第4話 佐々木 成政

「毎度ご贔屓に!」

俺は笑顔で馴染み客の家を後にする。これで午前中の配達は最後だ。あとは店に戻り店番の手伝いをすればいい。


(これが意外と疲れるんだよなぁ)

照りつける日差しの下、首に巻いたタオルで流れる汗を拭う。炎天下での配達は言わずもがな。たかが店番と思うかもしれないが、店頭に並べた商品はすぐに傷んでしまう為、この時期は何かと大変なのだ。品出しのタイミングや、いかに早く売り捌くか等、まだまだ親父から学ぶ事は多い。商業系の大学を卒業し村に戻ってから早4年。実際に客と接してみて痛感した。机の上で学んだことだけではいかに不十分であるのか。お陰で日々勉強と修行の毎日を送っていた。


少し錆付いた店の自転車に乗り、川沿いの土手を軽快に走る。大して広くないその道を中程まで来た時だった。両手いっぱいに荷物を抱え、ふらふらと歩く女を視界に捉えた。


(危ねぇな)

そう思い、衝突を避ける為ベルを鳴らす。それを聞いた女は道の端に寄ったが、今度は土手の下に転がって行きそうな危うさがあった。ちょうど配達を終えた帰りで、カゴは空いている。少しなら時間もあるし、手伝ってやろうかと思い立った。声をかけようかと考えながら、追い抜きざまに女の顔を見る。それは以前どこかで見た顔で、俺は咄嗟にブレーキを握った。


女はそんな俺の前を、顔を隠すように俯いて通り過ぎようとする。


「なあ」

呼び掛けるも反応は無い。これは……完全に無視されたな。


「それ重いだろ。入れなよ」

それでもめげずに後を追い横に並ぶ。手元を指差しながら言うと、女は驚いて立ち止まった。顔を上げたそいつを正面から見つめたその瞬間。見覚えがあったのは間違いではないと確信した。俺の中で何かのパーツがはまったように昔の光景が脳裏に蘇ってくる。そうだ、こいつはあの時の——……。






——確か当時の俺は高校三年生。卒業してすぐ家を継ごうとする自分と、大学に行けと言う両親とで日々論争を繰り広げている頃だった。家にいたくなくて、しかし学校に来たら来たで周りは受験と就活一色で。どこもかしこも殺伐とした空気を漂わせている。元気と声のデカさだけが取り柄の俺も、そんな空気に当てられてかなり鬱憤が溜まっていた。そんな時だった。俺が彼女と出会ったのは。


「す、好きです!付き合って下さい!」

それは放課後、昇降口へと向かう途中だった。渡り廊下を歩いているとどこからか裏返った男子生徒の声が聞こえてきた。


(おいおいマジか)

視線を外に向けると、すぐ側の植え込みの辺りに人影が見えた。まずい。このまま歩いて行くと、確実に見つかってしまうだろう。冷静に状況を察した俺は咄嗟にしゃがみ込んで身を隠した。


(もうちょっと人が居ないとこでやれよ……)

たまたま通りがかっただけなのに。何で俺が気を遣わなきゃいけないんだ。そうぼやきながらも、仕方なく二人が立ち去るまでそこで待つ事にした。しかしそうすると否応無しに会話が耳に入ってくる。何となくいけない事をしている気分になったが、悪いのはあの二人の方だ。これは不可抗力なんだ。そう思いながらも耳を塞ぐことをしない俺も、全くどうかしている。


「あの、返事は……」

暫くして何も言わない女子に痺れを切らしたのか、男子が再び口を開く。照れてやがるのか、と音だけで状況を判断した俺は思う。しかしそれに対する返答に耳を疑った。聞こえてきたのは、自分を好いてくれた者へ投げかけるには、余りに非情な言葉だった。


「……迷惑です」

ただ一言、ピシャリと言い放つ。


「ぁ、そ、そうですよねやっぱり……すみませんでした!」

断られることは想定済みだが、よもやこれ程手酷く振られるとは思わなかった。そんな口振りだ。男子は相当ショックだったのだろう。目に涙を浮かべて、バタバタと俺の前を走り去って行った。勇気を出して頑張っただろうに……。彼の心情を思うと、無関係の立場でありながら沸々と怒りが湧いてくる。それに耐えきれなくなった俺は感情のままに勢いよく立ち上がった。


「そりゃ無いんじゃねぇの?」

じとりと睨みつけるような視線を向け、廊下の風除けに頬杖をついて言う。そんな俺の存在に気づいた女子が、驚くでもなくゆっくりとこちらを振り返った。胸元には緑色のリボン。一年生だ。すると向こうも俺の青いネクタイを確認したのだろう、自分が歳下であると自覚してから言った。


