後書き
井原西鶴先生の「男色大鑑(なんしょくおおかがみ)」からの一話の、私のはじめての小説化の作品です。これまで衆道を題材にした作品を書いてきましたが、「大鏡」を読んでから、原作に忠実にしかしそれを凌駕したい、つまり井原西鶴という師を越えたいという願望に駆られ、書き始めました。・・・まあ無理な話なのですが。
西鶴先生が私の師たるゆえんであるところの、ドラマティックでいて細やかな叙事の描写、各所に散りばめられた隠喩、暗号、伏線、背景に隠された古典の情報がこの物語にも含まれており、それを理解するのに茨城キリスト教大学の染谷教授、敬愛大学の畑中教授、その共同著書である「全訳 男色大鑑 武士編」、お二人と漫画家の大竹直子先生が主催する若衆文化研究所、その会員皆様の深い解読と分析を聞き、ここにお借りしてしまったことを報告して、皆様に感謝を表明いたします。
この「男色大鑑」は近代以前の武家社会に実在した『衆道(しゅどう)』を高らかに謳った作品ですが、単なる同性愛の物語ではありません。「男色」が『だんしょく』と読まれたことにより、サブカルチャー的な誤解が学窓でも長く続き、近来の腐女子と呼ばれる人たちがBL(ボーイズラブ)という概念を表社会に引っ張り出すまでタブーと呼ばれていたと思います。
ところが「大鏡」を読み込みますと、若衆という純粋な若い男の子達が人間としての尊厳を謳歌していた時代の物語と分かります。男が支配した世では女性のこうした物語は表に出にくかったのではないかということもあり、『男同士の契』と『同性愛』が混在理解され、社会的に認められない状態に置かれたままだったと思われます。確かに混在は正しいのですが、多くの場合、当時の若衆と念者の繋がりは命を張るほど厳しいものでした。それに人間は年をとるほど若かった頃を懐古し、もしそういう少年少女が恋愛対象となるならばそういう妄想をすることは仕方がないことかも知れません。現代人で相手が嫌がるのに実行する人は犯罪者ですが、もし命を掛けてお互いに愛を貫くのなら、そうであって欲しいと私は思います。昨今の加害者の身勝手な事件を見るに、そういう気概を持つ人間は実際には相手のことを考えると手を出さないものだと思います。
令和元年水無月七夕
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追伸
私が川端康成の「少年」という作品について論考を書いたとき(下注)、ひとつの遊びを思いついた。私は「少年」に出て来る川端の旧制中学時代に同性愛の相手であったという清野という少年は、西鶴の若衆をモデルにしたのではないかと妄想した。それならば、清野に関する印象的な部分をそのままこの作品に使ってみようと考えたのだ。
多少は状況によって修正したが、特に違和感なく収まったと思う。
五 覚悟の褥 にて
*「お前の指を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を・・・かの」
「少年」より 「お前の指を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。」
*「ああ・・・殺すなと生かすなとご勝手に・・・喰らいなさるか、飼うとされますか・・・葉右衛門様のご勝手に・・・」
「少年」より 「私のからだはあなたにあげたはるから、どうなとしなはれ。殺すなと生かすなと勝手だっせ。食ひなはるか、飼うときなはるか、ほんまに勝手だつせ」
八 ありがたのおとぶらい にて
* 市三郎は小さい丘とも思えるほど大きい岩の角まで見送って来て、その岩に坐りながら、谷を下ってゆく葉右衛門を遠く眺めていた。
「少年」より 「私が帰る時、清野少年は小さい丘とも思へるほど大きい岩の角まで見送って来て、その岩に坐りながら、谷を下ってゆく私を遠く眺めてゐた」
注:
「川端康成と「少年」、清野少年の虚像と川端の実像について」
西鶴新お伽草紙「嬲りころする袖の雪」 泊瀬光延(はつせ こうえん) @hatsusekouen
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