クリームソーダの頃

櫻井 理人

クリームソーダの頃

 放課後の軽音部部室。部室といっても、狭い中にドラムセットやら棚やら椅子など、無理やり詰め込んだ感が否めない――はっきり言って、ここは物置だ。その狭い空間に、俺を含め四人の男が顔を突き合わせて話をしていた。


「ねぇ、しのぶっち、今度の学祭で俺らがライブするの最後じゃん? せっかくだからさ、なんかパーッと派手にやりたくね?」


 ボーカルの斎藤さいとう孝輔こうすけ


「派手にね……いっそのことMCで手作り電子音流してみる?」


 バンドのリーダーで、ドラムの瀧澤たきざわしのぶ


「高校生活最後のライブか……感慨深いね」


 ベースの鈴川すずかわ悠希ゆうき


「何、年寄りくさいこと言ってんだよ」


 最後は俺――森山もりやま冬弥とうや。パートはギター。


ふゆちゃん、かったいこと言うなって。いいじゃん、本当にそうなんだからさ。しのぶっちの作る電子音って、プロも顔負けだもんね」


 そういう孝輔は軽いんだよ……と、ここまで出かかったが、まあコイツはいつものこと。三年間ずっとこの調子だ。今始まった話ではない。


「顔負けかはわからないけど、やってて楽しいからね」

「さっすが、工学部志望!」

「おだてても何も出ないぞ、孝輔」

「そういえば、卒業後どうするか決めた? 俺、色々悩んだけど、このメンバーで音楽を続けたいなって思ってる」


 悠希がいつになく真剣な表情で言うと、真っ先に孝輔が笑って答えた。


すずちゃん、それ俺も! しのぶっちと冬ちゃんは?」

「俺も、大学に通ったって、音楽は出来ると思うから。けど、俺が行きたいのは東京の大学だからな」

「しのぶっちは、T工大こうだいが第一志望だもんね。いっそのこと、みんなで上京する?」

「いいね!」


 孝輔と悠希が盛り上がっていたところで、俺は口を開いた。


「悪い、俺は無理。父親の病院継がなきゃなんねーし」

「冬ちゃんのお父さん、獣医だもんね。確かに厳しいよな……やっぱ難しいか」


 孝輔が落胆の声を上げる。


「……それより、曲は?」


 俺がつらっと言うと、今度は忍が答える。


「一曲新しいのを入れてみるか。全部だときついだろうから。その代わり、入れるならこの曲がいい」


 忍は音楽プレーヤーを取り出した。電源を入れ、目的の曲をタップする。流れた曲に全員が頷いた。


「いいじゃん、しのぶっち。これでいこうよ!」

「よし、決まり」


 約一か月半、俺たちは必死に練習した。

 そして、迎えた学祭の最終日。毎年のことだが、この日はいつもより一時間早く起床した。

 目にはインパクトの強い黒縁メガネの代わりにコンタクトレンズを入れ、ヴィジュアル系を意識した髪型に化粧……これが俺にとっての戦闘服のようなものだ。メンバーの中でもひときわ濃い化粧と突っ立てた髪型に仰天する奴らもいるが、俺にとってはどうでもいい。






 出番まであと少し。俺たちの最後のライブを見に、クラスメイトをはじめ、続々と観客がやってきた。と言っても、ここに来る女のほとんどは孝輔が目当てなわけだが。孝輔は某アイドルグループ系の甘い顔立ちに甘い歌声……このバンドの人気が保たれているのは、コイツのおかげと言っても過言ではない。

 そして、その中に……。


有坂ありさか……)


 有坂ありさか美月みづき――俺が一年の時から気になっている女で、一年の時だけクラスが一緒だった。それに対して、孝輔は有坂と三年間同じクラス。おかげで、毎年聞きに来てくれるのは嬉しいが、その度に俺はどういうわけか孝輔にからかわれている。それは、今回も例外なく……。


「冬ちゃん、あがらないようにね」


 孝輔に耳打ちされ、俺は思わずムキになった。


「うるせーな!」

「ほら、スマイルスマイル。冬ちゃん、黙ってたらそこそこイケメンなのにもったいない。そんな怖い顔してたら、女の子逃げちゃうよ」

「どうでもいいだろう、そんなこと……」

「そんなこと言っていいの? 彼女、こっち見てるよ」


 その言葉で、俺は思わず有坂の方に振り向いた。目が合うと、有坂は孝輔と俺に向かって手を振ってくる。


(やめろ……余計緊張するだろ!)


 心の中でツッコミを入れるが、当の孝輔はそんなことお構いなし。

 この日のラスト、俺たちは出番を迎えた。孝輔のMC――これが始まれば、考えることはただ一つ……この日のために練習してきた曲をミスなく弾き切ることだけ。緊張など、一気に吹っ飛んだ。






 ライブを終え、機材をひととおり部室に運び終えた頃、花火を知らせる校内放送が入った。


「天気怪しいけど、これ本当に上がるの?」


 悠希に言われて、俺も部室の窓から顔を出す。空はどんよりと、厚い雲に覆われていた。


「ああ、今にも降りそうだな」

「上がるって言うんだから、見に行こうよ!」


 孝輔に促され、外へ出る。校庭の芝生の上に寝そべり、花火が上がるのを待った。

 すると、孝輔が再び耳打ちをする。


「行ってきなよ、冬ちゃん」

「行くって……どこに?」

「決まってるじゃん――有坂さんのところ。冬ちゃん、分かりやすいんだもん。有坂さんと話している時、いつも嬉しそうだったし。彼女、かわいいよね。こうやって、もたもたしている間に他の男にとられちゃうかもよ」


