座敷童だるま
「授かってきたよお。」
授かった?
赤ちゃんを…?
そんなわけないな、なんだろう、「授かった」って?
PCで作業していた手を止め、はてなマークを頭の上に飛ばしながら私は部屋から出た。玄関には、今しがた外出から帰ってきたらしい祖母が、ちょうど靴を揃えているところだった。胸元に、何かを大事そうに抱えている。
「それ何?」
「授かってきたのよ。座敷童だるまさん。」
祖母の皺の寄った手が、胸元に抱きかかえた「それ」をさも可愛がるように撫でさすった。
ころんとした、卵型のシルエット。おかっぱ頭に白いブラウス、紺色のワンピースのようなものがペイントされている。
まるで、「だるま」か「マトリョーシカ」のような、陶器の置物だった。
祖母は、それをそっとリビングの棚の上に置いた。
「このだるまさんを大事にするとね、幸運をもたらしてくれるんだって。だから、いただいてきたの。」
要するに、お守りのような置物をどこかで手に入れた、ということらしい。確かに、可愛らしい人形だった。
「どこから貰ってきたの?」
「公園でね、フリーマーケットをやっててね。」
『座敷童だるま お家に連れてってあげてください』
いわゆる「蚤の市」と言われるような、雑多なものが集まるフリーマーケット。日用品から、珍品までがごった返す中に、その店はあった。大小様々なだるまを並べた売り場は、周囲から浮いている。
『座敷童だるま お授けしますよお。お家に連れて帰ってあげてくださあい。』
小ぎれいな中年女性が、人の良さそうな笑顔を浮かべながら、道ゆく人に小さなだるまを差し出し勧めている。
『あら、可愛いお人形ねえ!』
『こんにちは。可愛いでしょう?』
―座敷童だるまさんです。お家に連れていってくださいませんか。大事にしてくれたら、幸運をもたらしてくれるんですよ。
―私は座敷童だるまさんをお分けしているんです。
―お分けするのが私の幸せですから。お代は結構です。
『こういう可愛い子、孫が喜ぶかもねえ。』
というわけで、家にその「座敷童だるま」はやってきたのである。棚の上に鎮座した「座敷童だるま」は、にっこりと満足そうに微笑んでいた。
「はい。これ持って行ってあげて。」
私は母から手渡された食器を言われるがまま受け取った。仏壇にお供えするような金の高坏に、こんもりとよそわれた白飯。これを、毎日三度三度交換するのが、習慣となっていた。
それだけではない。朝早く起きると、何よりもまず最初にリビングの棚を綺麗に掃除。それこそ、塵1つ残らないように、ホコリ取りモップをかけてからアルコールで拭き掃除。
食事が出来たら、一番美味しいところを、上等なお米のご飯を、家族の誰よりも先に棚の上に置く。また、おもちゃやお菓子を常に備え、定期的に交換する。新品の女の子用の洋服も取り揃えてある。
もちろん、すべては「座敷童だるま」のためにしていることだ。祖母を筆頭に、家の誰もが「座敷童だるま」の世話を最優先して行なっていた。
―必死に。
「ねえ、ご飯まだなの?おなかすいたー」
「わたし、お魚きらい。お肉ないの?カレーは?」
「あそんで、ねえ、ねえー!」
おかっぱ頭に、白いブラウス。紺色のジャンパースカート。2歳くらいの女の子が、どたばたと家の中を走り回り、そこら中の物をいじる。
TVを勝手につけたり消したりすることもあるし、ソファに座って足をぱたぱたさせながらお菓子を食べていることもある。そうかと思うと、私の部屋のものをおもちゃにしている。一度など、PCで作業していた文章をめちゃくちゃにされたこともあった。
母や祖母にまとわりつき、甘えるような声を出すこともある。そうなると、何を差し置いても、相手をしなければならないのだった。
人の子供ならば、言い聞かせることはできる。「やめてね」と教えさとすことができる。それに、成長するにしたがっていたずらが減ることもある。
しかし、この子は人間ではない。いつまでも子供のままの、「人ならざる何か」なのだ。成長もしないし、まして人の言うことなど聞いてはくれない。
人の理の通じない存在だ。
女の子が現れるようになったのは、他でもないあの日からだ。「座敷童だるま」を、祖母が持ち帰ったその日から、どこからともなく女の子が現れたのだ。
「ちょっと、勝手に触らないでよ!」
女の子は、いつのまにか私のバッグをいじり、スマホをおもちゃにしていた。思わず取り押さえようとした私の腕を、後ろから祖母が掴んだ。
「これ、わたしもーらった!」
スマホを奪った女の子はどこかに走り去った。
「あの子は座敷童なんだから、ちゃんと大事にしないと!」
祖母はこの一点張りだった。
「あのだるま、返してきてよ!どうしてあんなもの、大事にするの?!」
もちろん、私は納得がいかず、祖母を問い詰めたのである。しかし、どんなに問い質しても、祖母はあれを「座敷童」だと言い張るばかりで埒があかないのだ。「幸せをもたらしてくれる座敷童なんだよ。だから言うことを聞かないといけないでしょ!」