「先輩には関係ありません」

「まぁ関係は無いけど、人としてどうかって話だよ。告白して貰ったら、まずはありがとうだろ」

「……」


そいつは俺を心底鬱陶しそうな目で睨む。しかしこんな後輩の小娘一人に嫌われようが、いっこうに構わない。俺はこいつが気に食わない。よって引くことはしなかった。


「明日にでも、ちゃんと謝れ」

はいと言うまで帰らせないとでも言うような俺の態度に、そいつは根負けした形で渋々頷いた。


「……分かりました」

「よし」

分かればいい、と俺は表情を緩める。それを見た女子は忌々しそうに顔を背ける。一時気まずい空気が漂うが、突如すぐ後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。視線を向けるとそこに居たのは俺の友人で、肩に腕を回してきて言った。


「殿!いつまで待たせんだよ!」

「あぁ悪い。ちょっと一年に説教してたわ」

「説教だ?ふーん。ま、いいけど」

お詫びに帰りアイス奢れよと笑う友人に、何でだよと突っ込みを入れる。


「……殿」

立ち去るタイミングを失い、一人置いてけぼりを喰らって俺たちのやり取りを見ていた女子がぽつりと呟いた。そいつに俺と友人は揃って目を向ける。すると友人がからかうように笑いながら説明した。


「こいつの事、みんな殿って呼んでんだよ」

友人が俺を指差して言う。


「戦国武将と同じ名前でさ。だから殿」

「みんなって……最初に言い出したのはお前だからな」

そうだっけ?とそっぽを向く友人の脇を小突いた。こいつのお陰でこのあだ名は一部の教師にまで広まり、日々ネタにされている。特に日本史の成績が悪いと、教師生徒問わずここぞとばかりに弄られるのだ。その為俺はそれなりの成績を維持するようにしている。まあ決して嫌な訳ではないし、いわゆる『愛のある弄り』であることも分かっているから、俺も好きにさせていた。


「んな事より、これから殿のお屋敷で試験勉強するんだろ。早く帰ろうぜ」

それまでけらけらと笑っていた友人が、今度はげんなりして言った。お屋敷って……。俺はやれやれと頷くと、女子の方へ向き直った。


「じゃ、さっき言ったこと忘れんなよ。絶対謝れよ」

念を押すようにそれだけ言い残し、俺たちはその場を後にした。






その後、そいつが約束を守ったかどうかは知らない。そいつとはそれきりだった。まさか8年も経ってからこんな所で再会するとは思わなかったが、まあ今更訊く事でもないしな。そもそもこいつ俺の事も覚えてないみたいだし。


(それにしても……)

俺は隣を歩く女を横目で見る。愛想が悪いのは相変わらずなんだな。ひょっとして、親父やおばちゃんたちが話していた不思議な女ってのはこいつの事か? ごく稀に暗い顔した若い女の客が来るってやつ。


(まあ他人の事情に首突っ込む気は無いけどさ)

もうちょっと笑ったほうが愛嬌あるのに、とそんな事を思った。


随分と外れまで来た頃、ここでいいと言って女が立ち止まる。俺はカゴから荷物を取り出し、そいつに手渡した。今度から配達しようかと提案したが、女には生返事を返されてしまった。この距離を荷物抱えて歩いて帰るのは大変だと思うけどな……。でも本人がそれでいいならあんまりしつこくするのもなぁ。頑なに人を避けるのも、何か理由があるんだろうし。そう考え、俺は諦めて自転車に跨った。しかし、ペダルを踏む足に力を込めようとした時だった。突然女に呼び止められて振り返る。そうして目に入った予想外の光景にパチパチと瞬いた。


(こんな顔も出来るんだな)

これまでのような無表情や不機嫌な顔とは違う。呼び止めたのはそっちなのに、女はどこか戸惑ったような顔で俺の名前の話しを切り出した。


「とても良い名前だと、思います……」

自信がないのか、その言葉は尻すぼみになる。そして言い終わる前に女は俯いてしまった。しかし、黒い髪の隙間から覗く首が、仄かに赤くなっていたのを俺は見逃さなかった。それを見て思わず吹き出す。


「はー笑った笑った。……じゃあ行くわ。気をつけて帰れよ」

笑いを収めてから、俺は今度こそ自転車を走らせた。


(案外分かりやすいやつなのかもな)

荷をおろし、軽くなった車体はすいすいと走る。決して気持ち良いとは言えない生暖かい風を感じながらも、俺の心は僅かに浮き足立っていた。謎の多いあの女のことをもっと知りたい、もっと言葉を交わしてみたい。店に着くまでの時間を、そんな不思議な心地で過ごした。

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