金魚が死なない
めだか、蛙、金魚など、手軽に飼育できる水棲生物は多い。水槽や餌などの飼育環境を整えるのも比較的簡単で、その生き物も安価に手に入りやすいので、きっと誰でも一度は飼育したり、観察したりしたことがあるだろう。
子供達でも世話ができるところから、こうした生き物はしばしば小学校の教室で飼育されることがある。
Mさんが小学5年生のころも、教室で金魚を飼っていたそうだ。というのも、理科の授業の一環として、同学年の各クラスで1つずつ水槽を置き、金魚の生態を観察しよう、ということになったのだった。
真新しい、透明なアクリル水槽に、敷石、青い水草。丁寧にカルキ抜きをした水を注ぎ、和金を放った。和金は地味だが、それでも何匹もいれば鮮やかな朱色が美しい。「教室に生き物がいる」というだけでも子供達にとってははしゃぎたくなる出来事だった。当然、世話をしたがる者も多く、「飼育係」の立候補者は倍率が最も高かった。そこで、Mさんのクラスではあえて定員を設けず、当番制とした。つまり、毎日の日直がその日餌やりや水換えなどをすることに決まったのである。
Mさんのクラスの金魚は、他のクラスと違うところがあった。和金の群れの中に、1匹だけ斑のある金魚がいたのだ。尾びれに丸く、墨を垂らしたような模様がついている。そんな模様のある金魚は、どのクラスにもいなかったので、Mさんのクラスメイトは「当たりだ、当たりだ!」と自慢にしていた。
金魚を飼い始めてから、当番を何周かしたころ。
「ねえ、隣のクラスの金魚、死んじゃったんだって。」
いくら飼いかたが簡単とはいえ、基本的に子供達だけで世話を預かっていると、どうしても世話が行き届かなかったりするのかもしれない。そうでなくとも、どこかで病気が発生することもあるものだ。各クラスの水槽から、1匹、また1匹と、金魚が消えていった。
Mさんのクラスでも、それは例外でなかった。数匹いた和金の群は、だんだんと寂しくなっていった。餌を多くやり過ぎて、水が濁ったのか。それとも、エアポンプの調子が悪くて、酸欠になったのか。日直が日々頭を悩ませたのだが、原因はなかなか分からなかった。残った和金を一旦外に出し、水槽を丸洗いし、水を総とっかえしても、金魚は減り続けた。
しかし、そんな中でも生き残った金魚がいた。例の、斑尾の金魚だった。その金魚だけは、周りの金魚が消えていくなかでも生きていたのである。
仲間がいなくなり、広くなった水槽で、丈夫な斑尾は悠々と泳いでいた。Mさんのクラスメイトは喜んだ。「不死身の金魚だ」、斑尾はいつしか、そう評判になった。
やがて、水槽には新しい和金が補充された。ところが、その和金たちもどういうわけか次々に腹を見せて浮かんでしまうのだった。どうして金魚が死んでいくのか、まったく分からないままで日々は過ぎていった。
それでも、斑尾は何食わぬ顔で生き続けていた。
そのうち、初めは斑尾を自慢にしていたクラスメイトは、今度は気味悪がるようになった。他の金魚がぷかぷかと浮かび続けるなかで、唯一生き残っているのは−
−この斑尾のせいだ。
得体の知れない毒素が水槽を汚染するように、「斑尾の呪い」という言葉が、教室内で密やかに広まった。
それは、誰が発端だったのか、わからない。きちんと管理されていたはずの水槽に、入るべきでないものが混入するようになったのだ。
石鹸水。雑巾の絞り汁。洗剤。給食の牛乳。果ては、どこから持ち出したのか、塩酸など実験用の薬剤などなど。
「いたずら」をした生徒たちは、やがて見つかり、厳しく注意を受けることとなった。
だが、斑尾はそれでも生き続けていたのだ。濁りきった汚水のなかで、餌も与えられなかったが、病気にすらならずに鰭を動かし続けていた。
いたずらはぱったりと止んだ。叱られたから、というだけでなく、やはり薄気味が悪かったのだろう。それ以来、クラスメイトは斑尾を自慢することもやめ、ただ静かに必要な世話だけをした。自分たちがこの学年を去るまで。
生徒たちは進級し、やがて卒業していった。
その後、何十年も経ってから。
Mさんの元に、一通のハガキが届いた。
クラス委員の呼びかけで、同窓会が開かれることとなったのだ。懐かしい顔ぶれに会えるせっかくの機会だと、Mさんはハガキを手に、かつての母校へ赴いた。
恩師の案内で、Mさん始め同窓の友人たちはぞろぞろと母校を練り歩いた。校舎はリフォームされており、すっかり綺麗な環境になっていたが、いくつかの部分はかつての面影を残していたそうだ。あそこ変わったね、ここは変わっていないね、と口々に話しながら、自分たちの使っていた教室の数々を、1年生から順に辿っていったのだ。
そして、5年生の教室に着いたとき。
窓辺に、水槽が置かれていた。
−相変わらず、金魚を飼っているのね。
その中に魚影が見えたので、Mさんは近づいてよく見ようとした。
そのとき。
水槽の中で蠢くものを見た途端、ぞっと怖気が走り、慌ててMさんは教室を出て仲間と合流したのだ。
水草の中から泳ぎ出てきた金魚。
和金とは思えないほど、大きく膨れ上がった体躯。
その尾鰭−
「間違いありません。あれは」
紛れもなく斑尾だった、という。
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