赤いポシェット

それは、あえて「バッグ」でも「ポーチ」でもなく、「ポシェット」と呼びたくなるような小物だった。


真っ赤な、ぴかぴかのエナメル。

ハート形で金縁の留め金。

どこかチャチな造りは、「おもちゃ」という感じがした。

「小さな女の子が持っている、雑誌のふろく」という印象である。


それが、ぽつんと落ちているのだ。

この、繁華街に。

なぜこんな、子供など無縁そうなところに、こんなものが?

どこかのお店の娘が、持っていたのだろうか。

こんな、子供っぽいものを?


まあ、若いコたちの間では、こういうものが流行っているのかもしれない。交番へ届けようか、とも思ったが、何となく家に持ち帰ってしまった。時間が遅かったし、繁華街と交番はやや離れているのだ。緊急でもなさそうだから、朝届ければ良いだろう。


無造作にテーブルの上にポンと置く。

独り身の男には全く不釣り合いなポシェットは、拾った時よりもいくらか派手でいかがわしいものに映った。中身はカラ。サイズから考えると、単なる飾りとして使うもので、実用品ではないらしい。


「ああ、タバコ吸いてえな。」

寝る前に一服したい。願望が口を突いて出たのだが、あいにくと切らしている。

コンビニまで行くのは面倒だ…


コトン。

何か軽いものが落ちる音がして、振り返った。

例のポシェットから、四角いものがはみ出ている。


タバコの箱だった。


しかも、いつも吸いつけている銘柄。

この中にタバコをしまった覚えも、ましてや新しいタバコを買った覚えもない。


まさか、このポシェットが?

怖い気もしたが、ものは試しだ。

「タバコを出してくれ。」


ポシェットは微動だにしなかった。

なんだ、何が悪いんだ?


そうだ。

思い返すと、さっきは「出してくれ」とは言わなかった。

もう一度だ。

「タバコ吸いてえな。」


コトン。

さっき出たのと同じ銘柄の、タバコ一箱。


思った通りだ。命令ではなく「願い事」の形で言えば、ポシェットから出てくるのだ。

「欲しいものを出してくれるポシェット」なのだ。


そんな便利なアイテムがあるとなったら、人間やることは決まってる。

「金が欲しい。」


すると、いくらかまとまった枚数の一万円札がバサバサと出てきた。

食べたい料理、着たい服、最新のスマホ。

物理法則を無視して、どんな大きさや形状でもお構いなしにポシェットは出した。


ただ、財産を増やすには現金だけに限った。

大粒のダイヤモンドや金の延べ棒を出してもいいのだが、そういった貴金属類には鑑定書や保証書がつきもの。ポシェットはそこまでは気を使ってくれないらしい。出どころ不明の宝石をゴロゴロさせていたら、誰かに「盗品だ」と見咎められても文句は言えまい。


それにひきかえ、現金なら、ちゃんと通し番号や透かしが入っている。少なくとも「偽札だ」と疑われる危険はないだろう。


急に羽振りが良くなったと悟られないよう、少しずつ現金を出しては貯めていい部屋に引っ越した。


「いやあ、株が上手くいってね。」

適当なことを言って、周りの人間はごまかした。


都内有数のタワーマンション。

そのペントハウスが、現在の住みかだ。独身貴族には多少持て余し気味だが、まあ、その身分は身分でふさわしい家があるものだろう。


欲しいものは大抵このポシェットから出てきたのだが、どうしても「生き物」は出てこないらしい。これで絶世の美女が揃えば、言うことないのだが…。


ピンポーン。


突然、インターホンが鳴った。

このマンションはオートロックな上、パスロックを入力しなければ一歩も入ることができない。

なのに、どうして玄関のすぐ外にいるのだ?


