理想にすら抱かなかったこと。

アイオイ アクト

理想にすら抱かなかったこと。

 昔の僕が抱いた夢ってなんだっけ。

 確か、色々あった気がする。


 お巡りさん、NHLアイスホッケー選手、プロスキーヤー、プロゴルファー、子役……うん、色々。


 まぁ、ものの見事に一つ残らず叶えることなんてできなかった。


 昔の僕はきっと、今の僕がほぼ毎日、パソコンの前から動かずに仕事をこなしているなんて、想像すらしていなかっただろう。

 でも、それはサラリーマンはつまらない大人のつまらない人生というステレオタイプな思い込みをして、ステレオタイプに夢を追いかけたからだ。

 体を壊してまで追いかけて、叶えるなんてできなかった。

 所詮僕に、好きなことをしてお金を得られる人生なんて無理だったんだ。ごめんよ、夢に溢れていた昔の僕よ。


 眠りが浅い夜はいつも昔のことを思い出す。あの時こうしていれば、ああしていれば。

 でも、そんな詮無き回顧と反省の夜は唐突に終わりを迎える。


「うぐぇ」


 何かにのしかかられた。まぁ、いつものことだ。これからゆっくり眠れるから、別に構わない。

 眠りが浅い理由はいつも同じ。ダブルベッドで一緒に寝ている相手が横にいないからだ。

 ただいまも言わず、コートだけ脱ぎ捨てて人の上にのしかかる酒臭い何か。

 眠くて力が入りにくいけれど、なんとかそれを横へ転がして布団をかけ直して目を閉じる。

 隣が自分の求める相手で埋まった。それだけのことで、先程頭を巡っていた不必要な走馬灯はどこかへ消え去った。




「うぐぇ」


 また金縛りだ。重くて苦しい。動けない。

 でも、眠気が勝るっているから寝てしまおう。


「うぐぇ」


 頬に当たる固い爪と、柔らかいような固いような独特の感触。

 その感触は一度離れてはまた押しつけられる。押しのけようにも両手は固められたまま動かない。しかたなく、されるがままにして再び目を閉じた。


 その直後、iPhoneがけたたましいアラームを鳴らし始める。

 困った。全く眠れた気がしない。


 僕の体にのしかかったコンディショナーの匂いがする何かと、頬に押しつけられた毛の塊。

 ダブルベッドは幅が百四十センチほどあるのに、人間二人と犬一匹が、わずか数十センチの中にたごまっていた。


「……どいてよ」


 本意でない。でも寝坊するわけにもいかないから、一人と一匹を体から引き剥がして起き上がる。


 あぁ、眠い。

 だけど、最高の目覚めだ。


 昔の僕よ。君の発想は極めて貧困で、了見もまた極めて狭い。

 今、君の抱いた夢よりも、遙かに素晴らしい毎日を送っているよ。

 毎日朝目覚めると、隣に全然理想だと思ったことも無い相手がいるんだ。

 その相手はね、僕の貧困な想像力で抱いたつまらない理想の相手像をいとも簡単にぶち壊して、毎日僕を飽きさせないんだ。理想なんてものの遙か遙か上の存在だよ。


 子供はいないけれど、ある日この子だと選んだトイプードルは毎日安眠を妨げてきては二人の気持ちをしっかり繋いでくれているよ。


 抱いた夢なんて所詮その想像出来る範疇でしかないんだ。

 毎日毎日。あの頃想像もつかなかったくらいの最高の目覚めを僕は経験しているよ。

 だから安心しておくれ。昔の僕よ。

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