第5話 ミュージシャンの男(中編)

 「まぁ、坊ちゃまはミュージシャンなんですねぇ!」

 隆一が簡単な自己紹介をすると、淑子は目を丸くしてそう言った。

 少し遅めの昼食は、蒸し暑い夏にぴったりの素麵だ。青じそやミョウガ、刻みネギに白ごま、もみ海苔と薬味がたっぷりなのも嬉しい。淑子の勧めで麺つゆに入れた叩き梅肉がまたいい。程よい酸味が後を引く旨さだ。

 「ま、親父はいい顔しないけどな。跡を継げってうるさいし」

 「今もですか?」

 「んー、最近はどうだかねぇ。まぁ、今更どうこうしろって言っても、結局のところ俺は音楽しかできないもん」

 よく冷えた麦茶を飲みながら、隆一は苦笑いした。

 「いいえ、ご本人が好きな道に進んで大成することこそが、本当の親孝行だと思いますよ」

 淑子が、やけにきっぱりと言い切った。彼女のほんわかしたイメージからは程遠い。

 「そ、そう?」

 「そうですとも! 絵が好きなら絵の道に、音楽が好きなら音楽の道に進むべきです! 親であれ、誰であれ、それを止める権利はございません!」

 えらい剣幕の淑子に、隆一は思わず気圧された。

 「…ま、まぁ、あらいやだ、わたくしったら。失礼いたしました」

 隆一の顔を見て、勢い余った自分自身に気づいたらしい淑子が顔を赤らめてもじもじしている。

 「いや、淑子さんにそう言ってもらうと、ちょっと嬉しいかな。でも、どうして淑子さんは、そんな風に思うんだい?」

 そう聞かれた淑子は、ふっと淋しそうな顔をした。

 「息子がね……いたんですよ」

 過去形? ってことは……

 「ウチの息子も、音楽が好きでしてね。坊ちゃまみたいに、日がな一日ギターをかき鳴らして……。近所迷惑だって叱ったこともありましたよ。そうそう、ドラムも叩いてうるさくて、これが本当のドラ息子だって言ったこともありましたねぇ」

 「……もしかして、亡くなったの?」

 淑子はエプロンでそっと目元を拭う。

 「ええ、つまんないバイク事故でしたよ。でもね、バンド仲間のお友だちも葬儀に来てくださって……」

 「ごめんね、淑子さん。なんか、辛いこと聞いちゃったね」

 「いいんですよ。でも、あんなことになるなら、もっと好きなだけギターを弾かせてやれば……って思いましたよ」

 恐らくこの老婦人は、息子や夫に先立たれ、今は天涯孤独の身の上なんだろう。もしかしたら、亡くなった息子に隆一を重ね合わせているのかもしれない。

「だからね、坊ちゃま。誰が何と言おうとお好きな道を進めばよいのです。後悔しないよう、存分にね。私も応援いたしますよ」

「ありがとう…。それじゃ、俺スタジオに戻るね」

「かしこまりました」


 久し振りに肯定的な対応をされて、隆一は嬉しかった。「趣味でなら」と音楽活動を許していてくれた両親はやがて「そろそろ就職しろ」「跡を継げ」と言い始めた。一緒にバンドを組んでいた仲間も就職したり故郷に帰ったりして、一人、二人と櫛の歯が抜けるようにいなくなっていった。時が流れるとともに、だんだん自分を取り囲む環境が息苦しくなっていくのも感じている。

「いい年こいて」

「夢見てんじゃねーよ」

「いいかげん現実見ろよ」

 そんな言葉を言外に感じることもしばしばだった。それでも隆一は音楽がしたかった。

 ギター一本で聴衆を沸かせたい。爆音の中にこそ自分の生きる場所がある。光り輝くステージこそが俺の居場所だ。

 隆一はスタジオで、再びギターを手にした。そう言えば、この前見た雑誌に出ていた復刻盤のギター、カッコ良かったなと思い出す。七〇年代のモデルで、復刻盤とはいえど結構な値段がしたはずだが……。

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