 返す言葉がなかった。

 孝輔と俺の会話を聞いた忍と悠希も、


「行って来い」

「今年が最後のチャンスだよ」


 などと言って来たので、俺は有坂を探すことにした。

 それからまもなく花火が始まり、周囲はすっかり盛り上がっていた。学生と教師合わせて千人近くいる中から探すのは至難の業だ。加えて、傘をさすほどではないが、小雨も降ってきた。


(あっ、いた……)


 やっとのことで見つけた俺は、意を決して有坂の方へ近づいた。

 だが……。


「花火、きれいだね」


 そう話す有坂の隣には彼氏と思われる奴の姿があった。仲良く手を握り、会話をする二人の様子に俺は愕然とした。


(マジかよ……)


 俺がそそくさと校舎の方に戻ろうとすると、


「あっ、冬弥くんじゃない! ライブお疲れ様」


 よりによって、有坂に声をかけられた。


「ありがとう……」

(ああ……穴があったら、入りたい)


 そう思った矢先、小降りだった雨が本格的に振り出してきた。花火も終盤だったが、事務局がこれ以上は無理と判断したのか、終了の合図を知らせる放送が入る。


「風邪ひくといけねーし、中入った方がいいんじゃない?」


 雨のせいで、というより――雨に助けられたと言った方が良いのか……俺は教室まで無心で走った。教室に戻ると、俺の他にも何人かクラスメイトが戻っていた。俺が席に戻り、項垂れていると、


「冬ちゃん!」


 廊下から聞こえる孝輔の声。

 だが、それに答える気にはなれなかった。

 しばらくして、俺が廊下に目をやった時には、孝輔の姿はなかった。






 翌日の放課後、半ば放心状態で俺はギターを弾いていた。そんな状態で弾いてまともな音が出るはずもなく、後輩たちからは怪訝な顔で見られる。


(昨日のですっかり調子が狂っちまった……帰るか)


 居心地が悪くなった俺は、部室から飛び出した。

 学校の玄関で外靴に履き替えていると、後ろから肩を叩かれた。


「冬ちゃん! 良かった、間に合った」

「……孝輔」


 俺は思わず目をそらした。


「昨日の……見てたよ」

「えっ?」

「冬ちゃん、この後空いてる?」


 孝輔に連れられ、たどり着いたのはいつも使っているライブハウスだった。


「なんでライブハウスなんかに……」

「こういう時は、人生の先輩に聞くのが一番いいじゃん」


 そう言いながら、孝輔は扉を開けた。


「マスター、来たよ!」

「あら、くんとくん。今日出番だったかしら?」


 見た目は普通のバーテンダー――髭なんか生やしてかなりの男前――なのに、話す言葉は女言葉。俺たちがライブハウスとして使っているこの店は、実はバー。ライブハウスはいわばついで……バンド好きなマスターのおかげで使用料を取られることなく、俺たちは演奏することが許されていた。


「いや、今日はマスターに会いに来ただけ。たまには顔見たいじゃん。昨日は最後の学祭ライブだったし」

「昨日で最後だったのね、お疲れ様。くんとくんは、今夜は来ないの?」

「今日は俺たちだけ。ねぇ、クリームソーダ二つちょうだい! アイスクリームたっぷりで」

「勝手に頼むなよ。アイスたっぷりとか、ガキじゃあるまいし」

「いいじゃん、冬ちゃん。甘いもの食べると元気になるよ。ヤケ酒の代わりになるしね」

「お前が食いたいだけだろ」


 俺が呆れ返った声で言うと、マスターはくすくすと笑った。


「あらあら、うちはバーなのよ。けど、しょうがないわね……高校生にお酒を飲ませるわけにはいかないし。アイスはカクテル用に買ったのがあったわね」


 マスターは冷凍庫からアイスクリームの箱を取り出し、すぐに二人分のクリームソーダを作ってくれた。

 こぼれないように、スプーンでアイスを静かにすくって食べる。甘いアイスと爽やかな炭酸の味が口いっぱいに広がった。


「そういえば、こうすけくんはいつもとうやくんのことを『冬ちゃん』って呼ぶじゃない? 何で『冬ちゃん』なの? 冬生まれだからとか?」

「冬弥って、季節の『ふゆ』に、弥生やよいの『』って書くから」

「あら、きれいな字書くのね。今度から私も冬ちゃんって呼ぼうかしら。こうすけくんはどういう字を書くの?」

「親孝行の『こう』に車へんの『すけ』」

「じゃあ、孝輔くんはこうちゃん? かわいくていいわね」

「俺はいいよ。冬ちゃんだけで」


 二人のやり取りはもちろん聞こえている……だが、今の俺にとってはどうでもいいことだった。二人に俺のことを何と呼ばれようが、マスターが孝輔のことを何て呼ぶかなんて……まるで上の空。昨日の光景が頭から離れず、何度も頭の中で再生される。


「そう? じゃあ、早速……その様子だと冬ちゃん、何かあったの?」

「マスター、勘が良い。コイツ、昨日の」


 あまりにもはっきりと、孝輔の言ったたったが俺の耳に響いた。


「おい、孝輔!」


 その様子を見たマスターが再び笑い出した。


「あら、良い経験したじゃないの。何にも恥じる必要なんてないのよ、冬ちゃん」

「マスターまで……俺のことをバカにしているのか?」

「いいえ、恋は甘いだけじゃないのよ。炭酸のようにはじける恋もあれば、コーヒーのように苦い恋だってある。沢山恋をして、いい男になりなさい。どうせなら、『あの時あなたにしておけばよかった』って、いつか言われるようにね」






 あれから、約十年。マスターのいう「いい男」に俺はなれただろうか。ヤケ酒の代わりに飲んだクリームソーダのあの味が、今も俺の中に焼きついている。

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