四 告白
冬になり、伊賀の山に雪が振り、鹿の毛も立つ寒さとなった。
三十日(みそか)に一刀流の道場の大掃除が行われた。午後の早いうちに掃除をしてしまい、あとはお神酒を貰い三々五々家に帰っていった。葉右衛門と笹之介は目配せをした。後でどちらかの家に行くのであろう。
市三郎は居残り、みずから神棚の清め掃除を買って出ていた。道場の外には雪が降りしきり、中もしんとして寒さが伝わってくる。市三郎は道着も袴も普段と違い、白い麻の稽古着を着ていた。三十日の神棚の掃除に特別な想いで白を着てきたのだろうと門弟たちは思った。弱々しい光を送る太陽が陰り始め、雨戸を閉め、ろうそくを神棚のある式台の近く四方に立てて神棚の御神体を出し、清浄な布で拭いていった。
薄暗い道場に葉右衛門が入ってきた。師範代という立場から、最後に帰るのが勤めだ。
「市三郎殿・・・」
市三郎ははっと小さな息を吐いて、葉右衛門を見た。ちょうど最後の道具を拭き終えて神棚に戻し、式台から降りて師範代の足元に平伏した。
「市三郎殿。お役目ご苦労である」
葉右衛門は市三郎の前に片膝を突いてその上に片腕を載せて市三郎に相対した。
「・・・ちとそのほうに聞きたいことがある」
市三郎はびくとして、
「なんでございましょうか?・・・」
葉右衛門は一旦顔を上げて宙を睨んだが、顔を落として言った。
「近頃、妙な噂を耳にしてな・・・なんでも拙者と御身が契を結んだという滑稽な噂じゃが」
はっとして市三郎は首を上げ葉右衛門を見た。
あの夢精の夜以来、自分が変わったと市三郎自身感じていた。前よりも所作が洗練されて来たと自負していた。葉右衛門と顔を合わせる機会があると、朝に身を清め、前髪をとかし、髷を腕の立つ下人に結い直して貰い、着る振り袖を、きらびやかを好まぬ葉右衛門のために選び抜いた。笹之介は眩しく太陽のような若衆ならば自分は月のようなたおやかで静かな若衆になろうと決めたのだ。
市三郎は自分では知らぬうちに笹之介と違った美しさを持ちはじめていた。その真摯に見上げるかんばせに、間近に見た葉右衛門はどきっとした。この間の稽古のときとは違う・・・若衆の色香が匂っている。すでに笹之介で若衆の味を知っている葉右衛門は驚いた。
市三郎がつぶやくように言った。
「そのような噂が・・・?」
葉右衛門が今度はどぎまぎする番であった。
「い・・・いや、その、世人のたわごとであろう・・・許せ」
立とうとする葉右衛門の腰に市三郎は抱きついた!
「な、何をする!」
市三郎は力まかせに葉右衛門の腹を抱き、叫んだ。もう胸が熱くなり、頭が真っ白になり、御しがたい熱情の嵐が吹き狂う。
「お慕い申しております!・・・何卒、なにとぞ一度だけでもお情けを頂きとう御座います!」
市三郎が激しく膝で進むので、葉右衛門の皮足袋は磨き抜かれた道場の床から滑ってしまった。どうと背中から倒れ込む葉右衛門と上になる市三郎。
「市三郎殿!いかん!儂には笹之介という者がおるのじゃ!」
「・・・知っております!貴方様方が路上で恥ずかしげもなく口を吸い合っているところを私は見ました!」
「な、なんと!」
「ならば、わたくしとも!」
市三郎はこのような駆け引きをする性分ではない。しかしこの燃え上がる恋心に掟はなかった。なんとしても想いを遂げたいとただ一心であった。
だが、潔癖な葉右衛門が許そうはずもない。
ばしっ!
葉右衛門の右手が市三郎の頬を打った。
「ああっ!」
市三郎は思わず頬を手で覆い、葉右衛門の股の下で蹲る。あの稽古で笹之介に受けた同じ頬の場所を打たれたのだ。
市三郎の目から大粒の涙が垂れた。
葉右衛門は自分の右手を見て、思わずしてしまったことに驚いた。
「市三郎殿!す・・・すまぬ」
市三郎はきっと猫のような姿勢から両手を突いて葉右衛門を見た。自分はもう男(を)の子ではない!そう感じた。その妖艶な姿に葉右衛門の心は揺らいだ。誰がこの小鳥を我が物にすることを拒もうか。だがこの状況は異常なことである。笹之介との契を裏切ることはできぬ!
