なりゆきにもほどがあります
***
「いきなり話しかけるカリンが悪い」
「いきなりキッスしちゃう犬神様が悪いにゃー」
「はいはい、ふたりともそこどいてください!」
菜奈の額にひやりとしたものがのせられた。白玉が濡らした手ぬぐいを置いたのだ。
「――……??」
がばっと菜奈は起き上がった。どうやら気を失っていたらしい。
「あ、安静にしていてください。急に起き上がったらあぶないです」
「すみません……私、ひっくり返っちゃったみたいで……」
「無理もないですよ」
濡れタオルを菜奈にあてがってくれたのはさっきの女の子だった。柔和な顔つきの美少女だ。
「そりゃ、猫の姿でしゃべられたら驚きますよね」
「ごめんなのにゃ」
「ひっ」
猫のカリンがひらりと菜奈の膝に乗って謝ると菜奈はのけぞった。
「あらあら、いわんこっちゃない。えーとお名前は?」
「……菜奈です」
「ビックリするだろうけどここで働くからには慣れてね」
少女が両手で自分の頭を撫でるとそこには猫の耳がついていた。
「……!!」
「私は猫又の白玉。ここの猫については私に聞いてね」
口をパクパクとしている菜奈を残して白玉と名乗った少女はそう言い残すと奥へと消えた。
「あれ、気が付いたかー。大丈夫かい?」
入れ替わりに現れたのは犬神だ。
「大丈夫じゃないです! なんなんですか、いきなりキ……キ……」
「あれは人ならざる者の声が聞こえるようにしただけだよ」
犬神はしれっとした顔でそう言った。
「なんで勝手に!」
「ほら、俺のお嫁さんになるのに不都合だろう?」
「私がなるのは従業員! お嫁さんになるなんて言ってません!」
菜奈ははっきりとそう言ったが、犬神には何も効いていないようだった。菜奈はくそ、イケメンめ……と唇を噛んだ。
「従業員の話も……無かった事にしてください」
居心地のいい店だと思ったけれど、こんな訳の分からない所ではとても働けない。菜奈は仕事も断りをいれた。
「ふーん、別にいいけど……そこ、そんなんでいいの?」
犬神は何でも無いように菜奈の言葉を受け入れたが、自分の首元をさすってみせた。
「……なんですか?」
「ほら、そこに鏡があるよ」
「……?」
言われるがまま菜奈は流しの鏡を覗いて絶句した。鏡の中には首元に見た事のない文様が鬱血したように浮き出ていた。
「えっ、タトゥー!?」
「いやいや、それは『犬神の首輪』。それがあればあやかしの姿も声も聞こえる優れものだよ」
「えっ、そんなの困ります」
「そっかそっか」
菜奈が困惑しているのを犬神は満足そうに眺めている。
「それを取って欲しかったら三ヶ月間ここで働きなさい。その間に……」
そこまで言うと犬神はニッと笑った。それは菜奈には耳まで釣り上がったように見えた。
「君を口説く! そして俺のお嫁さんになりなさい」
「えええ……?」
「あ、ちゃんとした自己紹介がまだだったね。俺は犬神の
菜奈はやっぱり……と目を覆った。さっきからこの男も人間ではないような気がしたのだ。
「本当に三ヶ月働いたらこの模様をとって自由にしてくれるんですね?」
「ああ、約束しよう。私はこれでも幽世……あやかしの世界でも実力のあるあやかしだ。その名にかけて」
菜奈はそれを聞いて観念した。ここは下手に逃げてこの目立つ模様を抱えて生きるより、正面から言う事を聞いて取ってもらった方がいい。ただしお嫁さんにはなるもんか、と。
「やりましたにゃー、犬神様」
「あのね、私はここで働くだけよ」
嬉しそうに飛び跳ねるカリンに菜奈は忠告した。
「ところで、なんで犬の化け物が猫カフェをやってるのよ」
「化け物って……いや、猫が好きだからだよ」
犬神はきっぱりと答えた。その横からカリンが口を出す。
「犬神様は猫又好きの変わりもんだにゃ」
「カリン! 違うぞ! 俺は地域の猫と猫又の雇用を増やしたかっただけだぞ」
犬神が慌ててカリンに言い返した。するとカリンはにししと笑った。
「おやおや、白玉の機嫌が取りたくてここを作ったのかと思ってたにゃ」
「ただの趣味だ。カリン、そうやってなんでも邪推するのはよしてくれ!」
犬神がカリンのよくのびるほっぺをぶにーと引き延ばしている横から白玉がやって来た。
「安心してくださいね。白玉には彼氏がいるので」
と、菜奈に緑茶を出す。菜奈は戸惑いながらぼそぼそ答えるしか無かった。
「あ、いや……安心もなにも……」
「言い争って喉が渇いたでしょう。お茶をどうぞ」
白玉のいれたお茶は甘みがよく出ていて美味しいものだった。ここのお茶はみんな白玉が淹れているのだろうか。
「とにかく……来週からよろしくお願いします」
菜奈は白玉に頭を下げた。
「はい。菜奈さんが来てくれれば私も休憩できますし大歓迎です。なにしろここのオーナーはすぐに店を空けてしまいますから」
「よ、よろしくお願いします……」
犬神はここの経営にそんなに熱心ではないようだ。それこそ本当に道楽でやっているのだろう。
「それではここの接客担当を紹介します」
白玉がパチンと指を鳴らすと、四匹の猫が目の前に勢揃いした。
「最年長がこちらの黒猫のカリン」
「よろしくにゃー」
「そしてぶちのアズキ」
「あいあい!」
「虎猫のキリ」
「よろしくたのむ」
「灰色靴下猫のマイケル」
「どうも」
菜奈に向かってぐるりと囲んでみな一斉に頭を下げる。
「よろしくお願いします……」
菜奈はその愛らしい様子に毒気を抜かれながら、猫に向かって頭を下げた。
「では、来週からお待ちしてますよ」
そう言って白玉はニッコリと笑う。犬神もその横でニコニコしている。
「いやあ、楽しみだ」
「あの……犬神さん」
「ん? 宝と呼んでくれ」
「タ、タカラさん……なんで私なんですか」
タカラはその正体こそ人ではないが、思わず見とれてしまう男ぶりである。どうして十人並みの自分をわざわざお嫁にしたいなんて言い出すのか分からなかった。それこそその横の白玉の方がよっぽどふさわしいと思うのだ。まあ、彼女には彼氏がいるらしいけれど。
「それはね……うーん、やっぱり言うのはやめた」
「は?」
「ただね……君が大人になるまで待ってた、とだけ言って置こう」
菜奈の疑問に、タカラはそう答えた。しかし……菜奈はタカラに会った記憶なんて全く無い。
「ひ、人違いじゃないでしょうか」
「それはないよ。犬神は鼻が利く……まあ、覚悟してなよ。三ヶ月かけて君を口説いて見せるから」
タカラはそう言って片眼を瞑ってみせた。
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