その他の短編

パレードがやってくる。

 川添から駆け上がった風が、びゅうっと雑草で覆われた土手を吹き抜け、僕たちの頭上に盛りの過ぎた桜の花びらを舞わせた。

 花びらはくるくると目の前を踊ったかと思ったら、またも風の気まぐれでふっと遠くに逃げていく。

 午後の日の光に冷たい空気が混じり合うような、のどかな気分にもなりきれない帰り道を、僕たちは二人、だらだらとぼとぼ歩いていた。


「まだ、風冷たいね」

 一歩後ろを歩く亮太が暢気な口調で話しかけてくる。

 これが恋人からの台詞なら、僕の取るであろう選択肢も多岐に渡るのかも知れないが、残念ながらただの同性の幼馴染みに掛ける言葉はそう多くは無い。

「そうな」

 それからまた僕たちは無言でしばらく歩く。

「明日アイと天文台辺りをデートしよう言ってたけど、止めた方が良いかな?」

「そうか?」

「何そのやる気無い返事」

 どうやら先ほどの亮太の言葉はデートのアドバイスを求めた意味のある台詞だったらしいが、完全に求める相手を間違えているのは社会経験の少なさからだろうか。

 いや、違う。単に喋り相手が少ないからだ。

 何しろ僕たちの町で現役高校生なのは、僕と一つ年下の亮太とアイ(本名島里愛羅。ヤンキーっぽい名前だが地味系文学少女だ)。一つ上の先輩が三人(うち二人はカップル)、それに隣の市の私立校に入った寮住まいでもう半年は見掛けていない同級生の男子二名のみだ。

 従って亮太が恋愛経験の無い純朴な隣のお兄さんに無邪気な質問をしたところで、誰に責められる物でも無い。ただ僕の胸にチクリと何かが刺さるだけのことである。

 そりゃあ、先にお前が一人しか居ない近い年頃のフリーな女子とくっついちゃったら、僕はどこを向けば良いと言うんだ。先にお皿を下げられちゃって、後は『子供がまだ食べてるでしょうがあ』と叫んでくれる父親を待つくらいしかないじゃないか。いや、まあ良いんだけど。アイとはそんなに盛り上がる話も出来ないし。

 

 でも、と不意に思う。

 僕にも昔は手を引っ張ってくれる女の子がいたんだ。

 一つ年上で、近所に住む女の子。いつも僕を遊びに連れ出してくれた、優しい彼女。今となっては名前はおろか、顔も浮かんでこないけれど。その柔らかな手の感触だけは覚えている。

 どうしてこんな事を急に思い出すのだろうと思いながらも、幼かった頃の記憶の断片が次々と湧き上がってくるのは、イチャラブを見せつけられた寂しさからなのか、それとも春の陽気のせいか……。

 そうだ、あの日もたしか今くらいの季節で。

 あれは何があったんだろう。お祭り?

「いや。……パレード」


***


「パレード?

 あの、電気ピカピカの?」

「違う、エレクトリックなヤツじゃ無くて。普通の、パレード」

「……普通のパレードって何?」

 亮太の言葉ももっともだ。パレードなんて物、この町はもちろん、ニュースなんかでも滅多に見掛けない。

 それでも、かつてはこの町にもパレードがやって来た。正確には、隣町との境界の辺りまでやって来て、そこが終着点だったわけだが。

 何の為のパレードだったのかは今ではもう判然としないけれど。大方隣町のイベントの一環だったんだろう。

 まだ町に人が多かった頃。近所に駄菓子屋があった頃。本屋が本しか売っていなかった頃。まだ、大人達の顔付きが疲れていなかった頃。まあ、それは幼かった頃の思い出を美化しているだけなのかもしれないけれど。

 やがてそれらの多くは突然に去って行った。近くの町の企業が見限っただとか、そんな子供の世界から遥かに遠くの出来事によって。

 活気があった頃の町の名残は。彼女と彼女の家族を一緒に連れて遠くに去った。


「パレードなんて知らんけど、どっちみちそんな都会まで遊びに行くお金ないよ?」

「もうデートの話は忘れろよ」


***


「……なあ、なんでこんな何も無いとこに来るん?」

 ぼやきながらも後を付いてくる亮太を放置し、僕は微かな記憶の残滓をかき集めていた。

 何故そう思い立ったのか自分でも分からないけれど、胸の中に突然湧いてきた焦燥感を慰めるかのように、僕は町を彷徨い歩いていた。

 川沿いの道を途中で折れ、自分たちの家を素通りし、所々舗装の剥がれた道を進むうちにやがてポツポツと集合住宅が増え始める。

 もっとも戸数のうち半分も住人は埋まっていないけれど。

 かつてはぎりぎり商店街と呼べる規模だった通りを抜ければ、数年前に廃線となった我が町の駅舎が見える。申し訳程度のロータリーと共に。

 当然のように歩行者の影は無い。

 

