「才能が無い」と悩み苦しむあなたの肩を抱き「でも書いちゃおっか!!!!」と励ますだけのエッセイ

 はじめまして、こんにちは。長埜恵(ながのけい)です。


 この世の中には、とかくに才能に満ち溢れた人がいます。そういう方は目立つから尚更。ぼんやり漠然と眺めながら「すごいなぁ」「なんで自分はああなれないんだろう」「才能が無いのだろうか」とぽつねんと落ち込むことが多々あります。特に私は劣等感が強いので、めちゃくちゃに悩み苦しみます。


 だってどう考えても文才ある人っているじゃないですか。奇抜なアイディア、練られたプロット、さりげない知識、言い回しのセンス、ストーリー構成の妙、多くの人の心を鷲掴んで離さない途方もない文章の魅力。

 そもそも人間が丸ごと豪速球でやってくるのが小説なんですよ。私も全力で立ち向かってはみるのですが「はは、負けたよ……」と地面に這いつくばる日々です。


 じゃあ文才が無い人はそのまま地面と一体化していればいいのか。メソメソしながらお気に入りのタグで芋づるしてきた小説を読んで人生を終えるのか。


 書けるのに、書かないのか。




 否!!!!




 そういうわけで、今回は「才能無くても書くんだよ!!!!」とローラースケート履いたあなたの背中を下り坂目掛けて全力で押そうと思います!!!! オーケー、オールヒューマン! レディーファイッ!!!!




1.才能無くても書くのが楽しい


 結局はこれに尽きます。空に天井が無いように、上を見た所で果てはありません。でも下を見れば、あるのは真っ白な原稿用紙だけです。

 そこにあなただけの世界があります。あなたが紡ぎ、描くからこそ生まれる世界が。

 一度飛び込めばもう戻れません。無数の言葉の中からたった一つを選び取り、組み合わせを思案し、理想のパズルを完成させていく。神の創造にも似たこの作業は、苦しみや痛みの中に凄まじい喜びを伴います。

 楽しいんですよ。まるで息もつかせぬ高難度のダンスを一人で踊るようです。次のステップがどうなるか誰にもわからないし、時として自分自身ですら見えない。だけど間違いなく、その瞬間まで無かったものがあなたの全身から生まれるのです。

 あなたはその感動を知っています。じゃなきゃこんなエッセイなんて読んでいませんよ。自分で言うのもなんですが、このタイトルで読もうと思うのだいぶ酔狂ですからね。なんで自分に才能無いと思ってんのにまだ書きたいとか思うんですか。楽しいからでしょうが。

 そしてもしそんなエネルギーと動機から生まれた文章なら、“才能”なんて言葉は一気に萎んで陳腐なものに変わるのだと思います。



2.才能が無いからこそ見える景色がある


 それでもやっぱり欲しいですよ、才能。喉から手が出るほどに。

 例えば私なんかはラブコメが書けないんですけどね。あと市場分析もできない。克服しようと努力したこともあるのですが、無理した結果蕁麻疹が出たので驚いてやめました。そういや受験勉強の時も出てたなぁ。

 でも、そういう人間だからこそ書けるものもあります。徹底的に恋愛を省いてみてもいいし、恋愛じゃ語れない人間関係を描いてみてもいい。いっそコメディかホラーに振り切ったっていいです。

 花屋の店先に並ぶ花ばかりが花じゃないですよ。足掻き続けていれば、いつか誰かの足下で小さく咲くことができるかもしれません。たった数秒でも誰かの人生を独占し、喜ばせられるかもしれない。

 今いる場所を好機とし、泥の中でもなりふり構わず咲きましょう。大丈夫ですよ、物書きの何が強いって大抵のことは「よっしゃ、ネタになるやん」でぶち抜けるとこです。かく言う私も先日通話してた友人の身にリアルタイムで怪現象が起きた時、怖がり心配するより先に「こっちで起きてくれたら翌日には小説にしたのに……!」と悔しがりました。もう正気じゃない。



3.都合良く私の時代が来るかもしれない


 来るかもしれません。人は時として、その場で数年全力で足踏みしてるだけなのに「コイツ、またここにいやがる……」と思われ、その道でちょっとした人物になれることがあります。これが継続の力です。かつて一発屋と呼ばれたお笑い芸人でも時折見る光景ですね。パワーッ!!

 本当にすごいことだと思うんですよ。だって続けていたからこそ看板が出来上がって、ファンと呼べる人がついてくれる。人間は努力する人を応援したいし、信頼する生き物です。

 勿論続けるってとんでもないパワーッ!!が必要なので、並大抵の人にはできないのですが。でも「まあ今日も何か書くか……」ぐらいならできそうじゃないですか。そしたら次の日も「何か書くべ……」ってできそうじゃないですか。当然私自身に才能と呼べるものは何一つとして無いから、書き続けるのはしんどいのですけど。それでも「何かあるかもしれない」「何か見えるかもしれない」と歯を食いしばって這い進むぐらいならできる。多分。

 そんなことを十年でも二十年でも続けてたら、ひょっこり時代のほうが自分の元へやってきてくれることもあると思うんですよ。ただこれ、猛烈に運が絡んでくるんですよね。だから同じ運なら「この私が時代を切り拓いてやる!!」というフロンティア精神で突き進むのも大いにアリだと思います。あとそっちの心意気で挑むほうが相手も怯むと思いますし。相手って誰? 読者?





 そんなわけで以上です。今回も勢いだけで書いた為、今から読み返して推敲するのがとても怖いです。特に今回はバキと岡本太郎読んだ直後に書いちゃったからな。もう止まらねぇよ。

 ところで僭越ながら、少し私の話をさせていただければと思います。先日、心が折れて迷走していた際に「小説家になりたい。小説家になったら小説家でい続けたい。どうすればいいのだろう。コツとか知りたい」とプロの小説家の方に泣きついたんですよ。するとこう言われました。


「どこにいたって書き続ければいい。それだけであなたは作家でい続けられる」


 それを聞いた瞬間、めちゃくちゃ勇気が湧いたんですよ。だって書き続けてたらそれでいいって、もう才能無い人間からしたら無敵の言葉じゃないですか。実際書くことって怖いんですよ。人に読まれず、受け入れられず、無いも同然になるのがとても怖い。こんな人間が書いていていいのか、才能ある人なんて山のようにいるのに私がここにいる理由は何だろうと虚しくなったりもします。

 でも書いていいんです。書き続けてさえいれば、私は“書く人”でいられる。私はそれでいい。それがいい。続けることならきっとできるんです。


 これから先、何度でも筆を折ると思います。でもひとしきりメソメソした後、折れた筆をかき集めてくっつけて、また書いていくのだろうと思います。やっぱり楽しいんですよ、書くことが。

 試行錯誤し、足踏みし、進んでみて、撤退し、書き続ける。そんな芋虫のような速度でも、自分の世界に文字を増やしていきたい。

 だからどうかあなたも書いてください。大丈夫です、気に入らないことは全部あなたの作った世界の中で軽く捻り潰せます。そんな力を持っているからこそ、ここまで読んでくださったんでしょう。私は知っています。

 共に世界を広げましょう。自由に、天衣無縫に。


 それでは最後に岡本太郎の言葉を引用し、締めとさせていただきます。



「自分に能力がないなんて決めて、 引っ込んでしまっては駄目だ。 なければなおいい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小説を書くことをとにかくポジティブに応援されたい人に贈るエッセイ 長埜 恵(ながのけい) @ohagida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