終話① 大陸会議


 王命を受け、カナンが南部の実家に戻ってから、半年の月日が流れた。

 季節は春から秋へと移り、その間、シオンからの手紙が月紫国ユンシィと属領との争いを伝えてくれたが、詳しい情報は意外に少なかった。

 ただ、幸いなことに、王から政略結婚の具体的な話が来ることもなかった。


 さらに季節は秋から冬へと移り、新年を迎えてカナンは十七歳になった。

 王からは変わらず何の音沙汰もなかったけれど、その頃になって、ようやく属領の勝利と独立を伝える手紙が来た。


 カナンは王の言いつけを守り、家で静かに過ごしていた。

 まるで深窓の令嬢のように外出を控えているうちに日焼けした肌は白さを取り戻し、短かった髪も背中まで伸びた。


(もしかして、王様はあたしの結婚相手を探しあぐねているのかしら?)


 まさかとは思うが、自分のじゃじゃ馬さ加減が西国まで伝わってしまっているのだろうか。

 そう思うと何だか情けない気持ちになったが、現実に政略結婚を突き付けられるよりはいくらかマシだった。



 南部の穏やかな冬が過ぎ、春が来た。

 陽ざしが温かなある日。一台の馬車がシン家の屋敷の車寄せに入って来た。

 窓辺でくつろいでいたカナンは、偶然それを目にして興味を引かれた。


(誰かしら?)


 ほどなくして、コンコンと扉が叩かれた。


「カナン、ちょっと玄関まで来てくれないか?」


 呼びに来たサウォルは何だか変な顔をしている。

 どうしたのだろうと思いつつ一緒に階下へ降りてゆくと、サウォルの変顔の原因はすぐにわかった。

 玄関先で両親と対面していたのは、トゥランの従者であるヨナに女性だったのだ。


「もしかして、ヨナさんのお姉様ですか?」


 女装姿のヨナよりも背が低く、何よりも豊かな胸を持った女性。カナンは月紫国の皇宮で彼女に会ったことがある。ユーランと妻のイリアが皇帝の手の者に襲撃された時、カナンやサラーナと共に戦ってくれた人だ。


「カナン様! お久しぶりでございます。ヨナの姉ラァナでございます!」

「ああそうでした。ラァナさんでしたね。お久しぶりです!」


 カナンは笑顔で彼女の前に駆け寄った。


「実は、月紫国で大陸会議が開かれることになりました。会議に出席するのは月紫国と元属領の各国首脳ですが、カナン様とシオン様には、ぜひこの会議に立会人として出席して頂きたく、こうしてお迎えに参った次第です」


 ラァナは深々と頭を下げた後、カナンに向かって輝くような笑顔を向けた。


(大陸会議……)


 立会人という役割はよくわからなかったけれど、月紫国へ行けば────トゥランに会える。

 カナンの胸に浮かんだのは、その思いだけだった。


 もちろん、トゥランの横にはシリンがいるのだろう。実際に会ってしまえば胸が痛むこともわかっていたが、それでもカナンはトゥランに会いたかった。それに、月紫国がどのようになったのか、自分の目で確かめたいという思いもある。


 どのみち、正式な使者を立てて迎えまで寄越されてしまえば、行かない訳にはゆかない。


(でも……国の代表として行くなら、それなりの準備が必要よね?)


「あ、お衣装などの荷物は王都で用意してくださると、ユイナ様がおっしゃっていました。ですから、最低限の準備が整い次第出発したいのですが、よろしいでしょうか?」


 まるでカナンの考えを読んだように、にこやかな笑顔でラァナはそう言った。



 結局、王都までに必要な旅の準備をしただけで、カナンは急かされるように迎えの馬車に乗せられて、慌ただしく王都へと向かうこととなった。


 王都からはシオンと共に、ユイナ率いる侍女やナガルたち護衛兵が合流し、一行は二年前と同じく、蘭夏ランシァを通って月紫国の皇都へと入った。


「ずいぶん雰囲気が変わったよね。前よりも活気がある」

「ほんと。それに、港にいた兵士の数も少なかったわ」


 馬車の中、シオンとカナンは向かい合わせに座って窓の外を見ていた。


「勝利宣言は今年になって伝わって来たけど、もしかしたら、もっと前に決着はついていたのかも知れないね」


 シオンの言うように、トゥランはきっと、昨年の早いうちに皇都を掌握していたのだろう。そして、様々な後始末を終えてから勝利宣言をしたのだ。


 カナンが伝え聞いた情報によれば、今の月紫国皇帝はトゥランだ。

 彼の名で、属領だった国々は解放され、正式に独立した。ただ、かつての皇帝や皇后、皇子たちの処遇までは伝わって来ていない。


 今回の大陸会議もトゥランの発案によるものだという。

 月紫国と各国の間で起こる問題を速やかに解決するために、首脳同士が対等な立場で話し合う円卓会議だ。


(きっと、トゥラン皇子の横にはシリン姫がいるんでしょうね。あ、今は皇帝と皇后か)


