彼女が笑っている明日 第四話
呪術の文字式──師匠だけが書ける呪術の文字式。
人体への呪い。
僕はそれを今、師匠に書いてもらっている。
練習場の脇に付いている通路を通ると辿り着く個室に入り、書いてもらっている。
個室には背もたれが付いている椅子だけが数個置いてあり、個室というより簡易的な椅子置き場になっている様子だ。
全身に書くので、僕は今全裸になっている。
恥ずかしい……最悪だ。
これだけはいつまでも経っても慣れそうにない。
思春期真っ盛りな高校一年生の僕が年上の女性に全裸を見られて、そこに文字式を書かれるとかどんな侮辱だ──人生が嫌になる。
しかしこれを書いてもらわないと僕は戦うことが出来ないのだ。
僕はただの人間だ。
無個性の人間だ。
ただの人間で、猫耳の結乃や先程の耳が長い巧言さんの様に僕は化け物ではない。
世界から糾弾される化け物ではない。
有り体に言ってしまうと、化け物は人間とは違い、異能力が使え、普通の人間より力が強い。
そんな化け物達と相対するには、自分の肉体を強制的に強化させてくれる呪いが必要不可欠なのだ──それが呪術の文字式である。
人体へ呪いをかけて戦うのだ。
無理矢理に身体を強靭にするのだ。
だから仕方ない。
全裸を見られることもまあ呪いの一種だと思えば、耐えられないこともない。
結乃や巧言さんみたいに産まれた時から呪いのアイデンティティに縛られている人間がいる前で、こんなことにも耐えられないなんて、そんなこと僕には言えない。
思いたくもない。
そうだここは一つ。
会話でもして気を紛らわそう。
「あの師匠──またまた一つ聞きたいことが……」
なんだ、また──と師匠。
僕はそれに続く。
「巧言さんのコードネームは知れたんですが、それ以外の二人も勿論反国家組織の人ですし、コードネームを持っていますよね? 出来れば教えてもらえませんか?」
「ああ、なんだそんなことか。あの口数少ない白髪の男、あいつのコードネームは『遺言』だ。そしてもう一人のコートを着ている女は『戯言』という──戯言はもうなんとなくなんでそんな名前が付いてるのかを理解出来ると思うが、『遺言』の方は分からないだろう?」
師匠は文字式を書きながら、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべてくる。
不敵な笑みとは師匠の笑顔を指してるんだろうな、と僕は内心思いながら、師匠の問題の答えを考える。
『遺言』と『戯言』、そして『巧言』。
全部『言』繋がりなのは彼等の過去に何かあるからだと思う……。
過去がコードネームの様に繋がっているから──多分。
しかし口数少ないというより、言葉少ない彼は何故『遺言』なのだろうか。
戦闘する度に遺言書でも作ってたりするのか……?
それとも敵に遺言を言わせてから戦闘を始めたり……?
うむむ、しかし遺言を言ったりするとかも普通にありそうだな。
「遺言を言ってから戦うとかそんな感じですか?」
僕の平凡な言葉を聞くと、ニヤッとする師匠。
「まあ答えは闘えば分かるさ──よし、とりあえず呪術の文字式が完成したぞ」
「あ、ありがとうございます」
いや答えないで延ばすのかよ、と僕は思ってしまったが、そんなことを師匠に言うなんて不可能に近いもので、僕は感謝の言葉を言った後に口を
そして恥ずかしいから急いで服を着た。
「あ、そう言えばこれやるよ」
師匠はパンツを履いている途中の僕に何かを投げつけてくる。
一メートル半ぐらいある長い物で、僕はそれをなんとか落とさないようにしっかりとキャッチする。
パンツも落とさないようにする。
そして投げつけられたそれは細長い刀だった。なんだこれ……?
「それは刀だ。ただの刀ではなく、呪術の文字式をそいつにも書いている。いいか?
