汚れた振りをした、汚れ無き者の断末魔

 何度も繰り返す言葉の裏側に、私は言葉とは違ったものを見て取りました。
 「いなくなれ」と、「ざまあみろ」
 まるで、「本当の自分をもっと見てくれ」、「こんなに汚れた言葉を吐ける自分を誰か愛してくれ」と云っているように感じます。
 でなければ、一体誰がこんなに曝け出せるでしょうか。世間は醜いものを嫌います。汚いものから目を背けます。でもこの吐き出している本人はわざとそういった言葉を吐く。彼の中で巻き起こる矛盾。それは、汚いとされたそれらを一心に受け止めた結果なのではないでしょうか。そしてそれを半ば強行的に認めさせるように、ナイフへと形を変えさせた。共感を得たいのなら、もっと別の言葉があった。でもそうしなかった。彼にはその言葉が思いつかなかったのではなく、それを誇示することで自分の証明としたのです。
 現代、ナイフが飛び交っています。何千と飛び交う中、必ず人生で一回は体に傷を負うでしょう。そんな時、嫌われ者になることさえ受け止めた、汚い言葉で身を着飾った純粋無垢な彼のことを、思い出さなければいけない。そして、彼と同じになるか否か。
 何にせよ、これを見なければ話しは進まない。

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