 カナンは、二人が並ぶ姿を見るのが怖かった。きっと、恐ろしく醜い想いが心に浮かんでくるだろう。

 恐々たる気持ちで皇宮に入ったカナンだったが、宿舎となる宮で休憩したあと、会議場だという皇宮の建物に案内されるなり、嬉しい再会に目を回すこととなった。


「サラーナさん! ゾリグさんも!」

「カナン、久しぶり! その姿だと本物の王女様に見えるわね。とても綺麗!」


 サラーナは、若草色のチュニックドレスを着たカナンを褒めてくれたが、サラーナも風草ファンユン風の刺繍が施された豪奢な衣装を纏っていて、とても美しかった。

 カナンがサラーナと手を取り合って再会を喜んでいると、後ろから声がかかった。


「おーい、カナーン!」


 振り返ると、すぐ後ろにキースとトールが立っていた。

 麦わら色の髪を背中で束ねたキースは、青湖シンファ風の黒い礼服を身に纏っている。

その隣に立つトールは簡素な騎士服だが、ずいぶんと逞しくなったように見えた。


「俺、今はキース王子の護衛騎士やってんだ」


 そう言って顔を輝かせるトールは、兄のナガルに拳骨をお見舞いされていた。


「トール兄! 心配してたんだからねっ」


 へへっと得意げに笑うトールに、カナンも拳を振り上げた。ナガルに続いて拳を一発、彼の腹にお見舞いする。


「キースは青湖の王子様なのね。とっても素敵だわ!」

「カナンも綺麗だよ。ぜひ青湖に嫁いできて欲しいな」


 キースの軽口に笑って答えていると、薄紫色の長衣トーガを纏ったユーランがイリアを連れて現れた。


「滅多なことは言わぬが良いぞ、キース。我が異母弟がへそを曲げるからな」

「ユーラン様! イリア様も、お元気でしたか?」

「ああ。きみのお陰で今は優雅に暮らしているよ」


 ユーランは微笑んで、艶やかな牡丹の刺繍が美しい薄桃色の衣装を纏ったイリアを抱き寄せる。


「まだ面識のない者もいるだろう。紹介しよう」


 ユーランが手のひらを向けた先には、立派な円卓があった。十人以上はゆうに座れるほどの大きな円卓に、三人の男が座っていた。


「彼は南雷ナーレイの王子、クオンだ」


 左側に一人で腰かけていた青年が、ユーランに応えるように手を上げた。短く刈られた黒髪に、青灰色の瞳が魅力的な好男子だ。


「あっ、もしかして、ゾリグさんを助けてくれたっていう?」

「へぇ、良く知ってるね。俺がゾリグの恩人クオン・ナーレイだ。よろしく、水龍国の方々」


 続いてユーランは、右手に座る二人の男に手を向けた。


「彼らは蘭夏ランシァの代表だ。フィルーザ王子と義弟のアルティン」

「蘭夏の……」


 カナンは立ちすくんだ。

 二年前と同様に、今回の旅で蘭夏に立ち寄った時も、カナンたちが王族と顔を合わせることはなかった。だから、彼らが初めて会う蘭夏の王族だった。


「水龍国のシオン・スールンです。これは妹のカナンです。よろしく」


 カナンの様子を察して、シオンが進み出て挨拶をしてくれた。


「フィルーザ・ランシァです。妹姫のお噂はよく耳にしています」


 くるくる巻き毛の黒髪を束ねた色白の王子はにこやかだったが、隣のアルティンは鋭い目つきでカナンを睨んでいるようだった。


「……噂?」

「ああ、これは失敬。彼女には内緒でしたね」

「内緒って?」


 びくびくしながらカナンが周りを見回すと、目が合ったクオンが青灰色の瞳を細めて笑った。


「今回の大陸会議。実は、きみをおびき出す罠なんだよ」

「ええっ? 罠って……どういうことですか?」


 カナンが怯えた視線をクオンに向けた時だった。


「────みんな早かったな。水龍国の方々も、大陸会議にようこそ」


 懐かしい声に振り返ると、扉の前に青い長衣を着たトゥランが立っていた。

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