師匠は笑いが止まらない様子で腹から笑っていた。
彼女は個室から出ていく。
彼女の笑いは「
猫背でゆっくりと入ってくる。
そしてパンツもまだ履けていない全裸の僕を見てしまう。
「うわ──うわわわっ!」
彼女は両手で自分の顔面を覆い隠す。
そして指と指の間から、僕を見てくる。
「恥ずかしいから見ないでくださいっ!」
年上ならまだしも、同い歳ぐらいの人に見られるのは流石に無理だ。
僕はとりあえずアソコと胸元を隠す。
いや男は胸元隠さないで良かったんだな。とりあえずアソコだけで良いんだ。
「な、なんでそんな端ない格好でいるの!? ──最低だね!」
「わ、訳アリなんですよ……いやしかし、ごめんなさい。自分のせいで……戯言さんが格好良く入って来たのに、これはないですよね──少々待ってて下さい。今服を着ますので」
「
「戯言変態」という新しいワードの意味の分からなさに僕は戸惑いながらも、僕は急いで服を着た。
「えっと──とりあえず、着ました」
Tシャツ一枚とズボンを着た僕は戯言さんにそう告げる。
ついでに抜剣もしておいた。
壊れないようにゆっくりと丁寧に(どうしたら壊れるとか分からなくて恐る恐るやった)。
僕が服を着たことを指の間から確認すると、戯言さんはコートに付いているフードを深く被りなおす。
「ふう……これで大丈夫。まあ今から戦うわけだけど、安心して。殺しはしないよ──師匠に怒られるからね」
戯言ではないよ──と 戯言さん。
その時、空気が変わった。
冷たくなった。
冷房等の冷たさではない。
背筋から伝わってくる悍ましい悪寒。
血という血が一気に身体から奪われたかのような感覚が脳から全身にへと響き渡る。
僕は握り方すらも分からない剣の柄を強く握った。どうすればいいのか分からないけど、とりあえず。
夕日はとっくに沈んでいる。
カーテンが夜の世界に覆われる。
日陰者達が──息を吹き返す。
恐怖の時間が始まる。
「氷を噛み砕くとね、時々だけど
彼女はパチンっと指を鳴らす。
指から鳴った音と共に彼女の背後に現れた一メートル弱の氷の結晶達。
彼女から放たれる冷気。
「当たらないでね」
彼女は冷たく言葉を言い放った後、その結晶達達を僕に向けて放ってくる。
僕は氷の結晶達を師匠から貰った刀で撃ち落とそうかとも思ったが、素人以下の僕がそんなこと出来るはずないと思い、必死に避けるという選択肢を選んだ。
四角形の個室を右回りに僕は走り始める。
とにかく椅子などに引っかからないように、慎重ながら急ぎながら。
戯言さんの攻撃を避けながら、入口付近にいる戯言さんに近付く。
氷の結晶達は走っている僕に向かって飛んでは来るが、呪いで強化された肉体の僕の加速には追い付けないのか個室の壁に衝突して砕ける。
まあ恐らく戯言さんが手を抜いてるだけなんだけども。
戯言さんはどんどん結晶達を生成する──が次の結晶が出来るまでには、そして僕に当てるまでには、僕は戯言さんに攻撃が出来ているだろう。
殴るか刀で攻撃するか迷ったが、油断したら負けてしまうかと思い、それとどうせ攻撃しても反撃されると思い、僕は低姿勢で刀を振り上げ、戯言さんを思いっ切り斬った────斬れた!?
「えっ……?!」
僕の辿った剣先に沿って、彼女の胴体の左下部分から右上部分まで血が出て来る。
勢い良く。
噴射という文字で表現してしまう程に。
そしてそのまま上半身と下半身が分かれ、戯言さんは二つになる。
死体と化す。
僕は侮っていたのだろうか? ──呪術の文字式の力を。
まさか……本当に殺してしまった?
仲間を。
「嘘……だろ?」
戯言さん──と叫ぼうと思った瞬間、個室の中央、僕の背後から声が聞こえた。
「死ぬわけないよ。なんたって僕は『戯言』だから。嘘だらけだよ」
僕の背後の状況は絶望的だった。
なんせ僕はいつの間にか氷の結晶達に囲まれているからだ。
ハッとして僕は目の前を見てみると、死体と化していた戯言さんは砕け散った氷になっていた。
「……え…っ」
戯言さんはハハ、と笑う。
「さよならだね」
氷の結晶達で攻撃してくる──と思ったが、戯言さんは蹴りで僕のことを個室の外、通路まで飛ばした。
呪術の文字式で強化していて良かった……していなかったら、戯言さんの割と本気キックで、内臓が破裂して死んでいた。
ただの人間が、化け物達の蹴りをまともに食らったら、死んでしまうからな……。
それより、なんで僕を氷の結晶達で攻撃して来なかったんだ。
訳が分からない。
「うぐっ……がぁ……なんでですか……? 戯言さん」
「殺したら師匠に怒られるって言ったよね、それだけは嫌なんだ」
「ああ……成程──だから氷の結晶達で攻撃して来なかったんですね。僕が……死んでしまうから」
僕の疑問や言葉は当たり前過ぎて、考えなくても分かるレベルだったのだろう──彼女は呆れながら肩を竦めた。
「まあそうだよ。君は惨めだからねえ」
そうだ──と戯言さん。
「僕の言葉より、君の迷いより、後ろを向いた方が良い。僕に負けた椴松に新たな敵だよ」
は? 後ろに?
──誰だっ……? そう思いながら僕は後ろを振り返った。
「巧言──さん?」
「飛んで闇に入る夏の宝石、闇に入った宝石は輝きを失う。そんな宝石は宝石そのものの価値を失ったと同意義である」
巧言令色な言葉達が聞こえる──次の
無駄な時間は要らないとでも言いたいのか、それとも僕の疑問の解答代わりとしてなのかどちらか分からないが、巧言さんが攻撃を始まる。
「そなたは美しいぞ。しかし輝きを失ったらどうなるのだろうか?」
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