ひとりで家に帰ります
「今回も一件落着。よかったよかった」
「よかったじゃないですよ……」
満足そうな顔のタカラに、菜奈は思わず文句を言った。
「なんだい、飼い主もこたろう君も双方満足。これ以上が解決方法があったかい?」
「……」
悪びれない風のタカラの様子に、気にしているのは自分だけかと思うとそれ以上言い出せなくなってしまった。今も耳がなんだか熱い気がするのに。
「こんな風に猫や人……ああ、物探しなんかもあるね。そんなのが時々舞い込んでくるからよろしくな」
「は、はあ……」
「じゃ、俺はそろそろ帰るわ。菜奈と白玉もあんまり暗くならないうちに帰りなよ」
そう言ってタカラはとっとと帰ってしまった。
「……まあ、日頃こんな感じです、ここは」
「白玉さん」
菜奈がぼんやりとタカラの消えて行った方をガラス越しに眺めていると、後ろから白玉がやってきてそう呟いた。
「あのご面相なので、ちゃんと店番くらいしてくれれば女性客が増えそうなのに……恐らく今月も赤字です」
「えっ、それで私を雇って大丈夫なんですか?」
菜奈は少しぎょっとして白玉に聞いたが、白玉は澄ました調子でこう答えた。
「足りない分は犬神さんが出しますから」
「それって……ああ、だから猫探しとか別で副業を……?」
「あれは全部無料です」
「ええ……?」
店が赤字だというのに、無料の人助けをする……菜奈はタカラが分からなくなった。いや、元々タカラは菜奈にとって訳の分からない存在なのだが。
「あれでいて犬神さんはお金持ってるから大丈夫ですよ。なんせ神様ですから」
「はあ……」
「この店も、人助けもみーんな採算は度外視です」
「なんでそんなことを……?」
菜奈がそう聞くと、白玉はうーんとしばし考えて菜奈をじっと見た。
「あやかしの世、幽世の価値観は現世と違うので……正直、犬神さんが何を思っているのか白玉にも図りかねるところがあります」
「そうなんですか……あ、じゃあ……白玉さんがここで働く理由は……」
白玉にも菜奈のあずかり知らぬ深い理由があるのかと、おずおずと聞いてみた。
「私は給料が貰えればいいので」
白玉は真顔でそう答えた。
「あ、そうです……?」
「はい。白玉はデート代が稼げればいいのです」
「そっか、彼氏がいるんですっけ」
菜奈がそう言うと、白玉の顔が急にふにゃんとゆるんだ。
「はい……デート代くらい出すって言ってくれるんですが……それなら所帯を持った時に使って欲しいなって……って。だから猫又でも働けるここはありがたいんですけどね」
「所帯……そっか……」
「でもバイトばかりでデートの時間が減ってどうしようと思ってたので、菜奈さんがきてくれてありがたいです」
白玉はキラキラとした目で、菜奈を見た。
「コーヒーの淹れ方も伝授しますからね!」
「あ、うん……」
「じゃあ、私これからデートなので。さっさとお店しめますよ」
そう白玉に急かされて、菜奈は慌ててエプロンを外した。
「彼氏ねぇ……」
自分の彼氏の話をしている白玉は恋する乙女そのものだった。どんな人……いや、人ではないのか? と菜奈はぐるぐる考えながら家に帰った。
「ただいまー……」
と、帰宅してもまだ時刻は六時。久々の労働ではあったが大して疲れはない。菜奈は麗倉庫にあったものでささっと野菜炒めとかき玉汁を作ると夕食にすることにした。
「うん、美味しい美味しい」
一人暮らしも長くなり、独り言がどんどん増えていることに菜奈は気づいて居ない。元々父子家庭で一人の食事が多かったからなおさらだ。
今日の野菜炒めの出来を一人で褒め称えながら、菜奈は夕食を終えた。
「はあー……白玉さんは今頃デートか……」
近くだろうか、それとも電車に乗って……この清澄白河なら新宿も渋谷も六本木だってそう遠くはない。カチャカチャと食器を洗いながらそんなことを考える。
「デートとか……いつの話やら」
己を振り返ってちょっと悲しくなりながら、菜奈はお茶碗を洗いかごに乗せた。そしてさっさとシャワーを浴びて、晩酌しながら映画でも見ようと浴室に向かった。
「あ……そうだぁ……」
服を脱ごうとした途端に、洗面所の鏡に映る自分を見て、菜奈は思わず声を上げた。昼間はスカーフで隠していたタカラに着けられた首輪の印が生々しく目に入る。
「……我慢……三ヶ月の我慢……!」
菜奈は頭を振ってタカラのことを頭から追い出して浴室に入った。だけど、ざあーっとシャワーの湯を浴びていると、噛まれた耳がまだ熱を持っている気がしてきた。
「まったく……もう!」
いらいらした菜奈はシャワーのレバーを青の方向に思いっきりひねった。ぶわっとジャワ―が冷水に変わる。
「ひゃーっ! つべたい!」
菜奈は一人でなんでこんなことしているんだろう、と空しくなって蛇口を止める。
「なんで私なんだろう……大人になるのを……って何?」
そうタカラの言葉を反芻しながら、滴る水滴を拭いて、菜奈は浴室を出た。
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