ホーホー。ホーホー。

アイオイ アクト

小さな頃。

 小さな頃。

 どのくらい小さかった頃かといえば、何の分別もつかないほど小さな頃だったと思う。


 ホーホー。ホーホー。


 家の前に広がる森から、聞こえる声に気づいた。


 ホーホー。ホーホー。


 何故か、それは私を呼んでいる気がしたのだ。


 ホーホー。ホーホー。


 こっちへおいで。こっちへおいで。

 そんな風に聞こえる気がした。

 留守番に飽き飽きしていた私は、急いで分厚い上着を羽織って、帽子を被って、手袋をはめて、長靴を履き、夜の世界へと踏み出した。


 ホーホー。ホーホー。


 怖いと感じることはなかった。

 白く積もった雪のおかげで、外は月の光だけでも十分に明るかったのだ。


 ホーホー。しゃりしゃり。

 ホーホー。しゃりしゃり。


 声のする方へ、雪を踏みしめながら歩く。


 ホーホー。しゃりしゃり。

 ホーホー。しゃりしゃり。


 風が通らない森の中は、暖かくて静かだった。

 森って、こんなにいいところだったんだ。子供心にそう思った。

 どうして大人たちは口をそろえて森に行ってはいけないというのか、分からなくなってしまうほどだった。


 ホーホー。ホーホー。


 その声は、私が近付いてくることを喜んでいるかのようだった。

 でも、どこにいるのと声をかけても、同じ声が返ってくるばかりだった。


 ホーホー。しゃりしゃり。

 ホーホー。しゃりしゃり。


 でも、歩みを進めるのは楽しかった。

 森の中へと進めば進むほど、雪が少ない道は歩きやすくなった。木々の陰から降り注ぐ月の光は、とてもきれいだった。


 ホーホー。ホーホー。


 声は少しずつ大きくなっていた。

 どこにいるの。

 もう一度呼びかけても、返ってくるのは同じ声だけだった。

 自分の名前を叫んでも、もう帰るよと訴えても、その声は同じだった。


 ホーホー。ホーホー。

 しゃりしゃり。じゃりじゃり。

 さくさく。ざくざく。


 気がつけば、足音は自分のものだけではなくなっていた。

 驚いて、声も出せなかった。

 見たことがないほど、たくさんの鹿や狐や、うさぎやねずみたちが、私と同じ方向を歩んでいた。

 すぐ横で、丘が動いているように見えた。大きな、大きな熊たちだった。

 その大きな熊たちも、私の横を同じ方向へと歩いていた。

 私はその熊たちに恐れを覚えるどころか、心強さすら感じていた。


 ホーホー。ホーホー。


 そうか。

 呼ばれているのは私だけではなかったのだと、私はすぐに悟った。


 ホーホー。ホーホー。


 でも、私たちを呼ぶ声の主はどこなのだろう。

 上を見ても、枝と月が見えるだけだった。前を見ても、ずっと道が続いているだけ。

 横にはこちらに目もくれず、同じ方向へと歩く動物たち。


 ホーホー。ホーホー。


 少しずつ、体が冷えてきた。

 でも、確実に大きくなる声の方へと一心不乱に歩き続けた。


 ホー。


 やがて、声が止まった。

 急に不安に襲われた。ここはどこなんだろう。

 一体どんな道をたどって、ここまで来たのだろう。

 でも、私はここに連れてこられた理由がそこにあった。


 ぴー。


 私の手のひらより少しだけ大きな白い雛鳥が、木の幹と剥がれかけた木の皮に挟まり、動けなくなっていたのだ。きっと巣穴から落ちて、ここに引っかかってしまったのだろう。


 ぴー。


 その雛は、小さなくちばしから必死に声を上げ、近づく私を威嚇していた。

 少しだけひるんだが、そこから救い出さないと死んでしまう。

 

 ホーホー。ホーホー。


 一際、大きな声が聞こえた。

 ああ、そうか。

 私は、このために呼ばれたのだ。

 兎にも、狐にも、鹿にも、鼠にも、熊にもできないことのために、私はここへと呼ばれたのだ。

 この雛を救い出し、体中に刺さった木のとげを取り払える動物は、私だけだったのだ。

 手袋を外して、できるだけやさしく雛を救い出し、その体中に刺さったとげを抜いていく。

 とげを抜くたび、雛の爪が手に食い込む。幼い私には痛かったが、きっとこの雛はもっと痛い思いをしているはずだと自分に言い聞かせ、月明かりを頼りに、凍える手でとげを抜き続けた。


 ホーホー。ホーホー。


 最後のとげを抜くと、ひときわ大きな熊が、私に向かって頭を垂れた。

 乗れ。そう告げている気がした。

 その首にまたがると、熊はゆっくりと体を起こした。みるみる地面が離れていく。

 目の前の木の幹に、穴が開いていた。

 ああ、雛はここから落ちてしまったのか。


 ホーホー。ホーホー。


 その声は、喜びに弾んでいるかのようだった。

 穴の中に雛を納めると、熊はゆっくりと頭を垂れて私を地面へと下ろし、ぐわぁっと大きなあくびをした。きっと、冬眠のさなかだったのだろう。

 そして他の動物たちとともに、森の奥へと去って行った。


 ホーホー。ホーホー。

 しゃりしゃり。じゃりじゃり。

 さくさく。ざくざく。


 あれから、どうやって家へと戻ったかは覚えていない。

 でも、あれは夢ではなかった。

 雛の爪が食い込んだ傷跡は、しばらく手に残っていた。その産毛も、固くてごわごわした熊の毛も、服に残っていた。

 そして何より、森の中の暖かさや、雛の体の温かさを、私の体が全て覚えていた。


 ホーホー。ホーホー。


 やがて雪が溶け、春が来た。

 森の前に、私の大好きな甘い木の実が、たくさんたくさん実っていた。

 あれはきっと、森からのささやかなお礼だったのだろう。


 ホーホー。ホーホー。


 あれから何年経った今でも、その声は月夜に響き渡っている。

 だが、それは私を呼ぶ声ではなかった。

 いつか再び、私という種の動物が必要となった時、声は私を呼ぶだろう。

 その日を待ちわびながら、私は今も、この森と共に生きている。

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