六 松虫

 正月が明け、葉右衛門は朝五つ(午前八時)に笹之介の離れを出た。

 笹之介と最後になるかも知れぬという覚悟の葉右衛門は、激しく笹之介を責めた。葉右衛門と契を結んで一年、この夜ほど激しく葉右衛門がいきりたったのははじめてのことであった。笹之介は未明に意識を失ったが、葉右衛門はじっと笹之介の乱れ寝姿を見入っていた。


 一睡もせず、葉右衛門が帰る身支度をし始めると笹之介も起き上がり、甲斐甲斐しく葉右衛門を手伝った。

「まだ、寝ておれ。明日は登城であろう」

 笹之介はにこりとすると、

「愛しいお方をお送りいたさずなんとしましょう」

 さすがに葉右衛門も断りきれず、一緒に外に出た。笹の介は下男に付いてこなくても良いと言った。


 雪はやみ、二人は足跡がついていない林の中の道を手を握りあい歩き道場と葉右衛門の屋敷の二股の差路に来た。

「ここで良い。儂は道場を見ていく」

 葉右衛門は道場で何を見るのか、予感に緊張して言った。

「私も参ります」

 葉右衛門の顔が強張った。しかし付いてくるなとも言えない。

 全てを観念したが笹之介に悟られないように平然として言った。

「そうか・・・分かった」


 道場がある城内の広大な屋敷に着いて、入り口を開ける。葉右衛門の心は、張り裂けそうだった。戸を開けて暗い神聖な道場の床に何があるか、笹之介はなんと思うか。


 しかし、道場の中は何事もなかったように雨戸の上の光取りから清浄な光の筋が漏れているだけだった。

 市三郎に抱きつかれた神棚の前もきれいに拭いてあり、血の跡も塵一つもなかった。


「さすが市三郎殿、きれいにされました」

 笹之介のその言葉にどきりとしたが、それを隠すために葉右衛門は神棚の前の床に座り座禅を組んだ。

 笹之介は後ろに少し退がり、正座して葉右衛門の後ろ姿を眺めた。白地に金刺繍の梅の振り袖羽織に緇の袴で端座するその姿は国内一の若衆の誉れに恥じることはない。

 葉右衛門は無念無想を装っているが、後ろの笹之介の目を痛いほど感じていた。しかし内心、市三郎が無事に帰ってくれてほっとしていた。


 帯を切ってどういう姿で帰っていったのか、と思うと市三郎が哀れに思えた。あの上を向いて焦がれる瞳を向けられた時、衆道の者としては至高のひとときではなかったか。笹之介と最初に出会ってなければ今後ろにいるのは市三郎かも知れない。


 笹之介は静かに葉右衛門を見守り続けた。りり・・・ふと幽かな羽音がする方に向くと、

「あれ、虫が!」

 葉右衛門も驚きその方を見ると、笹之介が嬉しそうに手を合わせて何か捉えた様子だ。

「これは・・・松虫」

「こんな季節によう生きていました」

 にこにこと笑う笹之介に葉右衛門は心にわだかまる不安を振りといた。

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