第一次世界大戦

武装する飛行機と機銃の問題

 一九一四年六月二八日、サラエボでオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィーがセルビア人民族主義者の青年ガウリロ・プリンチップに暗殺されるサラエボ事件が発生しました。

 これによって、第一次世界大戦が勃発します。


 第一次世界大戦の経緯については、非常に複雑なのでここでは省きます。

 ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国による中央同盟側と、フランス、イギリス、ロシア、ベルギーなど、そして日本も加わった連合国がぶつかり、ヨーロッパやアジアで戦争が繰り広げられました。

 

 陸に、海に戦いを繰り広げていた人類ですが、この戦争からは空でも争うようになりました。

 気球、飛行船、そして飛行機です。

 先にも述べたとおり、この戦争初期での飛行機のお仕事は偵察が主です。

 実は、今でも飛行機のお仕事は偵察や哨戒が大半です。

 戦争では、これは重要なわけです。


 人類初となる世界大戦では、各国が存亡をかけて持てるリソースのすべてを傾ける総力戦となってきました。それは後の時代に分析されたからこそそう結論づけられるわけですが、最前線の兵士や当時の人々、場合によっては各国のリーダーもそうなるとは思っていなかったかもしれません。

 ともかく、それまで人類が経験したことのないほどの人命を飲み込んでいく地獄の釜の蓋が開いたことなど、当事者たちは思いもしなかったことでしょう。


 未曾有の人命を飲み干した第一次世界大戦ですが、その初期には休戦時には敵同士の兵隊が休戦を喜び合ったり、健闘を讃えたり、戦時物資を交換したり、クリスマス休戦には敵味方でサッカーしたという話もありました。

 まだまだ、戦場に騎士道精神や戦士の名誉、敵への敬愛や友情なんてものも、この頃には余裕があったせいか残っていました。


 さて、この時代、戦闘機という分類はまだありません。

 戦場の空の上を飛行する飛行機でした。

 大戦直前、フランスのモラーヌ・ソルニエHが第二回国際飛行機競技大会で精密着陸賞を獲得しました。各国がこれに注目し、ライセンス生産されます。

 パイロットは初の地中海横断飛行を成功させたローラン・ギャロス。この人物は後の戦闘機の歴史でも重要な役割を果たします。

 それはさておき、この飛行機は武装もなく、スポーツ用だったわけです。


 大戦初期、飛行機は武装を持っておらず、すれ違いざまに敵同士でハンカチを振りあったという牧歌的なエピソードもありました。

 しかし、この偵察飛行が効果を上げてくるようになると、敵の飛行機を妨害できないものかと考えるようになります。

 最初は、スパナなどの工具を投げつけたといわれます。

 その次は、上に回って吊り下げらた煉瓦れんがや石を落とす、というものでした。

 そして、パイロット同士がピストルやライフル、半自動小銃で撃ち合うことになっていきます。


 銃で撃ちなうなら、弾数が多いほうが有利です。

 そうなると日露戦争でも威力を発揮した機関銃を積もうということになります。

 しかし、機関銃をどこに積むかが問題になりました。


 二人乗り(複座と言います)にして、専門の射手がこれを撃つ、その方式が考えられました。

 ここで、ボールトンポール デファイアント! 英国面! とか騒ぎ出すような変態飛行機好きの玄人は本項では相手にいたしません。

 あくまでも超入門です。後で触れるかもしれませんが。


 それはさておき、最初から機関銃を積めばいいじゃないと設計されたのが、イギリスのヴィッカース FB.5ガンバスです。ヴィッカーズというのは、飛行機を作った会社の名前です。後ろのアルファベットと数字が形式番号で、ガンバスというのが機体の愛称です。MS-06ザクⅡの、の部分が愛称です。ガンバスは兵士たちがそう呼んだということで、軍が正式につけたものではありません。意味は、文字通り銃付きのバスという意味です。この機体だけの愛称ではなく、機銃付き複座の飛行機は、まとめてこう呼ばれたようです。


 さて、この飛行機ですが、前部座席に旋回式の7.7mmルイス機銃を一丁装備して偵察員兼射手が座り、後部座席に飛行機を操縦するパイロットが乗ります。

 勘のいい人なら、もうおわかりかと思いますが、パイロットの前に偵察員兼射手が乗るとなれば、そりゃあパイロットの視界は最悪なわけです。当時、飛行機の視界は、もっぱら肉眼と双眼鏡に頼ったわけですから。

 旋回式機銃なので飛行機が旋回すると機銃もそっちに合わせてブレるし、とても扱いづらいわけです。おまけに正面に敵がいる時に発砲すると、プロペラを撃ち抜くという自殺行為が発生します。試作時には、砲身が液冷式の馬鹿でかくて重いヴィッカース重機関銃を積もうとした辺りが英国面を感じさせます。

 

 そもそも、この機銃も偵察にやってきた敵機を追っ払うためにつけたので、航空戦闘と言えるような事態を想定したものではありません。

 なら、プロペラに当たらないような位置に取り付ければいいじゃないと考えますが、そうするとパイロットの視線から射線がずれるから当たらないし、高い位置に機銃置くとバランス悪いよなあ、ということになります。


