第8話 大家族の女主人(中編)

 山崎邸の夕食は実に賑やかだ。屋敷の東側には、ちょっとしたレストラン並の広い厨房がある。何しろ住人が多い上に、常に誰かが屋敷を訪れる。須美代が「ちょっとアンタ、ご飯食べていきなさいよ」と人を呼ぶことも多い。「一緒に食べた方がおいしいでしょ」とは彼女の言い分だ。だから料理もたくさん作らなくてはならない。

 須美代は広いダイニングの上座に座り、食前酒をちびちびと舐めている。美和が大きな盆に料理をのせて供する。

「ふうん、ナスの煮びたしに厚揚げの焼いたやつ。あら、小鯵の南蛮漬けかい。いいねぇ、アタシの好物だよ。こっちは手羽先を揚げたんだね。いいねぇ、ビールが進むわね」

「おばさま、炊き込みご飯もありますよ」

「そうかい、それもいただこうかね。それじゃ、みんな」

「いただきます!」

 この年になっても、須美代は健啖家だ。目いっぱい働いて、美味しいご飯と酒を楽しむ。それが長生きの秘訣だと信じて疑わない。同席している親類縁者の者も、須美代が旨そうに飲み食いするのを見て、安心して箸を付け始めた。その間を、美和と淑子が給仕に忙しく歩き回っている。

「美和ちゃん、ビールのお替り」

「はーい」

「あー、ごめん!  醤油こぼしちゃった。淑子さんだっけか、布巾ある?」

「あらあら、こちらですよ。お召し物は大丈夫ですか?」

「あ、ちょっと叔父さん、そこのマヨネーズ取って~」

「あいよ。お前、本当にマヨラーだよな」

「シイタケ嫌い~~」

「これ、お前はもう五年生でしょ。好き嫌いはダメよ」

 あちこちでみながワイワイ言いながら夕食を取る様子はなかなかの眺めだ。仕事でこの席にいない者や、子どもが幼いので別室で食事をとる親子もいるが、こうやって一族揃って食事をするのは、須美代がそう命じているからだ。

「家族なんだから一緒に食事をする。それが唯一の我が家のルールだよ」


「大奥様、炊き込みご飯でございます」

 淑子が持ってきたのはアサリがたっぷり入った深川めしだ。須美代の好物が炊き込みご飯というので仕込んだらしい。

「おやまぁ、これは美味しそうだ」

 アサリの旨みが詰まった深川めし。古くは深川の漁師たちが仕事の合間に食べる賄い飯だったとかで、決して上品なものではなかったという。仕事の合間にご飯を掻っ込む生活が長かったせいか、須美代は短い時間で食べられる丼ものや、混ぜご飯・炊き込みご飯の類が好物だ。 加えて貝類も好物の一つ。貝は肝臓にいいから、一石二鳥だ。

「……うん、美味しいよ。淑子さん、アンタ料理上手だねぇ」

「ありがとうございます。ところで大奥様、こちらの空いているお席は…?」

「ああ、そこかい。さっき遅れるって電話があったんだが……」

 須美代が説明しようとしたまさにその瞬間、「すみません、遅くなりました」という声と共に、若い男が飛び込んできた。

「おや、噂をすれば影だよ。これ、敬介けいすけ。こっちだよ」

 若い連中はたいていが年功序列で末席だが、この男は上座にある須美代のすぐ横が指定席だ。須美代がそう決めたのだ。

 「淑子さん、紹介するよ。この子は二番目の義弟の孫息子で名前は敬介。大学の三年生だ」

 敬介が淑子に礼をする。

「本日よりここでお勤めいたしております。家政婦の佐々木淑子と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いします」

「大奥様、ステキなお坊ちゃまですねぇ」

「あらそうかい、アンタもそう思うかい?」

 須美代はにんまりした。彼女は一族の中でも、この敬介が一番のお気に入りだ。甥っ子夫婦は確かに美男美女だったが、その両方の良いところを受け継いだのだろう。背はすらりと高く、涼やかな目元は母譲り、通った鼻筋は父譲りだ。しかもこの子は幼いころから賢かった。顔はともかく、おつむの出来はイマイチだった両親とは大違いだ。

「この子はねぇ、山崎一族の中でも優秀だよ。将来はアタシの片腕になれると思っている」

「おばさま、そんな恐れ多いことを……」

「照れるこたぁないだろ?  アタシゃ長年商売してきたんだ、人を見る目はあるつもりだよ。それに、才能のあるのを引き立てるのも上に立つ者の義務だからね。さ、腹が減っただろう。美和、敬ちゃんのご飯を用意なさい」

「はぁーい!」

 美和がいそいそと敬介の膳を用意する。彼女もまた、須美代のお眼鏡に叶った子だ。敬介が彼女の後継者にふさわしいのと同様に、美和には山崎家の家事を切り盛りできる才覚があると思っている。

 人にはそれぞれ適した才覚がある。それを見抜くのは女主人である自分だと須美代は信じている。二人ともまだ若いが、あと数年したら敬介には経営を仕込み、後継者に据えるつもりだ。それが済んだら、どこか良いところのお嬢さんをもらってこよう。美和はできることなら手許に置いておきたいから、どこかから婿を取ればいいだろう。

 須美代はぐるりと食卓を見回した。共に汗を流した義理の兄弟姉妹はもう年だ。仮に跡を継がせてもすぐに引退が目に見えている。現に一番上の義姉はボケてこそいないが要支援認定を受け、週に二回はデイサービスに通っている。他も似たり寄ったりというところだ。須美代とさほどの年齢差もないのに、ずいぶん老け込んだものだ。いや、須美代が年の割に若いと言った方がいいのか。

 かといって、甥っ子や姪っ子は、どの子も今一つの出来だった。親世代と比べ、仕事に対してガツガツしたところはないし、どこかで最後は須美代に助けてもらえると思っているようだ。自分が甘やかしたのが一因かもしれないという負い目もないではない。

 今、彼女が期待しているのは敬介や美和のような若い世代だ。須美代や甥っ子姪っ子世代は高度成長期やバブルのような好景気を経験しているが、彼らは生まれたときから不況感の中を生きてきている。その分、むしろ大人たちよりも冷静だし堅実だ。

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