稽古でも腰に差している一尺三寸の細脇差を右手の逆持ちで引き抜いた。
葉右衛門も武芸の達人、それを見て市三郎の次の行動に備えた。
市三郎は自分の袴の下の帯の間、最も下の帯の上に脇差の刃を差し込み、自分の腹を傷つけない様に斜めに帯を切り裂いた!
侍の帯は『侍帯』と言って、着流しに使う兵児帯や博多帯より少し幅が狭い。そしていざと言うときは、市三郎がやったように一切りで帯、袴の紐を切り裂き、袴を下に踏んで脱ぐことが出来る。殿中で裾の長い袴を履いたときの急場の脱ぎ方なのだ。
市三郎は切り裂いた帯と袴を踏みつけると、麻の道着も脱ぎ捨てた。下帯はつけていない!片手に脇差、白足袋だけになった。
「私をお抱きにならないのなら、この場でこのいちもつ削ぎ落とします!そして心の臓をあなたにお見せして道場を私の真心で染めましょう!」
「や、やめろ!」
「お抱きになりますか!」
「だ・・・・駄目だ!儂には出来ぬ!」
市三郎は恥ずかしさと恋の阿修羅となり真っ赤に上気した肉体を脇差を持ったまた掻き抱くと、右手の脇差に目をやり、そして喉に切っ先を持っていった。もはやこの様な醜態を晒しては生きては行けない。両親や兄妹、殿にも合わせる顔はない。そして今の自分は男ノ子の人生で最も美しいときなのだ!
市三郎が跪いて両手を脇差の柄に掛けたそのとき、普段は鈍重のような感じを受けるが稽古のときは鬼神のように素早い葉右衛門の体が動いた。
葉右衛門の左手が手刀となって市三郎の利き腕を上から叩いた。
「あうっ!」
市三郎の右手は脇差の柄から離れ肉体が前のめりになる。左手首を葉右衛門の右手で抑えられた。葉右衛門は左の手刀にしたたかな手応えを感じていた。市三郎の華奢な右手は痺れ、痛みにそこに座り込んだ。
葉右衛門の眼前に匂うような前髪の男(を)の子がむせび泣いていた。その上気した胸には寒さで勃ちあがった梅の蕾が震えていた。葉右衛門は下腹部にせり上がるような疼きを感じた。
葉右衛門の左手が広げられ、親指と中指がその蕾の上に触れた。
「ああっ!」
その予期せぬ葉右衛門のざらとした指の感覚に市三郎は仰け反った。はじめて他の男に触れられた絹のような柔肌がさらに汗ばみ上気する。
市三郎は膝を崩し、女の様に座り、両手は前に突いて、二の腕に挟まれて盛り上がった胸の飾りを葉右衛門に託している。葉右衛門の息が激しくなり見上げる市三郎の半ば開かれた口から白い息がその顔に掛かった。お互い上と下から見つめ合い、葉右衛門は湯上がりの笹之介をいつも喜ばせる方法を市三郎に行っていた。親指と中指を小刻みに動かし蕾を嬲る。市三郎は舌を少し出し犬のように息づいた。夢に見た葉右衛門との交歓が始まろうとしているのだ。
「葉右衛門様・・・」
笹之介はかようにすると目が潤み儂の舌を求めるのじゃ・・・
「ああ!」
市三郎の念者の舌を求める顔が、笹之介と重なったとき、葉右衛門は市三郎を突き放した!二人、同時に上げた叫びであった。
市三郎は身を起こして右手を左手で庇いながら葉右衛門ににじり寄ろうとした。葉右衛門は飛び下がり、
「す・・・すまぬ・・・ここまでじゃ!」
「ここで死にとうございます!ここまでの恥をかかされては生きてはいられませぬ!」
葉右衛門は恐れの目で市三郎を見ながら後ずさりし、許されよ!と言ってあとをも見ずに道場から逃げ出した。
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