 さて、この旋回式じゃ当たらないことに気づき、進行方向に固定すればいいじゃないか、それなら単座(一人乗りってことです)でもいける、ということで機首の進行方向に武装の機銃を固定した飛行機が登場します。


 その機体が、フランスのモラン・ソルニエNです。

 ビッカーズ機銃かホチキス機銃一丁をプロペラの回転範囲内の機首位置に固定配置し、安定と命中精度が上がるものと期待されました。

 しかし、解決していない問題があります。

 そう、プロペラ撃ち抜いちゃうってことです。

 だったら、撃ち抜かないプロペラにすればないいじゃないということで、プロペラに防弾板を取り付け、当たったら弾き落とすという乱暴な解決策になってます。

 回ってるプロペラに当たらなかった弾が、羽根の間をすり抜けて飛んでいって敵機に当たればそれでよし、という豪快な発想でした。

 そのプロペラに弾かれた跳弾がパイロットに当たる可能性もあるので、防弾ガラスも設置されています。

 だんだん戦闘機の形状に近くなりますが、結局この機体はオーバーヒートを起こしやすかったので、大して量産はされませんでした。


 いいところまで行ったモラン・ソルニエNですが、これに正解を出したのが人物が登場します。先も述べたフランス人パイロット、ローラン・ギャロスです。

 彼は飛行冒険家としても活躍し、第一次大戦が始まるとフランス軍に入隊して功績を上げました。彼の名を冠したテニスコートもあり、全仏オープンの会場のひとつにもなっています。


 それはともかく、ギャロスは自機のモラン・ソルニエLに、技術者のレイモンド・ソルニエの協力を得て同調装置付きの機関銃を固定しました。

 同調装置というのは、プロペラの回転に合わせて撃ち抜かないように発射する機械です。当初から設計はされていましたが、飛行機による有用性には疑問符を持たれていました。

 なので、ギャロスはプロペラの防弾板をつけて運用しています。このアイデアを実行に移した翌月の一九一五年四月一日、ドイツ軍のアルバトロス偵察機を撃墜し、世界初の航空機の機銃による撃墜を記録します。

 これをもって、戦闘機の誕生とすることもあります。実際、ギャロスは四月中に合計三機の撃墜を記録するという戦果を挙げました。


 しかし、活躍したその同月四月一八日にギャロスは敵から撃墜され、ドイツ領内に不時着してしまいます。その後、捕虜収容所から脱走するという大冒険もあったりしますが、ここでは省きましょう。

 撃墜されたギャロスのモラン・ソルニエLは、若干二〇歳でフォッカースピンという航空機を組み立てたオランダ人青年アントニー・フォッカーに引き渡されます。


 アントニー・フォッカーという人物は、オランダ領東インド(現在のインドネシア)で生まれ、自動車や飛行機に強い関心を寄せていました。

 第一次世界大戦が始まると連合国、同盟国に自分を売り込み、結果としてドイツ軍に採用され、ベルリンにいました。

 非武装のフォッカーA.III(この機体自体はモラン・ソルニエHとほぼ同じ)にプロペラ同調装置をつけた機体のデモンストレーションを私的に行っていました。

 そして一九一五年六月、フォッカーアインデッカーの量産が開始されます。

 アインデッカーとは単葉機、つまり翼が一枚の形状の飛行機のことです。

 このフォッカーアインデッカーこそ、最初から航空戦闘を主目的として設計された世界初の戦闘機とされます。それまでは、偵察機を追っ払うという意味で駆逐機と呼ばれたりもします。


 フォッカーアインデッカーは、機首に7.92㎜パラベラムMG14機関銃を固定し、プロペラ回転圏内から正確な射撃が可能となりました。バリエーションは、E.Ⅰ~E.Ⅳまであり、E.Ⅲがもっとも生産されます。

 フランス軍はプロペラの防弾に、ドイツ軍は同調装置の開発を重視したのです。

 この純血戦闘機であるフォッカーアインデッカーは、連合国の飛行機相手に猛威を振るいました。当時、生まれたばかりの概念として航空優勢、制空権というものがあります。簡単に言うと、戦闘機が敵に勝っているので、偵察機が安全に飛べる、というものだと思ってください。

  一九一六年二月二一日、ヴェルダンの戦いが始まります。

 この戦いは、同年一二月一九日までの間に両軍合わせて死傷者七〇万を超えるという人類に地獄の釜が開いたことを十分に思い知らせるものとなったわけですが、ここでドイツ軍はフォッカーアインデッカーを集中運用します。

 連合国側は多大な犠牲と一進一退を繰り返したすえになんとかドイツを撃退したものの、空での猛威は兵士たちの士気に大きな影響を受けたのです。

 イギリスメディアは、この脅威を「フォッカーの懲罰」と呼んで恐れました。

 縄張り争いをする草食獣の中に、最初から動物を食う肉食獣が群れなしてやってきたようなものですから、その衝撃がどれくらいのものかわかるかと思います。

 そしてこの時期から、両陣営の空の争いは激化していくようになります。




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