第6話 ミュージシャンの男(後編)

 「あの、坊ちゃま……ちょっとお聞きしたいことがございまして」

 いつものように遅い朝食を済ませたときのことだった。

 「これ、ちょっと見ていただけますか?」

 彼女がおぼつかない手つきで自分のスマホを操作する。老眼なのか、ときどき首を伸ばしたり、目をすがめたりしつつ「ああ、これこれ」と画面を差し出した。

 写真には、畳の部屋に立てかけてある古いエレキギターとアンプが写っている。そのギターを見た瞬間、思わず「うおっ?」と変な声が出た。

 「淑子さん、これ、どーしたの?」

 「息子の形見なのです……」

 画面に映っているのは、ストラトキャスターのギター、それも間違いなく七〇年代のヴィンテージ物だ。なるほど、淑子の年齢を考えれば、若くして死んだという息子が、当時手に入れていたとしてもおかしくはない。それに、ギターの背後にあるアンプは……。ちょっとピンボケ気味だが間違いない、マーシャルの「PARK」ではないか。こっちもギター同様、かなり希少なものだ。特に七〇年代のものは、音の響きが素晴らしいと聞く。

 「淑子さん、これはすごいよ! めっちゃレアものだよ!」

 上ずった声を上げる隆一に対し、きょとんとした顔つきの淑子。なるほどこの婆さんにはコイツの価値が全く分からんということか。猫に小判、豚に真珠って奴だ。

 さて、どう言いくるめてこれを巻き上げようか……と思った瞬間、淑子があっさりと譲渡を申し出た。しかも無償で、だ。

 「坊ちゃまに弾いていただけるのでしたら、息子も本望ですよ」

 泣き笑いみたいな表情を浮かべてそう言った淑子を、隆一はぎゅっと抱き締めた。

 「ぼ、坊ちゃま? あらあらまぁまぁ!」

 「ありがとう、淑子さん! 俺、大事にするよ!」


 数日後、小太りの中年男が軽ワゴンでやってきた。聞けば、淑子が籍を置く家政婦紹介所の社長だそうだ。どこにでもいそうなオッサンにしか見えないが。

 「やぁ、いつも佐々木が世話になっとります。今日は奥様は?」

 「ああ、仕事行ってるんだ。じゃあ、こっちに運んでくれる?」

 「はい、承知しました」

 今日はいつになく暑い。そういえばテレビの天気予報で、猛暑日だとか言っていたっけ。

 応接間に通された社長は、丁寧に梱包された包みを解く。中から現れたギターとアンプは古いながらも保存状態は上々だ。

 「いやぁ、素人目にもいいもんですなぁ」

 「本当に。俺、こんないいもんもらっちゃっていいのかなぁ」

 こんな男にこのヴィンテージギターとアンプの価値が分かるわけないだろ、と思いつつも、相槌を打つ。

 「いいんですよ、坊ちゃまはミュージシャンなんですから」

 麦茶を運んできた淑子がそう言って微笑んだ。


 社長はすぐに帰り、淑子も夕食の買い出しに出かけていった。

 隆一はスタジオに戻ると、早速ギターとアンプをセットする。なるほど、いい音だ。これがヴィンテージのサウンドか。気に入ったフレーズを気の向くままに弾きまくった。気分はライブハウスのステージだ。

 音量を上げた次の瞬間。

 すさまじい衝撃が彼の体を通り抜けていった。



「社長、ただいま戻りました」

「おお、お疲れさん。暑いねぇ」

 ここはKKファミリーサービスの事務所。社長の小林が団扇片手にラジオの音楽番組を聴いていた。小林が茶封筒を淑子に渡す。いつも以上に分厚いようだ。

「息子の保険金がたんまり出たんだとさ。そういえばあの会社、娘婿が跡を継ぐらしいぜ」

「そうですか」

「そりゃそうだよ、あそこの親父さん、とうに喜寿を超えてんだぜ。そりゃ後継者を固めないとって思うよな」

「ええ。それに跡取りのはずの息子は、いい年して無職のミュージシャン崩れ…いや、ミュージシャン未満でしたからね」

 本庄隆一、享年四十九歳。

 死因はエレキギターとアンプによる感電死。使っていた古いアンプが漏電を起こしてギターに強い電流が流れたというのが警察の見解だ。しかもアンプの一部を改造していたらしい痕跡があるという。

「……素人がアンプを勝手に改造すると、危ないんだよなぁ」とは、現場を調べた警官のボヤきだった。


 事件から約二カ月前、事務所を訪れた本庄隆一の両親は、だいぶ疲れ切っていたようだった。

「私たちももう隠居してもいいのですが、あの息子がいる限りそれも難しいでしょう」

 父親の修一は大きくため息をついた。

「息子がミュージシャンになることを反対していたわけではないのです。彼は、ミュージシャンを目指す、という口実で怠けているだけなのです」

 プロになるためにオーディションを受けるわけでも、音楽学校に進学するわけでもなく、ただダラダラと日々を費やしているドラ息子。

「これが働きながらライブをやる、誰かの弟子になってギターを学ぶ、ライブハウスや楽器屋に勤めながらミュージシャンを目指す、というなら私たちも応援しました。しかしアイツは、我が子ながら性根が腐っている!」

 怒りのあまり、膝の上で拳を握りしめる夫を、妻である久恵が優しくなだめる。しかし、久恵も息子には愛想を尽かしているようだ。

「音楽の勉強に必要だと、やたらと高い楽器や機材を買いあさり、自宅にスタジオもどきを作って毎日遊んでいるだけ。二言目には『ミュージシャンになったら親孝行するから』ですよ。もう五十近い男の言うセリフではありません」

 いつまでも若い息子の気持ちで数十年を経ていることすら自覚していない。そして、いつまでも親に甘えていようとしている。

「……一時は勘当しようかとも思いました。ですが、ここを出てもよその家のお嬢さんに寄生して、ヒモ同様になることは目に見えています。よそ様に迷惑はかけられません」

 久恵の口ぶりから、過去にそういう出来事が実際にあったらしいことが見て取れた。

「息子の親孝行は、早く死んでくれることだけです……」

 修一の膝に、ポツリと涙が落ちるのが見えた。


 古いギターとアンプをそれっぽく隆一の前にちらつかせたところ、彼は案の定ダボハゼのように食いついてきた。アンプに小細工を施し、強い電流が走るように改造したのは小林だ。好きな音楽で一気に天国に行けたのだから、彼も本望だろう。

「しっかし、下手くそだったなぁ。アイツのギター」

「そりゃそうでしょう。ヴィンテージギターだアンプだと喜んでいましたけど、あれが偽物だって全く見抜けなかったんですから。しょせんそんなレベルなんですよ」

 不意にラジオから、聞き覚えのあるギターフレーズが流れてきた。

「あら、この曲……」

「ツェッペリンの『天国への階段』だよ」

「あのお坊ちゃまが好きな曲でしたよ。文字通り、天国に行ってしまいましたがね、ふふふ」

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