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「テン、コウタの様子はどう?」
テン、ミナ、コウタの三人は通風ダクトを通って、高校の教室ぐらい部屋に逃げ込んでいた。理科室のような雰囲気で、何かの研究室の一つだろうと思われた。
「命に関わる怪我じゃない。でも、右腕は神経から潰れていて、もう使えそうにない」
「そう……でも、命が助かってよかったわ」
この研究室にも電気が通っておらず、ミナは懐中電灯を付けようとしていた。しかし、逃げる途中に壊れたのか、苦戦している様だった。
「待ってくれ、今電気を付ける」
テンは右腕を操作すると、天井を指さした。暫く様々な機器がカタカタと動いた後、電気が点き、部屋が照明に照らし出される。
どこかから非常用の電源を盗ってきたらしい。
「いつも驚かされる。便利よね、それ」
「電磁パルスで精密機器を遠隔操作できるだけさ。リモコンみたいなもので、便利は便利だけど、大したものじゃないよ」
「テレビとかも付けれる?」
「理論上は付けれるけど、やらない。テレビが壊れたら、誰も弁償してくれないからね」
「メーカーに文句を言えばいいじゃない」
「この腕はメーカー製じゃなくて、俺が大学の卒業研究で作ったんだよ。だから、安全性とか保証とかないんだ」
「それは不便ね。このパソコンの電源は付けてくれる?」
「そんなの自分で………分かったよ。はい」
「ありがと」
「パスワード解析する………これで使えるよ」
「その辺は本当に便利ね」
「でも、今になって考えると、腕に埋め込まなくても良かったんだよね」
「間違いないわね」
ミナは、パソコンで施設の検索を始める。
テンはコウタに使える薬はないかと棚を漁っていたが、あるモノを見付けた様子。
「手毬があった!これなら、コウタの腕が再生できるかもしれない」
「手毬?ああ、腕のドラクマ?でも、ドラクマって基本、子供用でしょ?」
「う……培養装置はないかな?」
「あるかもしれないけど、今日明日で使えるモノじゃないでしょ。それに、培養装置なんて、パソコン動かす程度の電気じゃ動かないでしょ」
テンは項垂れ、腕に抱えたガラスケースを見詰めた。透明な入れ物の中では腕のドラクマが、ゆっくりと動き回っていた。
「……もしそれが大人用でも、僕に使うのは止めてくれないかな?」
「目を覚ましたのか!大丈夫か、メガネ」
テンはテーブルにガラスケースを置き、コウタに話し掛ける。
不安定に置かれたガラスケースが地面に落下し、中身を床にぶちまけた。腕のドラクマはのそのそと逃げたが、元々弱っていたらしく、壁に行き付く前に動かなくなった。
「死んじゃったみたいね」
「勿体ないことしたな」
「これ、左腕のドラクマよ。移植したら、両腕が左になっちゃうわ」
「あ、そうか。じゃあ、右腕探してくる」
「だから、移植は受けないって」
「なんでさ?メガネって、原理主義者だっけ?」
「ある程度はね。人がドラクマを移植してるのに文句を言うほど暇じゃなくなったけど、自分がするとなると抵抗があるよ」
「そういうもんか」
「そもそも、培養装置が使えないって言ってるでしょ」
ミナはパソコンを操作して、施設の状況を見せた。思った通り、非常電源の電気量では、施設の復活は出来そうになかった。
「イインチョウ、廊下に下りてるシャッターの操作は出来そう?」
「無理ね。何よりも強いプロテクトが掛けられているわ」
「何かから人を守るためのシャッターじゃなくて、何かを外に出さない為の措置だね」
「何かっていうのは、あの生物よね?」
「『テトラドラクマ』……アレに捕まったら、命はないよ」
「正体不明の、巨大生物。力も強くて、足も速い。意思の疎通は出来そうでなく、どう考えても私達に殺意を持っている。班長も殺されて……私達も逃げ切れるかしら?」
「あいつ等は、シャッターの向こうに居るんだろ?なら、俺達は大丈夫なんじゃないの?」
「いいえ、安全ではないと思うわ」
「どういう事さ?」
「この映像を見て。シャッターの幾つかが、壊されているの」
「本当だ。先遣隊が銃か何かで破壊したんじゃないの?」
「それなら、こんな捻じ曲がる様な壊し方にならないわ」
「テトラドラクマは、通風孔の淵を手で捩じ切ってた……あいつはシャッターを壊して移動できるって事なのか」
テンの顔が一気に青褪めた。ミナも沈痛な表情をしている。
「君達さ、ドラクマを気持ち悪いって思ったことない?」
そんな中、突然コウタに問われて、テンとミナは顔を見合わせた。2人は動かなくなった左腕のドラクマを見る。
