依頼人が来たようです
「じゃじゃーん!」
翌日出勤した菜奈は白玉に鞄の中から取りだした三冊の本を見せた。
「コーヒーと紅茶と緑茶の淹れ方の本を買ってきました」
「あら」
「白玉さんに習ってばっかりも悪いですから、これで自習をします」
昨日帰りがけに本屋の前を通りかかった菜奈は、ふっと本を買って勉強すればいいのではないかと思いついたのだ。
「感心だにゃ、それは経費で落とせばいいにゃ。ほれレシート」
「えっえ……?」
「あらカリン、スタッフルームに入って来ちゃだめよ」
いつのまにやら気配もなくスタッフルームに滑り込んでいたカリンに菜奈はビックリした。
「業務の為に買ったんだから当然、経費にゃ」
「はいはい、そうね。菜奈さんレシートください」
「は、はい……」
菜奈は慌てて財布の中からレシートを取りだして白玉に渡した。
「……カリン、よく経費なんて知ってるわね」
「猫又になった時に困らないように人間社会のことは勉強しないとにゃ」
それにしても人ズレしすぎじゃなかろうか、と菜奈は思った。
「経費かあ……」
菜奈の前職場ではそんなの経費で落ちなかった。それどころか、社長の訳の分からない自伝を自腹購入させられていたのを思い出す。
「……ホワイトだわ」
菜奈はぼそっと呟いて、なんだか情けないような悲しいような微妙な気持ちになった。
「菜奈、仕事だ」
「もう開店時間ですよ」
これからお客さんが入ってくるのに、込み入ったプライベートの話をしてもいいものなんだろうか、と菜奈は思った。
「関係無いさ。あやかし関連のお客は結界の狭間にやってくる」
「あ……今まで探し物のお客さんが来た時に誰も居なかったのって……」
「そう。現世と幽世のほんのちょっとした隙間だから誰もいないように見える。と言ってもほんの少しだ。猫たちは軽々と飛び越えているだろ」
「確かに……」
ここは犬神がオーナーの猫カフェだ。菜奈の……人間の常識では考えられないようなことが普通に起こる。
「さて……」
急にタカラは真面目な顔になった。菜奈はあんまりみないその表情にどきりとした。
「お邪魔します。『いぬがみ』はここでしょうか」
そう言ってやってきたのは若い女性だった。髪もきれいにくるくる巻いて、明るいピンクのワンピースを着たごくごく普通の女性だ。
「こんにちは、こちらへどうぞ」
「はい」
その女性はちょこんとソファーに座る。白玉はそんな彼女にすっと紅茶を出した。
「ではご用件をどうぞ」
「あ……あの……人を探して欲しいんです」
彼女はそう言うと、ハンドバッグから一枚の写真を取りだした。そこには一人の男性が映っている。
「行方が分からなくなった私の彼氏を探して欲しいんです」
「ほう……」
タカラはその写真を手にして目を細めながら眺めた。
「この辺にいるらしい、ということまでは分かったんですけど……それ以上は……ここなら見つけてくれるかもしれないと知人に聞いてやってきたんです。彼を見つけられますか?」
「……ああ、見つけられるよ」
「本当ですか!?」
恋人探しにやってきたその女性はぱっと顔を輝かせた。そんな彼女に、タカラはこう続けた。
「だけど、この依頼は受けられないですね」
「なんでですか!」
「あなた……嘘をついているでしょう」
そう言ってタカラは持っていた写真をテーブルの上に放った。
「う、嘘なんて……」
「分かるもんですよ。人捜しの依頼なんていくつも受けているんです。例えば、この写真なんで正面の写真じゃないんですか? まるで隠し撮りだ」
「……」
「それに恋人に行き先を教えないなんてことあるかい? 教えたくなかったんでしょう、あなたが……恋人ですらないから」
タカラの言葉に、依頼人の女性は顔を真っ赤にした。羞恥の為ではない。それは怒りの表情だった。
「分かってない! 彼を一番愛してるのは私! いつだって彼のことを考えてそばにいるべきなのも私!」
それまでのしとやかな様子が嘘のような様子で、彼女はタカラを怒鳴りつけた。
「私は彼を愛してる! 愛してる! 愛して……」
「……それは愛情じゃなくて妄執っていうんですよ」
猛然と食ってかかられても、タカラはまったく動揺せず、静かな冷たい口調でそう言った。
「だからこの場合するべきは人捜しではなく……」
タカラはその女性の頭をがっと鷲づかみにした。すると女は凍り付いたように動かなくなる。
「その妄執を祓うこと。でなければお前を蝕むばかりでなく、その男にも災いが行く」
タカラは頭を掴んで揺さぶりながら、もう片方の手でその背中を強く何度も叩いた。
「げっ、げっ、げ……」
「吐き出せ。我は犬神、貪食のあやかし。お前の妄執も執着も全部食らってやるぞ」
「う、げぇええええ……」
途端、女の口ががばりと開き、黒い塊が飛び出した。それは小さな羽虫の集合のようにひとつに固まって部屋を舞う。
「わっ……こっち来る!」
菜奈が頭を抱えて床に蹲ると、タカラは引っつかんでいた依頼人の女を投げ捨てて菜奈の前に立ちはだかった。
「ヴ……」
ザワザワと、タカラの襟足が逆立つ。普段は見せない耳と尻尾、そして牙を露わに、黒い物体を掴むとぐいぐいと口に押し込んで丸呑みにしてしまった。
「……タカラさん?」
「菜奈……大丈夫か」
「ええ、私はなんとも……」
振り返ったタカラの目は爛々と光っている。菜奈はあやかしの姿になったタカラを見たのは初めてだった。
「なら……いい……少し休む。その女の人を休ませてやってくれ」
「は、はい……」
「ああ……不味い。気分が悪い」
タカラはそうぶつぶつ言いながら、スタッフルームに向かっていった。菜奈は倒れている女の人をビーズクッションのところまで引き摺っていくと、そこに体を預けさせた。
「結局……この人はストーカーさんだった訳よね……」
キレイな女の人なのに。どうせなら自分を好いてくれる人を好きになればいいのに、そう菜奈は思いつつ。そこがどうにもならないから彼女はこんなに煮詰まってしまったのかもな、と思った。
「にゃー」
そんな依頼人の女性の横にやってきたのは虎猫のキリだ。
「キリさん、そばについていてくれるの?」
「ああ。妄執だろうと執着だろうと、そこにあった気持ちを失えば寂しいだろうからな」
「……そうね、キリさん」
菜奈はキリの優しい気遣いに思わず少し微笑んだ。
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