終話② 捨てられ姫の結婚
皇宮の正殿を囲むロ型の建物。その一室で、大陸会議が開かれた。
トゥランによる短い挨拶が終わると、会議は軽食を取りながらの穏やかな報告会の場となった。
各国の代表が国の現状を報告する間、カナンはいつシリンを紹介されるのではないかと気が気ではなく、豪華な甘味も味わうことが出来なかった。
「我が
「あ、はい。持って参りました」
シオンは懐から二通の封書を取り出して、背後に控えるナガルに手渡した。
ナガルが運んできた封書をトゥランはその場で広げると、満足そうにうなずいた。
「今のは何?」
カナンが小声で尋ねると、シオンは「父上からの書簡だよ」と引きつった笑みを浮かべた。
「では、会議はここまで。各々くつろいでくれ。夕食の時間になったら迎えをやるから正殿まで来てくれ」
トゥランが立ち上がると、皆も立ち上がった。
そのまま個人的な話を始める者もいれば、好き勝手に露台へ向かう者もいる。
「カナン、学舎の工事を見てみようよ」
シオンに促されて、カナンも露台へ出てみた。
建物の三階部分から見下ろすと、平屋の細長い建物が並んでいた。まだ工事中だが、かつてカナンが乗り込んだ皇后の宮殿も姿を消していた。
「すっかり取り壊しちゃったのね」
露台の手摺につかまってかつての後宮の様子を見ていたカナンは、隣りにいるシオンに目を向けた。が、そこにシオンの姿はなかった。
「あれ、シオン様?」
後ろへ振り返ると、そこにはトゥランが立っていた。
ついさっきまで露台にいた人たちはいつの間にか消えていて、カナンとトゥランの二人だけになっていた。
「シオン王子なら部屋に戻ったよ」
「トゥラン皇子……っじゃなかった。こ、皇帝陛下! では、あたしも失礼しますね!」
何だかぎくしゃくしてしまう。
うまく喋れないし、歩き方も何だかぎこちなくなってしまう。
非礼にならないように、頭を下げてトゥランの横をすり抜けようとした時、トゥランの腕がカナンの行く手を阻むように伸びてきた。
「カナン姫。ちょっと時間をくれないか?」
「か、カナン姫? って…………な、なんか気持ち悪いから、今まで通り呼び捨てで結構ですよ」
「そうか。気持ち悪いか」
トゥランはククッと笑ってカナンの手を取った。
不意に手をつかまれたカナンはカチンと固まってしまい、トゥランに手を引かれるまま露台の手摺まで戻されてしまった。
「覚えているか? 二年前、カナンが乗り込んでいった皇后の宮〈正后殿〉はあの辺りにあった。今は学舎の正面玄関になっている。後宮は皇帝の権威の象徴のような場所だが、実際には争いを生むだけの場所だ。そもそも俺には不要なものだ。妃は一人でたくさんだからな」
彼の母は後宮に殺されたようなものだ。だから、後宮を不要だというトゥランの気持ちはよくわかる。同時に、シリン姫以外に妻を娶るつもりはないと告げているのだと、カナンは解釈した。
「確かに……そうですね。あの場所に居た人たちはどうしたんですか?」
「ほとんどの者は一族の元へ帰った。俺はいずれ、皇帝ではなく国王を名乗るつもりだ。いつか、水龍国のような、ぬるま湯のような国をつくるのが目標だ」
「ぬるま湯?」
アハハッと、カナンは笑顔を引きつらせた。
「馬鹿にしているんじゃないぞ。平和ボケできるほど平和な国ってことだ。ところでカナン、三年前の約束を覚えてるか?」
「三年前?」
「俺が皇帝になったら妻になるって約束だ」
「…………は? そんな約束はした覚えがありませんけど」
カナンはカッと顔を紅潮させた。
(この期に及んで何を言うのかしら? わざわざ蒸し返さなくたって、誰も結婚してくれなんて言わないのに!)
