おいしいコーヒーを淹れます

「そうそう……サーバーを温めたら熱湯を豆に細―く注ぐんです」

「白玉さん、一杯一杯淹れてるんですね……」


 翌日出勤した菜奈は、白玉からコーヒーの淹れ方を教えて貰っている。インスタントでしか淹れたことのない菜奈にはふわっと水分を吸って膨らむ豆や、香ばしい香りがとても新鮮だ。


「……サードウェーブって言うんです」

「サード? いち、に、さん、のサードですか」


 菜奈が首を傾げると、白玉は頷いて続けた。


「はい。アメリカのコーヒー文化の波及の三番目、って意味です。アメリカで広くコーヒーが飲まれるようになった第一波、シアトル系コーヒーチェーンに代表される第二派、そして生活必需品からワインやチョコレートのように嗜好品として味わう第三波……」

「ほ、ほう……?」

「とにかく……丁寧に淹れて味や香り、豆の特製を味わおう、というのがサードウェーブコーヒーって言って、この清澄白河の街にはそういうお店が沢山あるわけです。私がやっているのはそのまねっこです」


 そう言って白玉はフィルターを外して、サーバーからカップに移したコーヒーを菜奈に勧めた。


「はい、菜奈さんのはじめて淹れたコーヒーです。飲んで見てください」

「……いただきます。……うーん……ちょっと薄い?」


 菜奈の淹れたコーヒーは、甘みやコクは感じられるものの、全体的に味が薄い感じがする。


「お湯を注ぐスピードが速かったのかもしれません。まあ、こういうのは何度もやって覚える物ですし」

「うーん……奥深い……」


 猫カフェでこんな手の込んだドリンクを出すなんて、道楽だからこそ出来る芸当だ、と菜奈が考えて居ると、フロアの方からくすくすと押し殺した笑い声が聞こえてきた。


「ん……一体……」


 ひょっとガラスの向こうのフロアを菜奈が除くと、例の大きなビーズクッションにあぐらをかいているタカラが、うつらうつらとしている。それを近所の奥様方が笑いを堪えながら見つめていた。


「え、ええ……?」


 その膝の上にいる灰色猫のマイケルは菜奈の視線に気が付くと困ったような鳴き声をあげた。


「まったく! タカラさん、タカラさん」


 菜奈が起こそうとフロアに向かってタカラの肩を揺さぶると、タカラはぱちりと目をさました。


「んー……」

「タカラさん、営業中ですよ!」

「おいでおいでー」


 寝ぼけているのかなんなのか、タカラは菜奈に抱きついて頭をわしゃわしゃ撫でてくる。


「タカラさん! 私は猫ではないです!!」

「あ……なんだ? 寝てた?」

「もう!」


 その様子に、成り行きを見守っていた奥様方はとうとう笑いを堪えきれずに拭きだした。


***


「ああああ……」

「菜奈さん、しっかり」

「恥ずかしい……恥ずかしい……」


 奥のスタッフルームに逃げ込んだ菜奈に、白玉は一生懸命声をかけている。人前であんな……あんなセクハラされるなんて……と、菜奈は羞恥に悶えていた。いや、タカラはセクハラなんて夢にも思って無さそうだったが。そんな時に、バーンと扉が開いてタカラがやってきた。


「おーい、菜奈!」

「ひっ?」

「なんだよ。仕事だ、仕事」

「仕事……はい……」


 仕事と言われればしかたない。菜奈はタカラから十分に距離を取って後をついていく。


「……悪かったって。マイケルだと思ったんだ」

「デスヨネ……ハイ……」


 先程のお客さん達はもう帰っただろうか。彼女達に大笑いされたのが菜奈としては一番恥ずかしかった。


「あら……誰もいない」

「これから別の・・仕事の依頼人が来る」

「ああ……だったら私は居なくても……」


 タカラがこの猫カフェでどういう訳か金すらとらずにあやかしの力を使って困り事を解決しているのはもう分かった。その心情まではわからないけど、菜奈に出来ることはない。


「今度は菜奈にも手伝って貰おうかと思っている」

「え……私、ですか」

「ああ。だから今回も横で話を聞いていてくれ」

「分かりました」


 菜奈が手伝えることとはなんだろう。前回は迷い猫のこたろう君を抱っこしただけだ。そんなことを菜奈が考えているうちに、依頼人がやってきたようだ。


「どうも。ここが『いぬがみ』さんであってますか」

「はい、こちらへ」


 猫カフェいぬがみにやってきたのは、六十手前くらいのおじさんだった。


「やあ、いらっしゃい。今日はどんな?」

「はい、これなんですがね」


 おじさんが取り出したのは古めかしい変色したビニール人形だった。


「随分昔のですね」

「ええ、グレイトダイナマンっていうやつなんですが、若い人にはわからないか」


 おじさんは自嘲気味に笑いながら、その人形をテーブルの上に乗せた。


「これの仲間でグレイトガイアマンって人形があるんですよ。ずっと一緒に飾っていたのに、ふっと見たらガイアマンの方がいなかったんです」

「ふーむ」

「同じ物なんて、オークション探しても無いですし……それにこれはずっと昔に私の亡き父が買ってくれてそれからずっと大切にしていたものなので、どうにも諦めきれずに」

「そうですか……」


 かつて少年だったこのおじさんは、よほどうれしかったのだなと菜奈は思った。菜奈が昔遊んだ人形や玩具はどうしただろう。いくつかは実家にあるんじゃないかとは思うが。


「お願いします……なんとか人形を探してもらえませんでしょうか」


 おじさんはタカラに頭をさげた。


「ええ、いいですよ。必ず見つけてみせます。ただし、今回は助手が探しますので少し時間がかかったらすまない。……な、菜奈」

「わ、私ですか?」


 突然指名された菜奈は目を白黒させた。おじさんの大切な人形の思い出は理解できるものの、自分が何ができるだろうと不安げにタカラを見つめた。

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