2人の視線の先に有るのは、サッカーボール程の大きさの球体から、無数に左腕の生えた物体である。
ドラクマ……シルバーデビルとも呼称されるこの代価生物は、遺伝子操作したクローンである。手毬と呼ばれるこのタイプのドラクマは、クローンに最低限の生命維持機能を持たせた上で、左腕ばかりが生えるように作ってある。腕は適時切り取られ、化粧品のテストや各種実験、腕を失った人への移植などに使われる。
便利であるが、問題が在るとすれば――――と、ドラクマ自身の寿命が短く、子供に使える程度の大きさにしか成長しない事である。
「全然」
「気持ち悪く感じたことは無いわね。見慣れてるし」
「そうかい。僕は気持ち悪いね」
コウタは息を吐き、独白の様に零した。
「僕は生まれつき肝臓が弱くてね、子供のままに死ぬか、一生人工透析器に繋がれて生きるかしかなかったらしいんだ。でも、僕は肝臓のドラクマの移植手術を受けた」
「良かったじゃないか」
「良くないよ!僕がその事実を知ったのは、高校生の時さ。あの頃の僕はドラクマは人類への冒涜だとか、クローン作成は人類が越えちゃいけない境界線だとか言ってた。キンニクよりも勉強して、そういう学科に進もうと思ってた。クローン反対の論文も書いたし、ドラクマの反対運動にも参加してた。
けど、そんな僕を見兼ねた両親に事実を伝えられて、僕は何を言う権利も失ったんだ」
「メガネ、大げさな話か?そのままの道に向かえばよかったんじゃないか?」
「無理だよ。僕は僕の中に生きるドラクマの臓器が気持ち悪い。けど、それが無ければ人生すらこの手に無かったという事実を、ないがしろにする事なんてできないんだ」
ケイタは、包帯でグルグル巻きにされた自分の腕を見る。
麻酔で痛みは消えているが、テンの診断通り、まともな治療では動かないだろう。今ここでドラクマ移植のための処置をしなければ、腕が腐り、他の治療もできなくなるかもしれない。
そうなったら、人工の骨や筋肉で、それらしい形にするか、テンのように機械の義手を取り付けるか、それとも右腕の無いまま生きていくか。そんな選択をすることになる。
どれが『人間』の形に近いのか。麻酔にぼやける思考では、上手く結論が出せなかった。
「あれでも人間なんだぞ……ドラクマは僕達と同じ人間なんだ」
「……それは直視しなくていい事実だよ」
「お気楽だね。僕にとっては、血が巡る度に考えなくちゃいけない真実さ」
コウタはしんどそうに体の向きを変えた。
「昔のドラマでさ、肺の悪い子供が、別の子供から肺を片方移植されるっていうのがあったんだよ。顔を覚えてないまま其々が人生を生きて、最後に二人は再会するって感動話さ。
でも、僕の中で生きる臓器は、どっから盗ってきたんだって思ったよ」
「生きる形なんて、なんだっていいじゃない。命があるだけで十分よ」
「簡単に言うよ」
「簡単な事だもの」
ミナとコウタは睨み合い、部屋の空気が凍る。
「私ね、テトラドラクマに着いて調べたことがあるの。そして、今研究資料を見て確信したわ。私達が見たテトラドラクマは、ドラクマの正当な発展形なのよ」
「……道理で醜悪な訳だよ。彼らに罪はないけど、僕は受け入れられない」
「そう?私は素敵な発想だと思うわ」
「……どこがさ?」
「テンは分かるわよね?」
「なんで俺に聞くのさ?」
「テンなら分かっている筈だもの」
ミナに期待の目を向けられて、テンは深い溜息を吐く。
「あの大きさのテトラドラクマを見せられたら、嫌でもコンセプトの予想は付くさ。でも、素敵だとかの結論は出せない」
「そう。じゃあ、説明してあげて」
「なんで、俺に振るのさ?」
「私今興奮しちゃって、ちゃんと説明出そうにないモノ」
「なんだよ、それ」
テンは嫌々ながらも、予測に基づいた説明を始める。
「皆知ってる通り、ドラクマは、左腕なら左腕、肝臓なら肝臓だけが沢山生成される様に作られたクローンだ。難点としては、寿命が短くて、子供用程度にしか器官が成長しないって事だね。
でも、テトラドラクマは、大人にまで成長する。多分だけど、臓器なんかの器官が人間の倍の数あるんじゃないかな?腕とか口とか、そんな感じだっただろ?」
「なんて危険な研究なんだ……クローン人間に、人間以上の機能を持たせたって事だろ!」
「そうなんだろうけど。でも、あの腕を切り取れば、大人にだって腕の移植ができる。肺だって、大人用が4つあるっぽいんだぜ?有用じゃないか」
「実験素体にだって、命はあるんだよ。テトラドラクマをそう使うのは、僕は反対だ」
「ドラクマは活用していいけど、テトラドラクマはダメなんて、勝手さ」