まだ、心の奥ではトゥランを想っている。でも、それを表に出さないだけの分別はあるつもりだ。
カナンは憤慨した。
「あたしの婚姻は、水龍国王が決めることになっています。国と国との絆を深めるために西の国へ嫁ぐ予定です!」
憤慨を隠さずに頬を膨らませると、トゥランは笑いをこらえるように首を傾げた。
「それはおかしいな。水龍国王から結婚許可証を受け取ったばかりだ。ほら、ついでにおまえの養父殿からももらっている」
トゥランが懐から出したのは、先ほどシオンが渡した封書だった。
「なにそれ!」
カナンはトゥランの手から封書をもぎ取った。そして、中身を広げて絶句する。
封書の中にあったのは、確かに国王の署名入りの結婚許可証で、もう一通には養父セヴェス・シンからの結婚許可証が入っていた。
「二人の父親の許可は取ってる。カナン、俺の妻になってくれるか?」
「えっ? えぇぇぇぇぇっ…………てゆーか! シリン姫はどうしたんですか?」
カナンは何が何だか訳が分からなかった。
「シリン姫との婚約は、属領が一斉蜂起する前に解消した。その後、傷心の彼女は幼馴染の護衛騎士と結婚した。ほら、フィルーザ王子の隣に座っていた男だ」
カナンは、フィルーザ王子の隣に居た目つきの悪い青年の顔を思い浮かべた。
「あの人が……シリン姫と?」
「ああ。
「そんな……」
カナンは呆然とした。
雪の舞う風草の地でシリン姫と出会って、カナンは身を引く決意をしたのだ。あの時のことを思うと今でも心が震えそうになる。
「おまえに断られると困る。ずっと前から俺の妻はおまえだけと決めている。だから、わざわざ各国代表を巻き込んで、大陸会議なんて茶番まで開いておまえを呼び出したんだ」
「茶番?」
「そうさ。茶番だ。大陸会議の顔ぶれを見たろ? みんな俺の家族みたいなもんだ」
「……家族?」
「さて、カナン姫。返事を聞かせてくれないか?」
露台の手摺に背中を預けていたカナンは、いつの間にかトゥランと手摺の間に挟まれていた。
トゥランが首を屈めてカナンの目を覗き込んでくる。
一人だけ何も知らされていなかったことは正直腹立たしい。けれど、それ以上の喜びが胸に込み上げてくるのは止められなかった。
もう、トゥランの瞳から目を逸らすことは出来なかった。
「早く忘れなきゃって……ずっと思ってた。でも、忘れられなかった。あたしは、あなたのことが好きです……」
込み上げてきた熱い想いが、涙となってこぼれ落ちる。
「なら、俺の妻になってくれるな?」
両手で涙を拭きながらうんうんとうなずくと、ほんのりと温かい唇がカナンの唇を啄んで離れていった。
「カナン、愛してる。もう何処へも行かせないから」
抱き寄せられるまま、カナンはトゥランの胸に頭を預けた。
けれど、カナンがトゥランの温もりにホッとできた時間は、ほんの僅かだった。
トゥランのとんでもない言葉が頭の上から降って来たからだ。
「実は、結婚式の用意をさせてあるんだ」
「……は?」
「もうおまえを水龍国に帰すつもりはない。これ以上婚姻を引き延ばされたらさすがの俺でも怒るぞ。お前は知らないだろうが、俺が水龍王に婚姻許可を求めたのは一年も前だ。その返事は、国内を平定するまで娘はやれんの一点張り。許可を得るまで、俺は一年も待ったんだからな!」
トゥランは何やら憤慨していたが、何も知らされていなかったカナンは何が何だか理解が追いついて来ない。
「各国の要人も集まってることだし、今夜の夕食を結婚の宴にしようと思う。本当はずっとこうしていたいが、カナンは今すぐ結婚式の用意を始めないといけないな」
トゥランは名残惜しそうに抱きしめる腕に力を込めると、もう一度カナンにキスをした。
「ラァナ、支度を頼む」
「はい。畏まりました」
どこからともなくラァナが現れ、トゥランの腕の中からカナンを引き取る。
「ええっ? ちょっ……まっ……待ってぇぇぇー!」
露台の上に、戸惑うカナンの悲鳴がこだました。
その夜の宴は、急遽、月紫国王と水龍国王女との結婚の宴に早変わりした。
ラァナによって飾り立てられたカナンは、月紫国風の白地に金の刺繍が施された裾を引きずる衣装。トゥランは青地に金の刺繍が施された典雅な
────後に解放帝と呼ばれる月紫国王は、王位についた年に妃を迎えた。
妃となった姫については、水龍国の王女であるという説と、水龍国の地方貴族の娘であるという説があるが、仲睦まじい二人は三人の男児に恵まれ、平和な治世をおくった。
彼が発案した大陸会議は彼の孫の代まで続き、平和な時は長く続いたと言われている。
了
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☆『水龍国の捨てられ姫』これにて完結でございます!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました<(_ _)>
皆さまの応援にとても勇気づけられました。本当に感謝しています。
2019年の12月に水龍国編(当時は「替玉王子」という題名でした)を終わらせたときは、こんなに長い話になるとは全く想像しておりませんでした。
当時は今以上に力不足で、ほとんど読まれず、そのことに心が折れて(笑)
打ち切り同然に終わらせた後も、「最後の五行」がずっと気になっていて、二年後に思い立って続編を書き出し、なんとか「五行」分のお話を完結させることが出来ました。
今までカナンとトゥラン、その他のメンバーを見守って下さってありがとうございました(*^^*)
書き終わったばかりの今は、この物語がはたして面白かったのかどうかわかりませんが、一年後などに読み返して、自分つっこみを入れてみたいと思います(≧▽≦)
ありがとうございました!
水龍国の捨てられ姫 滝野れお @reo-takino
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