第12話 名家の嫁(後編)

 「お義母様、大丈夫ですか」

 「大丈夫なわけないでしょう! ああもう、何てことかしら。せっかくいい気持ちでお風呂に入っていたのに……」

 春香は懐中電灯で浴室を照らす。ぼんやりと暗闇に浮かび上がった加代子は、例の「ハイカラ」な浴槽の中でぶつぶつと文句を言っていた。バスタブから両脚を出し、寝そべるような形での入浴スタイルは、金髪のグラマラスな美女がやればサマになるのだろうが、古希を過ぎた鶏ガラのような老女がやっているのはなんとも滑稽かつグロテスクだ。

 「まぁまぁ、大奥様。こんなところへ失礼いたしますよ」

 「あらいやだ、淑子さん。こんな格好でごめんなさ……!」

 加代子の言葉は途中で途切れ、代わりにゴボゴボという音や水が飛び散るような音が浴室内に響く。が、それもすぐに静かになった。

 「……終わりましたね」

 「ええ、もうブレーカーを戻しても大丈夫かと」

 浴室に再び灯りが付いた。加代子は目を見開いたまま、お気に入りのバスタブの中に沈んでいた。

 

 「社長、ご無沙汰しています! ただいま戻りました」

 「おお、人妻! ……いや、元・人妻か」

 事務所に元気よく入ってきたのは、春香だった。短くカットした髪は明るい栗色に染め、Tシャツにジーンズというラフなスタイルは、まるで別人だ。

 「今日からまたお世話になりますね」

 「あら、若奥様……じゃない、春香さん。お帰りなさい」

 「もぉ~、二人してからかわないでくださいよぉ」

 淑子はニコニコしながら、復職してきた後輩にコーヒーを差し出した。

 「春香さん、約二年間にわたる出向、本当にお疲れさまでした」

 「淑子先輩もサポートありがとうございました」

 「お前さんもよく頑張ったよ。偽装とはいえ、結婚までさせてしまったからな」

 小林が春香をねぎらう。


 今回の依頼人は、加代子の息子・山科修だ。とうに没落しているくせに「名家の嫁」という立場だけにすがっているプライドの高い母親を排除し、恋人と結婚したい。それが彼の望みだった。だが、相手の女性は年上。しかも、いわゆるバツイチの子持ちらしい。とてもじゃないが加代子が許すわけがない。

 「……なるほど、ではまず山科さんには、一度別の女性と結婚していただきます」

 「えっ……?」

 「なに、ペーパーマリッジってやつですよ。もっとも、同居が必要ですが」

 まずは修と春香が結婚し、三人で暮らす。ここが最大の難関だったが、修が「山科家を僕の代で途絶えさせるつもりですか」という殺し文句には、さすがの加代子もかなわなかった。そうやって春香が山科家に入り込み、「新婚生活もどき」を演じていたのだ。その間に修と恋人は二人の結婚のため準備を進めていた。彼がやたらに出張が多かったのも、実はそのせいだった。

 家政婦を雇う話は修から加代子に持ち掛けた。「女中さんの一人もいなくては、山科家の格にもかかわる」と、加代子のプライドをくすぐったのが功を奏し、二人の偽装結婚よりはスムースに進んだ。


 そして、天気予報をこまめにチェックしながら実行に踏み切ったあの夜。

 「……山科家の嫁は、通いの家政婦さんとお茶を飲んでいた。風呂に入ったまま出てこない姑を見に行ったら、浴槽に沈んでいるのを発見して救急車を呼ぶも、心肺停止状態。もともと長風呂で一時間は出てこないという話だし、ちょっと血圧が高めで薬も飲んでいた。ま、風呂場で具合が悪くなってもおかしくないさ。悪条件が重なった不幸な事故という結論だよな」

 加代子が風呂に入っている最中にブレーカーを落とし、台風のせいで停電したように見せかけた。灯りの消えた浴室に向かった春香と淑子は、浴槽から出ていた加代子の脚をいきなり掴んで上に持ち上げた。洋式のバスは横たわるスタイルゆえに、これをやられると上半身が沈み、自力で起き上がるのは不可能だ。しかも二人がかりでは到底かなわない。

 「その昔、イギリスで実際にあったのさ。『浴槽の花嫁事件』といってね。保険金目当てに妻をこの方法で三人も殺した男がいたんだぜ」

 「洋式バスで良うございましたね。大奥様の少女趣味が、思わぬところで使えましたわ」

 一応警察が入ったものの、高齢者ゆえに風呂で貧血を起こし、そのまま溺死したという見立てで収まった。

 小林が二杯目のコーヒーをすする。

 「おかげで、あの家を出るときはご近所さんに同情されまくりでしたよ」

 春香は苦笑した。嫁いで半年もしないうちから「気位の高い姑にねちねちといびられている嫁」という噂が広まっていた。加代子の性格を考えれば、周囲からそんな目で見られるのも当然だろう。そのうえ、夫の不在時に姑を不慮の事故で死なせてしまい、それが原因で夫に離縁されたと聞けば、みんな憐れみの目で見るより他にない。

 「依頼主も一見、気の毒に見えるさ。『いびられている嫁をかばうこともせず、愛人宅に入り浸り、姑の死を口実に嫁を家から追い出した冷血漢』ってヒソヒソされていたって話じゃねぇか」

 そして、それこそが修にとっても好都合だった。一周忌も済ませぬうちから「ご近所の目が冷たい、もうこんなところには住めない」と家を売り払い、よそに引っ越していった。

 住んでいた家は古いが、この一帯の地価は高い。修もそれなりの金を手にできた。その金で改めて新居を構え、恋人と籍を入れ、今は幸せに暮らしているという。

 「旧家のしがらみを全てリセットできたって喜んでいますよ」

 「……でもなぁ、あの息子さんも、何だかんだで結局のところは『お育ち』に縛られている気はするけどなぁ」

 「え? どういうことですか?」

 小林は黙って一枚のはがきを二人に見せた。何の変哲もない「結婚しました」の写真付きはがき。写っているのは修と新しい彼の妻。

 「ほれ、ここ見てみ」

 小林が指さしたのは妻の名前。「山科薫子(旧姓・毬小路)」と記されていた。

 「うっわ、こっちも何だか……」

 「なかなかの名家っぽいお名前でいらっしゃること……」

 「だろ? 血筋だねぇ」

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