天井に落つる団栗の音

こつん。ぱらぱら。

こつん。ぱらぱら。


まただ…。一度気にすると、なかなか落ち着かないんだよな。

私は何度めかの寝返りを打つ。

「あなた、眠れないの。」

「ああ…。」

妻を起こしてしまったようだ。傍で寝ている彼女は、この物音を気にもせずに寝息を立てていたのだ。

「明日も早いんでしょう、寝てしまいなさいよ。」

「そうだな。」

言われた私は、無理やりにでも寝ようと目をつむった。


 我が家の屋根に被さるように枝を茂らせて、巨大な樫の木が生えている。毎年大ぶりの木の実をつけるので、それが屋根に落ちて来て音を立てるのである。数年前にこの家を購入したときは、木が気に入って決めたのだが…。幸い、不思議なことに虫はつかないし、無害といえば無害だ。あの音を除けば。

あの音が始まると、私はしばらく眠れない。転転と寝返りを打つしかなくなる。ある時、一晩まんじりともせず「こつん、ぱらぱら」を聞いていた私は、それが夜明け頃には収まることを目を充血させながら知った。それからはようやく眠気が戻ってくるのだが、その後数時間で起きる時刻がやってくる。私は目の下に隈を作ることが多くなった。

 思い立って、耳栓を買ってみた。ウレタン製の耳栓は耳の中でみっちりと詰まり、いかにも音を遮断してくれそうだったので、思わず薬局で嬉しさが込み上げてきた。

しかし、耳栓は妻の寝息は遮断したが「こつん、ぱらぱら」はなおも突き抜けて聞こえてきた。

 何種類か耳栓を試したのち、寝室のサイドデスクの引き出しには入眠剤がストックされるようになった。

 

 また今年も夏がやって来た。夏も半ばになってから、この樫の木は実をつけ始める。青々しかった実が、やがて赤褐色に色づく。尻の尖ったところは、なんだか弾丸を思わせる。

 涼しい風の吹くころ、休日で暇だった私は庭掃除をしていた。庭土の上には、早くも木の実が落ち始めている。もうそんな季節になったかあ。手にした庭箒を、動かすともなしに動かし、落ち葉を集めた。集めた褐色の山に混じって、木の実がいくつか紛れ込んでいた。

ふと、私は木を見上げた。まだまだたわわに実を実らせた枝は、秋風に撫でられてざわざわと音を立てる。昼間だというのに、木陰のせいで頭上は暗い。我が家の屋根をかすめそうな枝ぶりが揺れるのを眺めているうちに、なんだか妙な気持ちを覚えて、私は片付けもそこそこに家の中へ入った。


「栗鼠かなんかじゃないの、きっと。」

 私は、庭で感じた違和感を話して聞かせたのだ。風で揺れたからといって、毎度々々実が落ちるわけではなかったのだ。それに、だいたい実がなっていないときは、あの音はどうして鳴るのだ。それに、どうして夜中の数時間に限って鳴るのだ。私はまくし立てた。その時の妻の答えが、上のものである。栗鼠だか小鳥だか、小動物が屋根裏にでも入り込んでいる。それでことこと音が鳴るのだ。そういう説明を妻はしたのだった。

「じゃあ、いつも栗鼠が何かしているっていうのか。毎夜毎夜ベッドの真上でか。いっつもか。」

思わず声が大きくなったが、妻は知らないわよ、そんなに声出さなくっても良いじゃないの、とたしなめただけだった。

「そんなはずないだろう。君はのうのうと寝ているから分からないのだ。」

「そんなはずないって、何よ偉そうに。自分が眠れないからって八つ当たりしないでよ。」

ここ数年、なかったような夫婦喧嘩をした。


 あいつが気にしないのなら、しょうがない。一人で正体を見届けてやるさ。

私は押入れの天袋から這い上がり、天井裏に忍び込んだ。別に、音を立てたって構わないようなものだが、なんとなくこういうときは息を殺してしまうものだ。片手に携えた懐中電灯で辺りを照らす。隣の部屋の天袋から入ったのだから、寝室はあちらの方で、ベッドはあの辺にある。よし。ここでしばらく待っていれば、「こつん、ぱらぱら」が何なのか分かるだろう。

私は、ベッドがあると目星を付けた辺りから少し離れたところで待機した。暑苦しくていられないかと思ったが、日が当たらないせいか割合に冷んやりとして、風通しも悪くない。

 もし小動物が出るようなら、容赦なくふん捕まえてやる。そして、二度と来ないように懲らしめてやる。まるで獲物を狙う猫のように、身を潜めて待つこと十数分。

—こつん。

—ぱらぱら。

微かな物音が聞こえた。間違いない、見当をつけた辺りで何か白っぽいものが動いている。私は匍匐前進でじりじりと近づいた。

—こつん。

—ぱらぱら。

—こつん。

—ぱらぱら。


 白いものは繰り返し繰り返し、跳ねるような動きを見せてはいくつかの粒を撒き散らしている。あれが正体だ。白い、鳥だろうか。粒は思ったより数があるらしい。こちらに気がつくこともない様子で、跳ねては撒き散らすのを続けている。何が面白くてやっているのか、と思うと、つい見入ってしまうのだった。

—こつん。

—ぱらぱら。

 跳ね上がる白いものは、幾本かに枝分かれした細い物体だった。それが屋根裏の床にバウンドし、中空で細かい粒となって散らばるらしい。

—ははあ。白い枝なんだ。

と思ったのは、どこかでやはり樫の木と結びつけていたからだろうか。

 あと少しで、手を伸ばせばぎりぎり届きそうな距離まで近づいた。ずっと腹ばい姿勢だったため、そろそろこちらの背中が軋む。私は物音を立てたりしないように、ゆっくりと体勢を変えて手を楽に伸ばせるようにした。あの白いものをつかんでやろうと思ったのだ。

—こつん。

—ぱらぱら。

 おもむろに手を伸ばし、撒き散らされる粒の一つを掴み取った。それは思ったような丸い木の実ではなく、何かの破片と思しき欠片だった。暗闇に目を凝らして、白く浮かび上がるそれをまじまじと見つめた。

 背骨に戦慄が走り、私はまさしく這う這うの体で慌ただしくその場を離れた。天袋から這い出て、私は着替えて寝室へ戻った。そして、自分の手を見た。握ったはずの破片は、どこかで落としてしまったのか消え失せていた。


 翌日。私は妻に話した。今や例のものの正体は歴然としていた。

「おい、あれ、樫の木の実なんかではないぜ。」

—人間の手首の骨が、跳ねては散らばっているんだ。

 妻は、こんな顔をしたきりだった

—何を今更。

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