△4手 vanilla-latte

 やさぐれた夏歩ちゃんが面白いので、そっと秋田県の地酒を差し出したら、迷わずぐいっと口にした。


「モテようとして何が悪いんですか! 大体、ちょーっとブリブリ作っただけでなびく男の方が悪いと思いませんか?」

「思う、思う」


 今夜はヤケ酒するつもりのない私は、少しお高めの新潟県の純米大吟醸をちびちび舐める。


「モテメイクやファッションを研究して、自分をアピールする方が、よっぽど正々堂々健全だと思います。『私、男になんか興味ありませんから』って顔して、男の方から言い寄ってくるのを待ってる女の方が、ずーーーーっと卑怯です!」

「いやー、ごもっとも!」


 夏歩ちゃんはいい感じになっていた人がいたのだけど、その人の取り巻き? (彼女ではないけど、その男に気があるらしい女性)に嫌がらせをされつづけていたらしい。


『彼は今大事な時期なの。あなたみたいな浮わついた人にウロチョロされると、将来に関わるのよ。邪魔しないで!』


 と、「彼のために」忠告されたとか。

 夏歩ちゃんとしては、正直そこまで好きな相手ではなかったし、面倒臭くなって手を引いたのだけど、苛立ちは収まらない。私は強引に居酒屋に連れ込まれて、「かわいくないお酒を飲んで荒れる夏歩ちゃん」という楽しい光景を眺めつつ、お酒も堪能しているところだった。


「その『大事な時期』っていつまでつづくんだろうね。仕事のために恋愛を我慢しなきゃいけないような仕事なんてあるのかな?」

「そんなもん、あるわけないじゃないですか!」


 ちょっと考え事をした隙に夏歩ちゃんは自分のグラスを空にしていたようで、私の手からお高い純米大吟醸が消える。


「誰だって、自分を『好き』って言ってくれる人は好意的に見るじゃないですか。素直に『好き』って言えないなら、指くわえて見てればいいんですよ! 自分の恋愛くらい自分で動け! 子どもじゃあるまいし」

「だよねー」


 夏歩ちゃんの手にあった純米大吟醸を、そっとウーロン茶に交換する。と、ひと口飲んで「これウーロン茶です」と返された。仕方がないので店員さんに、「一番安い日本酒追加で。何なら料理酒でも、入り口に置いてあった消毒用アルコールでもいいです」とこっそり注文しておいた。


「その彼女をかばうつもりは全然ないんだけど、同じ会社だと、なかなか告白なんてできないよ。断られた時のダメージがずっと後を引くもん。いい大人だから、余計なことまで考えちゃうんじゃないかな」


 課が違えばなかなか会わないとは言っても、それほど大きな会社ではない。エントランス始め、至るところで顔を合わせる機会はある。まして、同じ課だったなら尚更。顔の角度を少し変えただけで、あのメガネは目に入る。


「告白するのが簡単じゃないことくらいわかりますよ。だけど本当に好きなら、諦めるのだって簡単じゃないです。告白して受ける外傷より、根深いと思うんですよ」

「それはそうだけど、表面的には無傷で済むじゃない」

「もちろん、そういう選択肢もあります。だけどそれを選んだなら、責任持って想いを殺すことを徹底すべきです。中途半端で周りに迷惑かけるなんてサイテーーー!」

「だよね……」


 ケチケチ飲んでいたせいか、高い純米大吟醸では酔えない。それでも透明な液体とともに、何かずっしりしたものが、胃の奥の奥の臓器に染み込んでいった。


 圧迫感だけで誰かわかったので、振り返りながら名前を呼ぶ。


「あの、どうかしました岩本さん?」

「今井さん、物品の発注データ出してみてくれる?」


 ストレス太り(本人談)していたはずのお腹は、すっかり幸せ太り(本人談)で厚みを増し、今や「大人が十人手をつないでも幹の周りには届かない」という縄文杉のキャッチコピー(?)を思い出す。


「ここ、絶対間違ってると思う」


 言われるままに開いたファイルの一点を、岩本さんの魚肉ソーセージのような指が示す。

『リングファイル(赤) 10箱』


「え? 違ってます?」

「うん。この品番、そもそも十冊入りが六箱入った箱の方だから、十箱だと六百冊。他に青と黄色も発注してるでしょ? 倉庫にとても入らないよ?」

「ああ! 本当だ! 十冊一箱と間違えてました! すみません」

「いや、いいんだけどね。今井さん、ちょっとミスがつづいてるんだ。俺が気づいて訂正できるところはしといたけど、何か大きなことやらかす前に、気を引き締めてもらえるかな」


 やさしい岩本さんはやさしい言い方で注意してくれたけれど、やってることは社会人として大問題だ。


「本当にすみません。気をつけます。ご指摘ありがとうございました」


 引き出しから出したおやつサラミをひと掴み、岩本さんのポケットに差し入れる。きっと他にもミスしていて、岩本さん以外の人にも迷惑をかけているのだろう。

 ここ最近癖になってしまった方向に顔を上げると、無表情の湊くんと目が合った。何も言わないし、表情も変えないけど、「しっかりしろ」と目が言っている。謝るように俯いた先に、もうあの花はないけれど、原因がはっきりしているだけに彼の視線は堪えた。

