別のお仕事があるようです

 最初は誰もこなかった「いぬがみ」だったが、昼過ぎからぽつりぽつりと人がやってきた。意外とお年寄りが多い。白玉いわく、近所の方々なのだという。


「こんな住宅街の猫カフェに需要あるんだ……」


 空いたカップを下げながら思わず菜奈がつぶやいたのが聞こえたのだろう、アズキを膝に載せていた常連らしき老婦人がくすくすと笑いながら菜奈に話しかけた。


「住宅事情で飼えない人もいるけど……この歳になってから猫を新たに飼うのに自信がなくてね」

「えっ、あ……ごめんなさい」

「ほほほ、いいのよ。ここはお茶も美味しいし、猫ちゃんと一緒に居られるし。こういうお店が出来てよかったわ」


 恐縮する菜奈に、老婦人は笑って答えてくれた。

 そうして菜奈は片付けを、白玉はお客の案内とドリンク作りを担当しつつ時刻は三時くらいになった。ぶっちゃけそんなに忙しくはない。だからちょっと逆にソワソワしてしまう。客が途切れて誰もいなくなると、菜奈の不安はさらに大きくなった。


「あの……白玉さん……私これで時給貰っちゃっていいんですかね」

「いいんじゃないですか? ……菜奈さん、人がいいんですね」


 そう言って白玉はくすっと笑った。


「え?」

「ここにバイトに入ってるの、犬神さんのせいじゃないですか。来るだけ来てその辺でだらだらしててもいいのに」

「それは……さすがに悪いっていうか……」


 菜奈の声は次第に小さくなっていった。確かに首元に妙な物をつけられたのが原因なのだけど、それに甘えきるのは菜奈は居心地が悪かった。


「やるからにはちゃんとやります。白玉さん、コーヒーの淹れ方も教えてください」

「……はあ。わかりました。おいおいね」


 白玉は苦笑して、カップを食洗機に入れた。その後ろ姿は少し嬉しそうだった。


「やあ、よろしくやってるようだね」


 そこにようやく姿を現したのはタカラであった。


「ようやくお出ましですか、オーナー」

「ふふん」


 白玉が嫌みっぽくそう言っても、まるで気にしてないように微笑むとフロアの一番大きなビーズクッションにどっかり座った。


「白玉、コーヒーをくれ」

「……まったく、これだから……」


 白玉はブツブツ言いながらもコーヒーサーバーの上にドリッパーを用意する。そのやり方を見て盗もうと、菜奈がじーっと見ていると、タカラが菜奈を呼んだ。


「どう? やっていけそう?」

「はあ……大丈夫そうです」


 タカラの質問に菜奈はそう答えた。少し心配があるとすれば、この店のゆったりした空気に菜奈がちょっと馴染んでないということだ。


「なんかあるみたいだね」

「いえ……前の職場がとにかく忙しいところだったので、自分ちょっと浮いてるなって」

「そっか、それならそのうち慣れるさ」


 タカラはそう言って菜奈の心配を笑い飛ばした。その笑顔に菜奈はなんだかほっとする。視野狭窄に突っ走ったり、うじうじ考え込んだりしがちな自分にはタカラの適当さがちょっと羨ましかった。


「お待たせしました、オーナー」

「ああ、ありがとう」


 そこに、ぶっすーっと不機嫌そうな白玉がコーヒーを持ってきた。タカラは優雅にコーヒーの香りを嗅ぐと、一口それを味わった。


「軽い甘さとコク……ブラジルかな」

「正解です」


 白玉はにやりと口の端を上げると去って言った。そのやりとりに菜奈は感心した声を漏らしてしまう。


「よく分かりますね……」

「犬神の嗅覚は良いといったろう?」


 菜奈はコーヒーは好きだし、美味しいまずいまでは分かっても豆の種類までは分からない。


「もっと産地当てクイズをしてもいいのだけど……、そろそろ別の仕事が入りそうだからまた今度な」

「別の仕事?」


 タカラの言葉に菜奈は首を傾げた。


「うん。妖怪のやっている猫カフェがただちょっとコーヒーが美味しいだけかと思ったかい」

「思ってました」

「ははは、正直だ。じゃあそこにいて俺とお客のやりとりを見ててごらん」


 タカラはそう言うとまた一口コーヒーを飲んで、ゆったりとそこに構えた。その膝の上にカリンがやってくる。


「来るにゃ」


 そうカリンが呟くと、カフェの扉が開いた。


「あのぅ……」


 そこには目の下にクマをこさえた中年女性がいた。


「いらっしゃい」

「……あなたが犬神さんでしょうか」

「はい」

「迷子猫を探して捕まえる名人だって……噂で聞いたんですが本当ですか」


 どうやらこの人は飼い猫を逃がしてしまったらしかった。きっと何日も探し回ったのだろう疲れ切った雰囲気をしていた。


「はい、別に百発百中じゃないですけどね。噂を聞いたのならアレを持ってきましたか」

「あ……これ、子猫の頃に使っていた首輪なんですけど、これでいいですか」

「いいですよ。ではお預かりします。あ、この紙に連絡先を書いてください」

「はい」


 タカラは迷い猫の飼い主にノートを渡して氏名と住所、電話番号、猫の名前を書いてもらっていた。


「白玉」

「はい、お客様。これ、サービスのハーブティです。気持ちが落ち着きますからね」

「ありがとうございます……」


 飼い主さんは白玉から温かいお茶をうけとると、肩を震わせて涙を堪えていた。


「大丈夫、きっと帰ってきますよ」

「……はい。ごちそうさまでした」


 お茶を飲み終えた飼い主さんは、何度も頭を下げながら『いぬがみ』を後にした。


「今のなんだったんですか?」


 菜奈は人気がなくなったのを見計らってタカラに聞いた。


「見てのとおり、迷い猫探しだ」

「本当に見つかるんですか?」

「ああ、大体ね」

「大体……?」

「この犬神の鼻があれば、よほど遠くにいってなきゃ居所はわかる」


 そう言ってタカラは先程の飼い主が置いて行った首輪を菜奈に見せた。居場所が分かるなら必ず見つかる、と言ってもいいのに断言しないのはなぜだろう、と菜奈は思った。するとカリンがするするとタカラの肩の上によじ登って顔を掻きながら言った。


「そこでカリンの出番だにゃ」

「あなたの?」

「見つけるだけなら犬神さまにも出来るけど、普通の猫は犬のあやかしの気配にびびっちゃうにゃ、だからカリンがその猫とお話するのにゃ」

「なるほど……」

「中には野良のままがいいとか、新しい飼い主のほうがいいとかいう猫もいるからにゃ」


 そうか、人間の都合だけで考えればとっ捕まえて飼い主に差し出せばいいのだろうけど、猫には猫の都合があるってことか、と菜奈は一応納得した。


「あとは、もう生きてはいない場合もある」

「……ああ」

「今回はそうでないといいがな」


 タカラはそう呟くと、よいしょとクッションの上から立ち上がった。


「さあ、菜奈。付いておいで」

「え……でも、店が……」

「白玉がいる。こういうのもうちの仕事だから見ておいたほうがいい」


 そう言って肩にカリンを乗せたまま、タカラは菜奈の手を掴んだ。


「じゃー、言ってくるぞ白玉」

「はい、いってらっしゃい」

「あ……ちょ、ちょっと……」


 菜奈はタカラに引き摺られるようにして猫カフェから出て街の中に繰り出した。

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