「ドラクマを積極的に使えなんて言ってないさ。でも、そうだね。テトラドラクマには、人間以上の機能がある。それなら、人間以上に感情があるんじゃないのか、ってこと」
「感情があったら、殺しちゃダメなのか?」
「まな板の上の魚が、君にフレンドリーに話し掛けてきたら、君はその魚を食えるのか?」
「そりゃ、気持ち悪いけど。でも、テトラドラクマを活用するのは、畜産と変わらないよ」
「顔の見えない生物だから、死んだって構わないってだけじゃないか」
「今更、道徳を言われても……普通の事じゃないか」
「……そういうとこが理解不能なんだ。人間の真理は不変だ。命は犠牲になっちゃいけない」
「代わりに沢山の命が救えるじゃないか」
今度はテンとコウタが火花を散らす。
ミナは逆に落ち着いたようで、テンに作戦決定の催促をする。
「で、どうするの、テン?施設の詳細な地図が有ったから、進めそうなルートの再検索は終わったわ。大回りするか、シャッターを2個程抉じ開ければ、避難シェルターへいけそうよ」
「それは良かった。皆はここで待っててくれ、キンニクを探してくるよ」
「言うと思ったわ」
「止めときなよ、テン。あの状況で助かるとは思えない」
「そうでもないだろ。化け物が俺達を追ってる間にキンニクは逃げられたかもしれない」
「だったら、尚更無駄足だ。キンニクは移動してるよ。向かう先はきっと脱出用のヘリだ。僕としては、このまま僕達もヘリに行って脱出したいね」
「何言ってるんだ、メガネ。それじゃ俺達が来た意味が無いじゃないか」
「化け物の存在を確認しただけで十分さ。この研究所を破棄すべきだって報告が出来る。大体、班長を失って、一人は所在不明。一人は右手が使えなくなってる。既に撤退案件だよ」
「私は撤退には反対よ。少なくとも、研究員を脱出させるべきよ」
「いつも冷静な君らしくない判断だよ、それは」
「イメージを押し付けないで。このまま帰ったら、私達の人事考課は滅茶苦茶よ」
「そんな事で、命を投げ出すのかい?」
「キャリアは命を賭けるべきことよ。この世に仕事以外にすべき事ってある?趣味?恋愛?それって一生続ける事?世界中の人々を幸せにできること?」
「う……」
「分かったら、さっさと避難シェルターにいる研究員達を救いに行くわよ」
いつも以上に強引なミナのやり口に、浩太は口を噤んだ。
そして、少し考えて合点がいったように、不満顔になる。
「……分かった。イインチョウは、この研究所が破棄されるのが嫌なんだね。研究に肯定的だったし、何かあるんでしょ?研究成果を企業に売る気とか?」
「ゲスの勘繰りなら、好きにすればいいわ。アナタの脳細胞が無駄に死ぬだけだから」
「ちょっと待てよ、2人とも!早くキンニク探しに行こうぜ」
「そんなの、研究員に通信を回復させて、キンニクと連絡を取ってからでいいじゃない」
「あ、そっか」
「これで多数決として2対1ね。どうするの、メガネ」
「どうするもこうするも、怪我した僕に選択肢はないんだろ?着いて行くよ」
「じゃあ、まずは階段に……全員、廊下から離れて!」
突然、ミナから悲鳴が上がった。
―――――
その後、全てが無音になった。
施設全体が揺れたような衝撃が体を叩き、窓際まで吹き飛ばされる。
「うう……何が起こったんだ?」
廊下側の硝子が全て割れ、壁も拉げているのが目に入った。
朦朧としている。いつの間にかテンは床に転がっており、赤い血が目に入って来る。
白む意識のまま廊下側を見ると、怒りに燃える瞳と遭遇した。
炎のような、渦のような。妙に感情の分かり易い、4つの瞳。
テトラドラクマの巨躯が、壁を捩じ切りながら自分を見ていたのだ。
「あ……あ…」
殺されると思った。喰われると確信した。逃げようとしたが、体は思うように動かない。テトラドラクマを家畜の様に語り、人類の発展など口にしていた自分が愚かしい。
捕食者はどっちだ?弱いのはどっちだ?
語るまでもない。述べるべくもない。
生まれついての力の差により、螺旋する相克の異形は優劣に咽ぶ。
ギャアアアアアアアアアアアアアアア
「あ……?」
テンが死を覚悟した時、廊下が赤く照らされた。テトラドラクマは悲鳴を上げ、走り去ってしまう。
何事かと思っている内に沢山の足音が雪崩れこんで来て、ムカつく奴の声を聞いた。
「生きてるか、メカ?」
「キンニク?無事だったのか?」
「おお、生きてんのか。じゃあ、いいわ」
「いいわって……ぐえ……」
タンツルは、とっととミナの生存確認に移る。
投げ出されたテンは、後頭部を地面に打ち付けた。
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