 恋のはじまりは、いつだって誰だって浮かれている。だけど、これまでは仕事に支障をきたすようなことはなかった。別に手を抜いているつもりはないのに、気づくとぼーっと湊くんを見ていたり、あの夜を思い出して赤くなっていたりする。恋をエネルギーに変える人もいるけど、私の場合は違うらしい。

 気合いを入れて見直した発注は、岩本さんの指摘以外にも二カ所間違っていて、使用頻度の高くない緑色のペンを十年分くらい買うところだった。

 落ち込み過ぎて少し冷静になれた私は、脳に糖分を与えようと、自動販売機で普段は飲まないバニララテを買った。ゴーーーーッと内部でバニララテが作られている間、自動販売機の広い胸にすがる。

 私、なんてダメな人間なんだろう。前の恋愛も、それはいろいろ問題はあったけど、それでも他人様に迷惑をかけるようなことはしなかった。『中途半端で周りに迷惑かけるなんてサイテーーー!』という夏歩ちゃんの言葉が、痛いところによく響く。恋愛より仕事が大事とは言わないけれど、迷惑をかける範囲の広さを考えると、個人的問題は些末なことだ。

 お腹辺りがもぞもぞするので見下ろすと、バニララテができあがって、扉を開けようとしている。落ち込み過ぎて動くのも辛いから、立ったままその場でひと口飲んだ。


「うわ、あまーい」


 喉を焼くような糖度に顔が歪むけれど、「ええい! 私への罰だ!」と飲みつづけた。


「座って飲んだら?」


 ポケットの中の小銭を確認しながら、湊くんが私の後ろを通り過ぎて、お金の投入口前に立つ。バニララテの衝撃で少し落ち着いたはずの気持ちが、あっさりと元に戻ってしまった。

 そもそも湊くんが悪いんじゃないかと、唐突に思った。湊くんが好きになんてさせるから悪い。そうだ、全部湊くんのせいだ。

 お金を投入し終えて、コーヒーの調節機能を「コーヒー濃いめ」を一段階、「砂糖標準」「ミルク多め」を二段階に設定しているメガネ男を見て、八つ当たりが爆発した。細やかな設定を丸無視して、バンッと「バニララテ」を押す。


「ああああ!」

「これ、すっっっごく甘くて、あんまりおいしくないから、めちゃくちゃおすすめ!」

「うわ、最低……」


 さっきと同じように少し長い時間をかけて、自動販売機はせっせとおいしくないバニララテを作っている。


「あのね、湊くん」


 仕打ちに不満だったようで(当たり前)、ムスッとしたまま返事はしてくれない。だけど、聞こえていることはわかったから、話はつづけた。


「好きです」


 ゴーーーーーッという機械音に邪魔されたのかと思うほど、湊くんは反応しない。だから少し声を強めた。


「最近気づいたんだけど、ちょっと、どうしようもないくらい好きです」


 ゴーーーーーッという音が、ブイーーーーンに変わる。さっきと今では、どういう作業の違いがあるのだろう。


「だから、私と付き合ってください」


 湊くんは、仕上がりまでのカウントダウン表示を見つめたまま反応しない。一点を見つめて、まばたきすらせずにいる。それはぼんやりしているというより、深く深く何かを考えているときの目だった。湊くんは問題が難しいときほど、こういう目をする、と思い出した。見ているのは視線の先じゃなくて、頭の中。


「……秒読み」


 十から減っていく数字を見ながら、湊くんはポツリとつぶやいた。


「え?」


 フィーンと扉が開いても、湊くんはバニララテを見つめたまま動かない。


「できたみたいだよ?」


 促すと、ようやくノロノロとカップを手にする。

 私の方は口に出すと、雲が晴れたようにスッキリした。勢いに任せて、冷めてしまったバニララテを、顔をしかめて一気飲みし、空いた紙コップを回収ボックスに落とした。

 湊くんは長い時間の後、ようやくまばたきをして、惰性のような仕草でバニララテをひと口飲む。顔をしかめずにはいられないくらい甘いのに、その表情は変わらなかった。そして一度だけぎゅっと強く目をつぶって、ため息とも深呼吸とも取れる息をゆっくり吐いた。


「ごめん。無理」


 意を決したような声は、私の告白に対する拒否だった。もうひと口だけバニララテを飲んで、私の横を通り過ぎる。その時もう一度、こぼすようなささやきで「ごめん」と言った。

 世の中で発生する、たくさんの恋の多くは叶わない。だけど、そんな統計上の話なんて、関係ないと思っていた。恋は偶然好きになった人に、同じように偶然好きになってもらうわけではないから。想いは、鳴って、響いて、届いて、共鳴するものだから。そうして響き合った想いが、どんどん深まるものだから。

 大人だから、気持ちはなくても身体の関係は持てるってことは知っている。キスだけなら尚更。だけど、あのキスはそれとは違うと思っていた。唐突な告白は無謀だけど、困らせるかもしれないけれど、それでも湊くんがここまではっきりと拒否するとは思わなかった。

 来たときとは別種の絶望感を抱えて、私は仕事に戻った。たったひとつうれしいことは、もやもやしたものを吐き出したおかげで、仕事は通常営業に戻ったこと。仕事さえきちんとできていれば、誰も何も言わない。元彼の時はあんなに騒いでヤケ酒までしたのに、今この気持ちには、誰にも触れてほしくなかった。




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