「……久々に来たけど、相変わらず寂しい場所よね。

 あ、まだ喫茶店あるじゃん」

 亮太の視線の先には薄れたマジックで営業中と書かれた看板がドアにぶら下がる喫茶店があり、とても小さな音で知らないクラシックが流れている。

 パレードは何の曲を演奏していたんだっけ……。


 あの日、彼女は小さな手で、更に小さかったであろう僕の手を取り、この道を少し早足で進んでいた。

 駅前の真っ直ぐな狭い道を抜けたその先に、パレードが行進してくる通りがある。

 

「あの辺りまでパレードが来ていたんだよ」

 人影の無い通りを射貫くように真っ直ぐ伸ばした僕の指先を、亮太は興味なさそうに目で追う。

「だから、パレードって何なん?」

 鼓笛隊というのか、マーチングバンドと呼ぶのが正しいのか。

 赤と黒のやたら背の高い揃いの帽子を被り、綺麗に揃った足並みで演奏しながら歩く人達。その周りでクルクルと回りながら更新する、パステルカラーの衣装に身を包んだダンサー達。町の祭りでも見掛けないような大きな山車。

 皆楽しそうな表情だった。更新する人も、見ている人達も。

 たしかパレードが――

「突然、目の前に現れてビックリしたんだよな」

「えっ?!

 パレードって突然目の前に来るもんなの?

 そりゃビックリよね。突然電飾まみれのネズミやら熊やらが現れたら」

 ……いや、そうじゃない。

 でも、たしかにパレードが突然やって来るわけは無いので、実際はじっくり近付いてきたんだろうけど。なんだかゆっくり迫ってくるパレードを想像できない。

 そんな会話をしていると段々可笑しくなってきて、笑い合いながら通りに向かって歩いていると、微かな旋律を聴いたような気がした。

 それは胸の奥をそっと擽るような、懐かしさと優しさに包まれていて。

 不意にその曲を思い出した。

「春の歌」


***


「春?」

「春の歌、って呼ばれている曲だった。別にちゃんとした本当の名前があったはずなんだけど」

「ふーん。それを、パレードのバンドが演奏してたの?」

 そうだ。春の歌。

 ドイツだかオーストリアだか、何かその辺の民謡みたいな曲だったように思うが、正式な名前が思い出せない。

 そう、今、正に耳をかすめた旋律に似て――

 タイミング良く、再びそれは聞こえた。

 それは聞き間違いや錯覚では無く、確かに僕の耳に届いたメロディ。

 それは風と遠くの車の音に紛れた、誰かの口笛だった。

 

 あのパレードの熱気が。つないだ彼女の手のひらの温かさが。バンドの管楽器の音色が。ダンサーの目まぐるしく翻るスカートが。ヒラヒラと舞い散るのは紙吹雪か、それとも桜の花びらか……。

 これまでほとんど思い返すことも無かったかつての情景が、急に僕の周りの現実を侵食していく。

 誰かの叫び。誰かの笑い声。クラッカーの音。子供が走る靴音。屋台の匂い。

 僕が近付いているのは追憶の中の大通りなのか、もしくはパレードそのものなのか。

 郷愁、高揚感、いやこの際何でもいいけれど、熱に浮かされるままに通りへと出た僕が目にしたのは。

 車通りも無い大通りの端っこでポツンと自転車に跨がり口笛を吹いている、見慣れないセーラー服の女性だった。


 気が付くと、耳の奥で鳴っていた祭りの騒音も、人々の熱気も消え去っていた。

 あるのは静寂と、擦れそうな口笛の音だけ。

 そしてその口笛の主の姿に、再び僕の意識は吸い込まれる。

 見覚えがあるような、でも初めて見るような、不思議な横顔を、僕は呆然と眺めていた。

 「見掛けん女子高生ね」

 そっと口ずさむ旋律を邪魔しないように気遣ってか、亮太が僕にしか聞こえないような声で囁いた。


 同時に、彼女もこちらに気が付いたらしい。

 振り返った彼女の顔にはやはり懐かしさのような物を覚える。

 驚いた表情の彼女の顔にも、僕と同じ感情が混じっているように思ってしまうのは、僕の勝手な希望かも知れない。

 幼いあの日に手をつないで僕をパレードへと連れ出してくれた彼女なのか、それは僕には分からない。

 確かめようにも、僕は彼女の名前すら思い出せない。開き掛けた僕の口からは、声にならずに溶けて消えていく空気しか出て来ない。

 

 数秒見つめ合っていた気がする。

 やがてその誰かは、少しだけ微笑みを浮かべると、元の位置に顔を戻し、ゆっくりと自転車を漕ぎ遠ざかっていった。

 言葉も無く、既に口笛も無く。


「あれ、行っちゃった。

 コウちゃん、知り合いだったの?」

 亮太に答えようとして、上手く言葉が選べない。

 彼女の名前は何だったろう。

 喉元までせり上がってきているのに、それは依然として音にならない。

 けれど、代わりに一つ思い出したことがある。

 春の歌、その曲名は――

『春よ来たれ、我が町に』

 

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Stardust ~短編集~ 秋月創苑 @nobueasy

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