モニターには、見知らぬ男が映っていた。ラスプーチンのような長い山羊髭。身なりはそれなりに整っているから、悪人ではないだろうが…。

恐る恐るインターホンのモニター越しに対応する。


「赤いポシェットをお持ちではないですかな?」


どきりとした。

急に言い当てられて、すっかり面食らってしまった。


だが、確かにあれは全く男物ではないし、どこかで見かけていたらすごく目立つだろう。

それで偶然知った、ということも考えられる。


しかし、事態は予測とは違っていた。


「娘の落としたポシェットなんですが。」


「いやあの、娘さんの落とされたものだとは知らなくて。」


家に招き入れた人物を目の前に、俺はしどろもどろに答える。

にわかに焦りが募った。こちらは、他人のものを我が物顏に使っていたのだ。それで、父親が怒ってやってきたのかも知れない。


「随分と、お気に入りのようでしたな。いやいや、いいのです。あなたのような人に使われて、むしろ良かったですよ。」

予想に反して、山羊髭の男は柔和な口調で応える。


「ただ、あれは娘の大事なものでしてな。お返し願いたい。」

「はあ、しかし、あのポシェットは不思議な力がありますよね?それをお子さんが持っているんですか?」


「お返し願う」と聞いたとき、何やら無性に「返したくない」と感じたのだ。確かに、こっちは拾っただけだ。とはいえ、さんざん使わせておいて、今更「返せ」もないんじゃないか?

要するに、手放すのが惜しかった。

それでイライラを募らせていたのだが、相手は不快な表情など見えないかのようにニヤニヤしている。


「さよう。私の娘がね。申し遅れましたが、私は悪魔なのです。」


悪魔。それが本当なら、ポシェットの不思議な能力も頷ける。人の欲望や煩悩を、むき出しにさせる作用があるに違いない。


「もちろん、ただで、とは申しませんよ。そちら様には、ポシェットのお世話になったわけですからね。そこで提案ですが、」

男はなおも柔らかく微笑みながら、うち耳をした。

「ちょっとしたゲームをしませんか。あなたが勝てば、ポシェットはあなたのもの。」

「どんな勝負で?」

「そのポシェットで、相手の欲しいものを出す。出せた方が勝ち。出せなければ負け。簡単でしょう?」

「いいでしょう。あ、でも、出せないものをリクエストするのはなしですよ。」

「そりゃあもう。」

かくして、悪魔との賭けが始まったのである。


世界中のありとあらゆるものの中で、一番珍しく、ポシェットが出せそうにないものを一生懸命に考えた。

「初めは私があなたのお好きなものをお出ししましょう。」

そう言って男は真っ赤なポシェットを掴んだ。

「お決めになりましたか?」

「ああ。德川埋蔵金!」

「どうぞ。」

じゃらじゃらじゃら。

いともあっさりと、ポシェットは古びた小判を吐き出した。

リビングの床の上に、あっという間に黄金色の小山が築かれた。

「もういいもういい。床が抜けてしまう。」

「そうですか。」

ぱちん、と留め金がかけられ、大判小判の流出は止まった。

「さあ、お次はそちらの番。」

「何が欲しいんです?」

「ケルベロス一頭を所望する。」


凄まじい爆発音と、硫黄の煙。

ポシェットからはみ出た、巨大なオオカミの尻尾に似たもの。

「まさか!生き物は出ないはずだ!」

「生き物、はね。これは魔物です。」

その言葉と同時に、ずるずると獣が出てきた。巨大な前足、鼻面、ギロギロと光る目玉、3つの頭。ペントハウス中を潰さんばかりのとてつもなくでかい犬が出現した。

「こいつの餌は何かご存知かな。欲深の魂が大好物なんでして。」


犬が口を開いたかと思うと、ペントハウスの住人はいなくなっていた。


その後、ポシェットも、山羊髭の男の姿も、見かけたものはいない。


ケルベロスが地獄に戻ったか?

それは神のみぞ知る、というものだ。

もしかしたら地獄にいるより、地上の方が効率的に「餌」が手に入るかもしれない。

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