いそぎんちゃく

 地元の水族館の、大水槽を眺めていた。小さな館内は閑散として物静かである。

のんびりと水槽を眺めている客は、私の他に誰もいない。

音のないガラスの向こうの世界を、大小の魚たちは舞い遊んでいる。


「世界の熱帯魚」と題された、その水中を私はくまなく見て歩く。

スズメダイの青い群れ。長々とヒレを引いたエンゼルフィッシュ。

透明と極彩色の演舞。


そんな水槽の奥底に、白っぽいものが踊るのが見えた。

幾本かの触手をまばらに生やした、控えめないそぎんちゃく。

波のまにまに、すんなり、ほっそりとした触手を揺らしている。


 俄かに、そのいそぎんちゃくは岩場を離れた。


 その華奢な触手が閃いたとき。先端に艶々とした爪が生えているのが見えた。


人の、手だ。


手首は、手招きするように巧みに指先を動かし、岩場の影へ消えて行った。


それを見送りながら、


−ああ、あの手を握りたい。


そう、思った。

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