手当をいたします
しばらくビーズクッションの上でぐったりとしていた女性は、目を覚ますとしばらく横にいたキリを撫でて、ただ猫カフェに来たお客として料金を払って出て行った。
不思議なことに、彼女の中では初めから猫カフェに来たことになっていたようだった。
「……なんかスッキリした顔してたな」
届かない思いは辛いだろう。タカラのやり方は乱暴に見えたがきっとあれでよかったのだと菜奈は思った。
「う、ううーっ」
そして問題はその彼女の妄執をまるっと食らってしまったタカラである。呻き声を聞いて菜奈がスタッフルームを除くと、タカラはテーブルに突っ伏して胃の辺りを抑えていた。
「タカラさん」
「ああ……菜奈」
「気分悪いんですか……? あんなの飲み込んだから」
「そうだな。消化しきるまでは仕方ない」
「べって吐いた方がいいんじゃないですかね。そんなものは」
菜奈がそう言うと、タカラは顔色の悪いままふるふると首を振った。
「これだけ強くて邪気の濃い人の思いをまた放ったら、厄介なことになる」
「厄介なことですか」
「ああ。元の持ち主の元に戻るかもしれないし、害意のあるあやかしが餌にするかもしれん……胃の腑がきりきりするが、これは外に出してはいけない」
「そうですか……」
ぐったりとしながらも、そう言って耐えているタカラ。菜奈は、ふとその横に座ってタカラの背中を撫でた。
「菜奈……」
「手当、って言うじゃないですか。早く具合がよくなりますように……」
「うん……」
菜奈は静かにタカラに語りかけながら、その広い背中をさすった。タカラもテーブルに伏せながら菜奈にされるがままになっていた。
***
「あらあら、まあ」
しばらくスタッフルームから出て来ないタカラと菜奈の様子を見に来た白玉は、そっと開けたドアをまた閉めた。テーブルに寄りかかって二人が折り重なるようにして眠っていたからだ。
「しかたないですねぇ……」
「叩き起こせばいいにゃ」
苦笑いする白玉に、カリンは尻尾をゆらゆらさせながら言った。
「そんな邪魔しちゃ悪いでしょう、カリン」
「職務タイマンだにゃ」
「カリンは難しそうな言葉を覚える前に覚えることが他にもありそうね」
「どういう意味だにゃー」
カリンは訳が分からないと、仰向けになって背中を床にこすりつけた。
「んー……? おわっ」
頬に伝わる温かい感触に、菜奈がふと目を覚ますと、タカラの背中の上に多い被さるようにして眠っていたことに気付いた。慌ててがばっと立ち上がると、ぱちっとタカラも目を覚ます。
「ご、ごめんなさい!」
「あ? ああ……なんでもない。うん、胃も落ち着いたようだ。菜奈がさすってくれたからかな」
実際、タカラの顔色は大分よくなっていた。
「そうですか? ならいいんです……あ、猫カフェの仕事に戻らないと……」
菜奈は安心した途端に急に気まずくなって、いそいそとスタッフルームを出た。
「すみません、白玉さん」
菜奈がカップを片付けている白玉に声をかけると、彼女はなんでもないような顔で振り返った。
「あら、もういいんですか?」
「え、あ……はい。タカラさんはもう大丈夫そうです」
「ふーん」
「あ、あの……?」
白玉のよく分からない反応に、菜奈は戸惑った。仕事をほったらかしにしてしまったことを怒っているのだろうか。いや、それとも違う気がする。菜奈は白玉の顔を覗きこもうとしたがするりするりとかわされてしまう。
「コーヒーの淹れ方を練習しましょう」
「あ……はい……」
あげく真顔でこう言われてしまっては、菜奈は頷くしかなかった。
「はーい、豆がこのくらい湿ったらのの字をかくように……」
「はい……はい……」
白玉の指導の下、菜奈が真剣にコーヒーを淹れている最中のことだった。ばん、と音を立てて勢い良くスタッフルームのドアが開いた。
「うわっ、熱!」
「犬神さん、静かにドアは開け閉めしてください!」
驚いた菜奈の手元が狂ってお湯がカウンターに飛び散り、白玉は大声でタカラに向かって怒鳴った。
「……すまん」
だが、そう言いながら出てきたタカラの姿を見て菜奈も白玉も息を飲んだ。タカラは犬神の姿を露わにして目を爛々を光らせている。
「タカラさんどうしたんですか……?」
「どうやら、仕事が半端だったようだ」
「それって……」
「ちょっと出てくる」
そう言って、人の姿に戻るとタカラは外に出て行こうとする。菜奈はそんなタカラの腕をひっぱった。
「ちょっと待ってください!」
「……どうした、菜奈」
「私も行きます!」
「ああ、しかし……今回は少々危ない。菜奈は留守番だ」
「でも……言ったでしょう、タカラさん。一緒に仕事していれば思い出すって!」
菜奈の言葉にタカラは少し迷っているようだった。その時だ。黙って見ていた白玉がつかつかと二人のそばにやってきた。
「では白玉も一緒に行きましょう。猫カフェは臨時休業です」
「白玉……そうだな。わかった。菜奈、ついてくるなら白玉からできるだけ離れずにいてくれ」
「は、はい……」
タカラの真剣な表情に、菜奈はごくりと息を飲んで頷いた。そうして三人は猫カフェを早めに閉めると、清澄白河の街に繰り出した。
「タカラさん、仕事が半端だったってどういうことですか?」
「さっき飲み込んだ女の妄執が……呼んでいるんだ」
「どういうことです」
菜奈がタカラにそう聞くと、タカラは胃の辺りを抑えながら答えた。
「女の妄執の一部がまだ、ここいらに残っている。おそらく……」
「ストーカーされてた男の人のところですか!」
「ああ、本体から断ち切られて暴走しそうな気配がする……」
タカラの焦り方は菜奈が見たことないものだった。三人は急ぎ足で街を行く。そしてたどり着いたのは……とあるマンションの前だった。
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