ホリゾンブルー ~光より生まれし子どもたち~

青居月祈

勿忘草

第1話

 御畑みはた中学校の図書室に幽霊が出るんだって。


 そんな噂を耳にしたのは、梅雨も明けようとしている六月の終わり。

 給食時間が終わった後の気怠い時間。雨が降っているのかいないのか、微妙な空模様。長袖だと暑いけれど半袖だと寒い。


 雨まだ降ってる? とか、今日の部活外でやんのかな、とか話し声の合間に「え、幽霊?」と甲高い声を捉えたのだ。


「そうそう」

「なに、学校の七不思議的な?」


 教室の後ろで頭を寄せ合って話し込む彼女たちは、寒いらしくセーラー服の袖に手を窄めている、寒い寒いと言っている割には、スカートが短くて足を出している面積が多い。


 愛衣の席は窓側から二列目の一番後ろだものだから、声を潜めていてもばっちり聞こえてしまう。

 後ろの声なんて聞こえませんよ、というフリをして、読みかけの本に視線を落とす。けれども、タイミングがいいのか悪いのか、読み進めているは幽霊が出てくるミステリーだった。


「出るって、図書室?」

「あー、正確には準備室の方」


 ポニーテールの女子が訂正するように手を振って、内緒話するように声を潜めた。


「夜の図書準備室に、この学校の生徒の幽霊が出るんだって」


 小さくしているはずなのに、声が高いからかはっきりと聞こえてくる。


「準備室ってそんなに入らなくない?」

「見間違いじゃないの? 先生とか」

「本当だって。A組の同小おなしょうの子が見たって言ってたもん」


 疑う女子の肩をバシッと叩く。


「えーうっそだ」

「ほんとだってば」

「男? 女?」

「たぶん女。影がセーラーっぽかったって」


 聞き流しながらも、追っていた文字から視線を上げて窓の外に視線を向ける。


 中庭を挟んだ南校舎。その三階の西側にくだんの図書室と図書準備室がある。中学校にしては広く、準備室も規模が大きい。私立図書館には到底及ばないけれど、本好きなら一日中入り浸っていても退屈しない。


 ……図書室の幽霊か。


 読んでいる本に集中できなくて、活字をすっ飛ばしてページをあてもなくぱらぱらと捲ってく。


 ……幽霊っぽい人なら知ってるけど、男だもんな。


 そう思ったところで、予鈴のチャイムが鳴った。廊下がばたばたと慌ただしくなり、愛衣も単行本に栞紐を挟んで閉じて、机の中に押し込んだ。



 放課後、鞄を持って、早足で教室を出た。

 教室から見るのは簡単だけれど、実際に移動するとなると愛衣の教室から図書室までが一番遠い。渡り廊下は一階しかついていないせいで、一度土間まで降りなければいけないのだ。


 部活や委員会に向かう生徒たちの流れに乗って、図書室に向かう。木造の引き戸を開けると、乾いた本の匂いが冷たい空気がするりと這うように流れ出てきた。


 授業が終わったばかりの図書室は誰もいない。規則正しく並んだ七つの書架の奥に、読書用のテーブルが置かれた空間が広がる。南向きの窓からはグランドが見渡せた。

 ちらと覗いてみたら、葉桜の向こうで野球部やサッカー部をはじめ、運動部がグランドの準備を進めているのが見えた。


 素通りして、一番奥の図書準備室の扉を開いた。


「おはようございまーす」


 挨拶して入ったけれど、準備室にはまだ誰も来ていなかった。


 南側と北側、扉のある東側の壁一面に重厚な本棚が設置されている。西側は大きな窓になっていて、学校の隣にある緑地公園が開けて見えた。窓の下にも小さな本棚になっている。部屋の真ん中には十人は余裕で座れる一枚板の大きなテーブルが置かれていた。


 それでも有り余るほどの広さだけれど、妙にこぢんまりしているように見えるのは、本棚に収まりきらない書籍が積まれた山が、いくつも床の一部を埋めているからだ。地震が起こったら倒壊して、生き埋めになること間違いなしだ。


 それでも大きな窓から差し込む西陽のおかげで、カーテンを閉めていても充分に明るい。ちらちらと舞う細かな埃が、淡い光を受けてキラキラと輝いている。


 奥の椅子に鞄を置いて、窓辺に歩み寄る。若葉色のカーテンを開いて窓を少しだけ開ける。

 今はもうすっかり止んだ外から、雨と広葉樹の匂いを含んだ風がふわりと舞い込んで、カーテンを膨らませた。

 雨上がりの匂いは柔らかく、どこか懐かしい心地になる。風もひんやりしていて、鬱々としていた気分を涼やかに晴らしてくれる。

 すぅ、と深く息を吸って、吐き出そうとした時だった。


「あ〜、いい風!」


 突然、真横で澄んだ声がした。

 ぎゅっと心臓が縮み上がり、喉の奥が引き攣った。

 声のした右側に首を巡らせると、無意識に息を止めていた。


 愛衣のすぐ隣に、同じ制服を着た女子生徒が立っていた。


 窓から吹き込んだ、雨上がりの風を顔に受けて、気持ちよさそうに目を細めていた。カーテンか揺れると同時に、長い綺麗な黒髪もふわりと靡く。


「え……」


 息を吐き出すと同時に、閉じられていた瞼がパチリと開く。

 それからこちらを向いた。濡れたような黒い両目を好意的に細めて「気持ちがいいね」ち、にこりと微笑んだ。

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