記憶の波に溺れそうです

 よろしくお願いしますと何度も頭を下げて、おじさんはお店を去って言った。そして残されたのはかのグレイトダイナマンである。


「これを……どうしろと」

「菜奈、そろそろ犬神の印が体に馴染んできたんじゃないかと思ってな」

「馴染む……?」

「その印を通じて俺の神通力の一部なら、君は使えるようになってるんじゃないかってこと。今回はそれを確かめるのにちょうどいいと思って」

「そ、そそそ……」


 猫やあやかしの言葉が聞こえるだけでなく、そんなことまで出来る様になってるかもしれないなんて、菜奈は初耳でおもわずどもってしまった。そういえばこたろう君を見つけた時もやたらと遠くの声が聞こえた。あれはそういったことだったのだろうか。


「では、触れてごらん」

「……はい」


 菜奈は少し躊躇しながらも怖々と、人形に触れた。


「わ……」


 すると、すごいスピードで人形の見てきた景色が頭の中を駆け巡る。


「き……気持ち悪い……」


 猛スピードで流れるイメージが頭に浮かんで、菜奈は酔ったようになり、思わず下に這いつくばった。


「見えてるんだな。落ち着いて。最近のだけ見ればいい」


 タカラが菜奈の耳元で囁く。菜奈はその声に不思議と落ち着きを取り戻した。そして回転する人形の記憶の中から、最近のものを選べる気がした。


「テレビの横の棚にずっとあって……あ、誰か隣の人形に触れた……落ちた……袋に入って……」

「そうそう……」

「子供だ。……お孫さんかな、ああ……持ってきたおもちゃに混ざっちゃう……」


 菜奈の頭の中の映像はそこで途切れた。どっと変な汗が菜奈の全身から吹き出た。


「そうか、お孫さんのおもちゃに混じってしまったのかな」

「……多分」


 菜奈は息を荒くしながらなんとか答えた。


「ご苦労、疲れたろう。少し横になるといいよ」


 ぐったりとした菜奈をタカラは抱き上げて、ソファーの上に横にさせる。菜奈は抵抗する元気もなくて、されるがままになっていた。横になっている菜奈の耳に、タカラが依頼人に電話をしているのが聞こえる。菜奈はそのまま目を瞑った。


「……菜奈」

「あ……」

「人形見つかったって。お孫さんのお出かけ用ポーチの中から出てきたってさ」

「本当ですか、よかった……」

「菜奈、良くやったな」


 まだ横になったままの菜奈の頭を、タカラが優しく撫でている。


「びっくりしたろう」

「……はい」

「ごめんな、でも慣れたら簡単だから」


 低く穏やかなタカラの声が心地いい。どうしてだろう、どこか懐かしいような気がするのは……菜奈はぼんやりとする頭でそれを聞いていた。


「菜奈さん、冷たい麦茶です。飲めますか?」

「あ、白玉さん。ええ……はい、いただきます」


 菜奈はソファーから身を起こして、白玉が用意してくれた麦茶を口にした。冷たい液体が喉を通ると、すうっと意識がハッキリしてくる。それでもまだふわふわしている菜奈の横で、白玉はタカラに文句を言っていた。


「犬神さんはご自分の力を見誤りすぎです。あの人形は五十年近くたっているでしょう? 自分の寿命の倍近い情報をいきなり見せるなんて……」

「ああ、すまんかった。でも菜奈なら大丈夫かと思って……実際大丈夫だったろう」

「ひっくり返ってるじゃないですか!」


 白玉の頭から耳がぴょこんと飛び出た。大分怒っているらしい。菜奈もタカラに言いたいことはあったが、あんまり白玉が怒っているのでなんだかその気が失せてしまった。


「あ、あの……白玉さん、私もう大丈夫ですから……」

「……そうですか」


 白玉は菜奈にそう言われてようやく口と耳をひっこめた。そして菜奈は怒る代わりにソファーにひっくり返っている間に、なんだかもやもやと胸の中に浮かんできた疑問をタカラにぶつけることにした。


「タカラさん」

「なんだい?」


 ゆったりとこちらを向くタカラ。その目は日本人にしては薄い色。その目を菜奈はどこかで見ている気がした。


「私達……どこかで会ってます……か……?」

「ああ」


 タカラは菜奈の質問に素直に頷いた。やっぱり、と菜奈は思う。


「一体どこで……」

「さあて、どこだろうか。自分で言ってもいいけど……俺は菜奈に思い出して欲しいな」


 タカラの口調は明るいが、決してからかっている風でもない。菜奈はこんな目立つ男に会っていたら忘れるなんてことあるだろうか、と首を傾げた。


「……ごめんなさい。思い出せません」

「そうか……」


 タカラは微笑みながら菜奈の言葉に頷いたが、どこか少し寂しそうだった。


「思い出したかったら、ここの仕事を手伝うことだ」

「……さっきみたいな?」

「ああ。他にもっとややこしい仕事もあるよ。大丈夫、菜奈なならやれる」


 その時、ふっとまた菜奈の中に妙な感情がわき上がる。


「前にも……そんなことを言われたような……」

「ふふふ、そうだよ」


 タカラはそう言うと、今日は店じまいだと告げてさっさと帰ってしまった。


「菜奈さん……」


 おいてけぼりのようになった菜奈に白玉が声をかける。


「もし、嫌だったら言ってくださいね。首のそれも……三ヶ月辛抱しなくても取ろうと思えばとれますから」

「そうなの?」

「まあ……犬神さんより高位の霊格のあやかしに頼んだりすれば。それなりの代償はありますけど方法がない訳ではありません。菜奈さんが望むのなら……」

「……うーん」


 きっかけは確かにこの文様を取って貰うことが目的だった。だけど……。菜奈はちらりとシャツをめくって首元の印を見た。今はこれより気になることがある。


「それもいいけど、タカラさんとどこで会ったのか……思い出してからにしようかな」


 菜奈とタカラはどこかで出会い、そして言葉を交わしたのだ。今の菜奈には思い出せないけれど。


「菜奈さん……そうですか……」

「それに白玉さん、私まだまともにコーヒーも淹れられませんから!」


 それでもまだ心配そうにしている白玉に、菜奈はにっと笑ってみせた。

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