物が逃げたか。自らの所業に耐え切れなくなった研究員が発狂し、武器を持って暴れているというのも有り得るな。嘆かわしい」
班長が呆れた様に首を振った時、屋上の掘削が完了した。
班長は話は終わりとばかりに、早口で言い切った。
「しかし、何が起こっていようと、我々の行動は変わらん。生き残りを見付けて、救助する。命令通りだ」
「まあ、そうなんでしょうけどね」
班長は開いた穴から下を覗くが、電気が消えているので全貌が見えない。不気味に暗い廊下の先が、化け物の胃に続く食道の様に思えて、五人の緊張が高まった。
「私が先に降りる。お前らは後に続け」
「「はい!」」
掘削機から垂れ下がったロープを伝って、班長が石造りの廊下に下りた。
「暗いな。誰かライトを付けろ」
「はい!」
班長に続いてロープを下りたテンが、ライトを点灯する。闇に埋め尽くされた重苦しい廊下が、僅かだけ本来の姿を取り戻した。
「メカ。ライトなんて使わないで、自分が発光して照らせよ」
「キンニクがオイルでテカって照らせよ」
軽口を叩きながら、五人は広い廊下を進んでいく。
紫雨研究所は、吹き抜けがあったり、広いラウンジが用意されていたりと、商業施設顔負けの設えになっている。しかし、現在は非常灯以外の電気は消え、冷房も切れて蒸し暑い。人の気配も全くなく、煌びやかな顔とは真逆の静寂を生み出していた。
「紫雨、避難シェルターまでのルートは覚えているか?」
「頭に入れてますよ、班長。先頭は任せて下さい」
「うむ。任せた」
テンは先行して廊下の角を曲がると、拳銃とライトを構えてクリアリングする。
――ゾクリと。
背骨が氷柱に変わったような寒気を感じた。
「何か居る!」
テンは叫び、ライトで『何か』を探した。
「警戒態勢を取れ!」
タンツルが廊下を曲がり、テンの死角を無くす形でクリアリングする。しかし、テンもタンツルも『何か』を見付けられない。
「メカ野郎!なにもいねーじゃねーか」
「分からない。でも、気配を感じたんだ」
「何もいる気配はねー。メカの感知センサーが壊れてるんじゃねーか?」
「俺が機械を埋め込んでるのは、両手足だけだ。感知センサーなんてないんだよ」
「つっかえねーな!」
「なんだよ、使えないって。キンニクは、外部装置に賛成か反対か、どっちなんだよ」
「機械なんて、しょうもないモノを体に埋め込もうって奴は、全て愚かって事だ」
「アホみたいな戯言垂れ流すなよ!聞いた俺が愚かだったよ」
「んだと、こら!」
「馬鹿たれ共が、目の前の事に集中せんか!」
「「はい!」」
テンとタンツルは班長に怒鳴られ、脊髄反射的に姿勢を正してしまう。
その瞬間だった。
爆発音の如き衝撃が廊下を揺らし、落下してきた何かがコウタを吹き飛ばした。
「は?」「え?」
コウタは悲鳴すら上げずに、廊下を転がっていく。残りの四人は慌てて対応しようとしたが、降ってきたモノの異形に言葉を失ってしまった。
「なんだ……この悍ましいモノは」
班長だけが、絞り出すように不快を吐き出した。
四メートル近い巨躯に、腕が四本、足が四本備わっている。そう呼んでいいのか分からないが、上腕が二つと、前腕が二つで腕の長さが人間の倍。鼻も口も二つあり、耳は四つ。四つある目が光り、四人を見ていた。
ギャアアアアアアアアアアアアア
化け物が悲鳴のような咆哮を上げ、其々の腕で四人に掴み掛った。
「ぐ!」「あが!」
逃げ遅れたテンと班長が、化け物に捕まる。大きな手で締め上げられ、骨が撓み、内蔵が血に濡れていく感触が沸き上がる。冷たい熱に炙られて、意識が遠のいていくような錯覚を覚えた。
「そいつらを離せ!」
タンツルとミナは化け物から距離を取り、マシンガンを構える。しかし、テンと班長を盾にされて引き金が引けない。
ギャアアアアアアアア
化け物に振り回され、壁に接触した班長の頭が弾け飛ぶ。首から鮮血を撒き散らす班長の体は、砲弾の如き速度で投擲された。命中したタンツルは吹き飛ばされ、気を失った。
「……やられて堪るかよ!」
班長が殺されたその合間に、テンは左腕の装置を起動させ、化け物の腕に叩き付ける。スプリングの入った左腕は、強烈な勢いで化け物の手を撃ち据えた。
ギャアアアアアアアアアアアアア
化け物が驚き、テンを離す。
「走って!」
「すまない!」
ミナはマシンガンを撃ち、化け物を牽制する。ミナの脇を駆け抜けたテンは、気を失っているコウタを担ぎ上げると、ミナに変わって化け物にマシンガンを撃つ。
「いくぞ!」
「ええ!」
ミナがテンの横を駆け抜けた事を確認してから、テンも逃走体勢に入る。
ギャアアアアアアア
「不死身かよ!」
腕で体を覆って銃弾をやり過ごした化け物は、怒りに吠えながら三人を追ってくる。
「こっちよ!」
時々後方に牽制射撃を行うテンより、ミナの方が先行して逃走していた。ミナは天井付近の通風ダクトを見付けると、銃撃でダクトを抉じ開け、ワイヤー装置で通風孔に入り込む。
「急いで!」
「分かってるよ!」
テンは左右の脚の装置を起動させる。両足に入ったスプリングは連続して地面を蹴り、テンを加速させていく。
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
「うく……あの腕の力に捕まったら、もう逃げられないぞ!」
化け物は恐ろしい速さでテンに迫り、その背中に腕を伸ばす。テンは転がって腕を回避し、崩れた体勢のまま走り出した。
「テン!すぐ後ろに来てる!」
「分かってるんだって!」
テンは両足に力を籠め、ダクトまで跳躍した。ミナはテンの腕を掴んで引き上げながら、化け物にマシンガンの弾を叩き込む。
「と、到着……」
「走るわよ!」
「少し休みたい!」
「死ぬわよ!」
「冗談だって」
テンは一度ダクトの入り口に牽制射撃をすると、体勢を立て直して走り出す。
「うわっとと!」
走り始めた所で地面が揺れて、バランスを崩し掛けた。後方を確認すると、化け物がダクトの入り口を広げて、無理矢理中に入ろうとしているのが目に入った。
「しつこい!」
ミナは弾倉に残った弾丸を全て化け物の手に叩き込んだ。
そのまま後方は確認せず、テンとミナは狭いダクトの奥へと逃げていった。
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