「座敷童」と言われた女の子はしかし、ただただ我儘を言うようにしか見えなかった。
厄介な要求を突きつける。
その要求に応えられないと、家の中を好き放題荒らす。さらに無理難題を要求する。
もしくは、たとえ要求に応えられても、少しでも気に入らない箇所があれば機嫌を斜めにする。そうなると、「嫌なこと」が起こるのだ。体調を崩すとか、大切なものが壊れるとか、仕事でミスをするとか、被害は様々だった。
たとえ要求に応えたからといって、幸せになったためしは一度もなかった。
ただ、
「要求に応えなければ不運に見舞われる」
それだけは確定しているため、私たちは世話を続けるほかないのだった。
ピロリン♫
「え?うそ?」
外出先でスマホを開いた私は、驚きで声を失った。
それは、急な通知だった。
「先日は、『秋の短編ミステリコンテスト』にご応募いただきありがとうございました。」
「あなたの作品が、銀賞を受賞されました!おめでとうございます。」
「賞金と、オリジナルデザインの盾をお送りします。」
ほんの趣味で書いた小説。力試しにと、応募したコンテストに作品が合格したのだ。胸がどきどきする。体が震える。自分の顔が喜びに輝いているのが分かる。ここ数日、良いことがなかっただけに、ひときわ嬉しいニュースだった。スマホの通知画面を、母や祖母に見せようと、私は急いで帰宅した。
「ほらね。やっぱり良いことが起こったでしょ。」
―これも座敷童だるまさんのおかげよ。
―よく手を合わせておきなさい。
その言葉を聞いた途端、喜びの気持ちは急激に萎んだ。
そして、どうにもやるせない気持ちが膨れ上がった。
夕飯時、母は久しぶりに笑顔を見せてご飯の支度をしていた。台所からは、良い匂いが漂ってくる。銀賞受賞のお祝いにと、私の好物の唐揚げをたくさん作ってくれたのだ。
「おめでとう、小説家デビュー決定かしら?」
出来立ての唐揚げの山が食卓に置かれる。
「今日はお祝いなんだから、あなたが美味しいところを食べなさい。」
そういって母がおかずをよそってくれたとき。
「座敷童」が食卓に向かって勢いよく走ってきた。そして、唐揚げの乗った大皿を投げ捨てる。
リビングに、唐揚げが散乱し、大皿は割れた。
「何するの!」
とっさに大声を挙げた私を、きっと睨んだ女の子はこう言い放った。
「わたし、この子きらい。きらい、きらい、大っきらい!」
「家から追い出してよ!」
「おまえなんかあっちいけ!」
呆然とする私たちを尻目に、座敷童はわめきながら飛び跳ね、唐揚げを踏みつけた。
母と祖母が、冷めてぐしゃぐしゃになった残骸を無言で片付けた。
がちゃん。がちゃん。がちゃん。
次の日。家の、ありとあらゆる出入り口、窓という窓を、私は次々に施錠した。今、「座敷童」は、庭で遊んでいる。その隙に…
締め出してしまえ。
追い出すべきは、あいつの方だ。
もう、赦せなかった。
ワガママばかりのあいつ、人の幸せを奪うあいつ、優しい心を踏みにじるあいつへの、どす黒い嫌悪感が湧き上がって止まらなかった。
祖母は買い物に行っているから、私を止めることはできない。チャンスは今しかない。
あんなもの、「幸せをもたらす」などという存在ではない。人の気持ちをおもちゃにし、崇め奉られることを知っているから好き放題増長する、厄介極まりない、妖怪だ。
どうにかして、家から追放しなくてはならない。
二度と、この家に入れてはいけない。
あいつに勘づかれないように、わざと庭から遠い入り口から鍵をかけていった。
もう、あとはこの部屋だけ。この、窓から庭先が見える部屋だけだ。
足早に窓に手をかけ、施錠しようとした時だった。
「ねえ、入れてよお。」
「…!」
窓下から、おかっぱ頭がにゅっと飛び出した。途端に、全身に戦慄が走る。座敷童が、部屋に入ろうとしているのだ。庭の物置台を足場にして、よじ登って来ている。窓をこじ開けて、座敷童は体をねじ込んできた。私は思いっきり力を込めて、ぐいぐいと座敷童を押し戻す。ところが、座敷童もなかなか力が強く、そしてしつこかった。
「ねえ、お家に入れてよお。」
「いっしょに遊んでよお。」
「いいものあげるから。ねえ。」
声は子供らしい、可愛い声なのだが、ほだされてはいけない。騙されてはいけない。
「出て行って!出て行け、出て行けえ!」
いくら押し戻しても、座敷童は何度も迫ってきた。だめだ、このままじゃ埒が開かない。どうすれば、どうすればこいつを追い出せる?
そのとき閃いた。
私はリビングへ突進すると、むんずとばかりに「座敷童だるま」の首根っこを掴み、
がっしゃあん!
そのまま縁側へ叩きつけた。
だるまは粉々に砕け散った。
ちょうど祖母らが帰ってきたが、女の子は二度と現れなかった。
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