8
道中にテトラドラクマの気配はなく、地図の通り進路も確保されていた。
息を殺して不気味な静寂に沈む廊下を抜ける。程無くして、2人は侵入時に削岩機で開けた穴に戻ってきた。
「この上だ。登れるか?」
「この糸は頑丈ですか?」
「軍事用だから、戦車を釣り下げても大丈夫さ」
テンは自分達が来る時に空けた穴を昇り、屋上に出た。小走りにヘリに向かい、エンジンを掛けて離陸の準備をする。
「ほら、ヘルメット。これを被って」
少女にヘルメットを手渡すが、少女の反応は困ったものだった。
「私はこれに乗れません。他の脱出手段はないですか?」
「ヘリは嫌いなのか?」
「狭い所は無理です」
「閉所恐怖症かよ!穴倉に潜る研究員なのに!」
ヘリを前にぐずり出した少女に手を焼き、テンはヘリから降りる。
別にロープで建物から降りて徒歩で近くの町に行く事も出来なくはない。いや、素人の少女を連れて降りるのは難しいし、実験場にはテトラドラクマ以上の怪物が居るかもしれない。
一刻も早い増援が必要な今、少女の我儘に割ける時間も無い。
「どうしても無理なら、一旦置いて行くぞ?それで、別の輸送手段を手配する」
「その場合、あなたは戻ってきますか?」
「どうだろうな。個人的には戻りたいけど、上からは休めって言われるかもしれない」
「それは嫌ですね」
「おいおい、面倒な事を言い出すなよ」
テンはどうしたものかと頭を掻く。
その時だ――
ギャアアアアアアアアアアアアア
悲鳴のような雄叫びが鳴り響く。削岩機で開けた穴から、テトラドラクマが屋上へと駆け上がってきた。
「こいつ……嘘だろ!」
怒りに燃える目、怒号を吐く口。
必死の形相と表現できそうなテトラドラクマの顔は、白日の下で見るべきではなかった。
―吐き気を催す異形に、胃を握り潰された気がした。
―初めて見た彼の顔は、人間に似ている気がした。
「ぐああああ!」
テトラドラクマの持つ3丁の突撃銃が、テンの両足を撃ち抜いた。
「ひ!」
痛みは無いが、動くことが出来ない。
芋虫の様にのたうつテンを、テトラドラクマの構える対ドラクマ兵器が狙いを付けている。銃口が赤く光り、テンを焼かんと唸りを上げる。
「止めなさい、イチロー!その人を殺してはいけません!」
少女が叫び、テトラドラクマに拳銃を放つ。弾丸はテトララドラクマに効く様子はなかったが、気を逸らせてくれたらしい。
それだけあれば、なんたなる。
いや、何とかせねばならぬと、テンは右腕を限界を超えた駆動を行う。
「この!人間の兵器を下手に使おうとするのが、いけないんだよ!」
テンは右腕で電磁パルスを弄り、対テトラドラクマ兵器をショートさせる。銃が破裂し、目を焼かんばかりの閃光が走った。
ギャアアアアアアアアアアアアアア
テトラドラクマは苦手な攻撃を浴び、悶え苦しんでいる。
しかし、目に点る怒りは消えやしない。捨て身の突撃とばかりに、テンに掴み掛ろうとする。
触れられれば命の助かる筈もない、超重量かつ高速の突進だ。
「間に合え!」
対テトラドラクマ兵器の操作と並行して行っていた遠隔操作が完了する。
「命の恩人が『それ』嫌いらしくてね。俺達は、歩いて帰ることにしたよ」
テンの右腕と連動したヘリが飛び、横合いからテトラドラクマに直撃した。
顔面を押し潰されたテトラドラクマは、力が抜けたように吹き飛ばされる。そのままヘリともみ合いながら、屋上の外へと落ちていった。
「……助かったよ」
「あなたに死なれては、困りますから」
テンは近付いてくる命の恩人に礼を言う。
少女は平坦な声のまま、テンに手を差し伸べた。
「けど、帰る手段が無くなった。いや、化け物が死んだから、無理して早く帰る必要ないか」
「そうですね。脱出の方法をしっかりと考えなければなりません」
少女の手を握るって安心したのか、テンはドッと疲労を感じた。
夢を見ている様な、曖昧な感覚。
虚ろな視界で、少女を見上げた。
「テン!なんのつもりなの!そいつから離れて!!」
今にも眠ってしまいそうなテンの耳朶を、ミナの怒号が殴りつけた。鬼のような形相のミナは、少女に向けて対ドラクマ兵器を撃ち放つ。
ギャアアアアアアアアアアア
赤い閃光が走り、少女が吠える。
「あ……あ……」
テンが少女だと思っていたのは、悍ましい化け物だった。
さっきのテトラドラクマよりも小柄だが、一目で人間を凌駕すると理解できる鋼の様な肉体。
胴が人間の2倍の長さがあり、腕も脚も4本ある。
顔には、目と鼻と口が2つずつ。
胴体にも、2つの目が備わっており、テンのことを見ていた。
「超能力って奴で、幻覚を見せていたのか……?」
フェニックスは、残りのテトラドラクマは2体だと言っていた。
一体は№1と呼ばれる個体で、さっきヘリに吹き飛ばされた奴だろう。
もう一体は『爪』と呼ばれる個体で、脳が2つあり、特殊な能力を獲得しているという。それが目の前の個体なのなら、幻覚を見せても不思議ではないのかも知れない。
だって、テトラドラクマは人間を超える生物なのだから。
「爪ってクロー…?さっきのが一郎って言ってたから、お前は九郎って訳か?」
ギャアアアアアアアアアアアア
テトラドラクマは答えることはしない。脳を焼く炎に苦しみながら、テンの顔を掴み上げた。
「ぐああああああ!」
痛い、痛い、痛い、痛い!
物理的な力ではなく、サイコキネシスというヤツなのだろうか?テンは、脳を鷲掴まれる様な感覚に意識が飛びそうになる。
思い出すのは、廊下に倒れる脳味噌空っぽな死体。恐らくあれは、クローに殺されたのだ。
あんな死に方は嫌だと暴れるが、力ではまるで敵わない。
「やめ……やめろおおおお!!」
テトラドラクマに掴まれた右の眼球が潰れ、目の奥から溶けた脳味噌が溢れてくる。釣り上げられたまま、腹に噛み付かれる。腹の半分が食い千切られ、内臓が零れ落ちるのを感じた。そのまま何度も地面に叩き付けられて、骨も肉も潰れていく。
「死になさいよ!!」
再度ミナが銃を放ち、テトラドラクマの脳を焼き切った。テトラドラクマは力を失ったように、グチャグチャになったテンの隣に倒れ込んだ。
動かなくなったテンの上に、しとしとと雨は降り続ける。
その目は一体何を見るのか?
脳の無くなった空っぽの頭で、彼は一体何を思うのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます