エースパイロットの活躍

 この『かんプロ』ですが、いつの間にか第一次大戦の時系列を追って解説するようになってしまいました。まあ、そのへんも含めて楽しんでいただければと思います。


 さて、地上ではソンムの戦いも含めて未曾有の人命が失われることになります。何故これほどの数が死んだのか、ここについて説明しておきましょう。

 総力戦となった第一次世界大戦ですが、そうなると敵より先に兵隊を集め、数の力で叩き潰してしまおうという単純ゆえにもっともわかりやすい戦い方が模索されるようになります。国中から兵隊をかき集め、訓練して戦場に送り出す、これを迅速にするための研究がなされました。

 二〇世紀の発展の特徴ですが、エンジンなどの動力の開発によって飛行機が登場したように、列車や自動車、船舶などの移動手段が飛躍的に向上しました。

 国中に線路が敷設され、鉄道が通ると、どこにでもいけるようになります。ということは、国中どこからでも若者を戦争のために掻き集めることもできるわけです。


 この兵隊を集めて送り出す計画を、動員計画といいます。

 また、最終的にナポレオンに勝ち、普仏戦争でもプロイセン王国を勝利に導いた参謀制度にも注目が集まりました。

 近現代まで、軍隊は特権階級の貴族が指揮をとったわけです。

 しかし、銃や火砲の発達によって勇敢に突撃したり個人の戦闘力、あるいは指揮官の軍事的才能に頼った戦術に頼った時代から、組織の戦いに推移します。

 専門的な戦争と作戦の知識を持ってる人間が率いたほうが、軍隊というものは効率的で強いことがわかってきます。

 貴族には優秀なものもいますが、ボンクラもいます。参謀というのは、その貴族の脇について専門知識や戦術をサポートするお仕事でした。

 ナポレオンは戦争の天才ですが、天才なんてものはいつの時代も複数はいない、だからこそ参謀が必要になったわけですね。


 この参謀たちが頭を捻って、綿密な動員計画を練り込んでいきます。

 相手より早く、より迅速に、その結果は鉄道のダイヤグラムまで綿密に計算した動員計画ができあがります。

 この動員計画にしたがって無数の人間が兵隊として戦場に送り込まれました。

 戦える者から無作為に大量に、もう地上の戦場には選ばれた者たちはいません。

 この動員計画が第一次世界大戦の遠因とも言われることがあります。

 ドイツのシェフリーシェンプランが有名ですね。

 戦争の気配が近づいてきたら、相手に先んじて動員計画を発動する、すると相手もその気配を感じ取ってさらに勝てるだけの動員計画を発動する。

 こうなると、発動したらもう止まりません。綿密に組み上げられた動員を止めたら破綻するし、その間に敵が大量の兵士を動員していたら負けるからです。

 かくして、地上には有名無名の者たちが計画されて大量の死の中に焚べられるという地獄ができあがりました。


 そんな地上の戦いに比較すると、空の戦いはまだ選ばれた者たちの戦場でした。

 当時、飛行機を操縦できる操縦士は限られています。飛行機の量産もまだ手間がかかり、大量の命が消耗品のように失われるまでの戦いはありません。あくまで、地上に比べればの話ですが。一対一、数機対数機という状況で、勇敢な男たちが技と勇気を競う戦闘が繰り広げられました。

 ここでエースパイロットという英雄たちが誕生するわけです。

 エースとは、敵機をたくさん撃墜した人に与えられる称号です。こうした英雄の誕生は、戦時中の国威高揚にも用いられました。

 また、エースには優先的に新型機が回ってくるので、旧式機や偵察機を狙ってでも撃墜数を稼ぐ、なんて事情もありました。第一次大戦当時は、エースの資格は各国ともバラバラですが、現在は五機撃墜でエースの称号が与えられます。

 第一次世界大戦では、機関銃と鉄条網、塹壕の防御陣地によって、それまで花形だった騎兵が時代遅れとなります。

 エースパイロットの中には、この騎兵から転換した人たちもいます。

 アメリカ軍のエディ・リッケンバッカーのように、インディ500に出場したプロのレーサーという異色の経歴を持っているエースもいます。

 彼らは、かつてのヨーロッパの騎士を彷彿させ、実際に騎士精神を持って戦いに挑む者たちとされました。機体を飾り立ててあえて戦場で自己をアピールする、ライバルと競い合う、撃墜数を書き込む、個人の武勇を競ったわけです。

 この時代、空戦というと機体をうまく操縦して相手の背後に周り、機銃を操車するという格闘戦が基本です。相手の後ろを取ったりぐるぐる回って戦う様子から、俗に犬の喧嘩、ドッグファイトと言われます。


 さて、このエースたちがお互いにしのぎを削る中で、プロペラ戦闘機も新型が投入されていきます。

 イギリス軍は、ソッピーストライプレーンを投入します。トライ、つまり三枚の翼を持つ三葉機です。血の四月からかけての空の戦いで、アルバトロスD.Ⅲの運動性能を圧倒します。

 ただ、武装がヴィッカーズ7.7mm機銃一丁と武装の面が貧弱でした。

 そこで、ソッピーッスパップの代替に、ヴィッカーズ7.7mm機銃二丁を装備したソッピースキャメルを投入します。機敏な機体で、敵軍機の撃墜数は多かったのですが、操縦は難しかったといわれています。

 RAF S.E.5という優秀な戦闘機もあったんですが、エンジンの量産が間に合わず少数だったので、エースたちに優先して回されました。

 ドイツ軍は、アルバトロスD.Ⅲに対抗して奮戦するトライプレーンに強い衝撃を受けたのか、三葉機の開発を急ぎ、フォッカーDr.Ⅰを投入しました。

 エースパイロットであるリヒトホーフェンが撃墜されるまで機体を赤く塗っていたのでよく知られています。しかし、大戦終結までには性能不足となっており、前線からは姿を消して練習機として残っているだけでした。


 エースパイロットを順に紹介すると膨大になりますので、筆者の印象に残った人物、今後にも登場する人物について触れていきましょう。

 

 まずはドイツ軍から紹介します。

 初期のエース、オズヴァルト・ベルケ。

 生涯撃墜数四〇機のエースです。この人が重要だと思う理由ですが、ベルケの格言、あるいはベルケ空戦八箇条といわれる鉄則を残したからです。「攻撃をかける前に有利な情勢を確保せよ。可能な限り太陽を背にすること」など、現代の空戦にも通じるものがあります。内容については省略しますが、ドイツ軍のパイロットたちがその薫陶を受けて育ったのは間違いありません。

 ドイツが戦闘機の集中運用をする中で、部下たちに教えていったのです。

 しかし、撃墜されて最後を迎えます。


 続いて、マックス・インメルマン。

 撃墜数一五~一七と言われています。おそらく『エースコンバット』を遊ぶのが大好きな男の子女の子は、インメルマンターンかコブラ機動という空戦機動を試したことがあると思います。

 この人が編み出した必殺技です。機体を上昇させて一八〇度に上下くるっと半回転して裏返るわけですが、ひねりを入れながら機体を戻して反転するという技です。

 しかし、撃墜されて戦死します。撃墜したパイロットが勲章をもらっていますが、対空砲火で撃ち落とされたとする主張もあります。

 この時代、地上の名もなき兵士に落とされるのは、騎士や侍が雑兵に討ち取られるという不名誉と同じ感覚だったとようです。

 

 やはりマンフレート・フォン・リヒトホーフェンは紹介しておかねばなりません。

 第一世界大戦の撃墜王としてしられており、アニメや漫画でエースパイロットが赤い機体に乗るのはだいたいこの人の影響です。八〇機を撃墜し、男爵の爵位を持っていたことからレッド・バロン、赤い悪魔ディアブロルージュの異名があります。

 もともと騎兵出身だったのですが、戦場の空を飛ぶ飛行機に憧れを持ち、飛行隊に志願しました。

 彼は偶然であったベルケに空戦について聞くのですが、ベルケの答えは「近づいて撃て」だったといいます。自分もそうしていると伝えると、ベルケは「自分はフォッカーアインデッカーに乗ってるからだ」と返ってきました。

 そこから、前線の戦闘機乗りを志します。

 空戦で目覚ましい活躍を見せたリヒトホーフェンは、第一戦闘航空団指揮官に就任します。この部隊はさらにエースを排出し、連合軍からはフライングサーカス、あるいはリヒトサーカスと恐れられました。

 しかし、彼もまた撃墜されて最期を迎えます。

 敵味方から称賛を受けた彼の遺体は、丁重にドイツに返却されました。

 ちなみに、彼の弟もロタールも四〇機撃墜のエースです。

 

 それから、エルンスト・ウーテッド。

 撃墜数六五機のドイツ軍第二位の成績を誇るエースです。彼は飛行機が大好きで豪快なエピソードがいっぱいありますが、その後の人生は第二次世界大戦編で語ることができればと思います。悲しくなるお話だったりしますが。

 

 今度は、連合国側のエースを紹介しておきましょう。


 ジョルジュ・ギンヌメールは、連合国フランスを代表するエースです。

 先ほど紹介したエルンスト・ウーテッドと空中で遭遇したとき、ウーテッド機の機銃が故障したのを見て決着ありとして、「さらばAdios!」と手を振って去っていったと言います。

 彼は、コウノトリ部隊というエース部隊を率いて戦います。

 しかし、ギンヌメールもまた、一九一七年にベルギー戦線で空に散ります。国民的英雄であった彼は、「ギヌメールはあまりにも高く飛びすぎて降りてこられなくなった」と語られました。

 また、ギンヌメールのアイデアでスパッドS.Ⅻという重戦闘機が開発されます。

 ヴィッカース製7.7 mm機関銃一丁と、なんと37mm砲を積んでいます。

 こんな砲どこに積んだかというと、エンジンの真ん中に積んでプロペラの中心からぶっ放すというものです。これをモーターカノンといいます。

 生産数が少なく、エース専用機的な形で配属されます。


 連合国軍最多撃墜数七五機のルネ・フォンク。

 未確認の戦果を含めると、リヒトホーフェンの撃墜数を超えるともいわれます。

 このスコアは、ギンヌメールの仇討として奮闘したので増えたとされます。


 連合国側公式最多撃墜数を誇るのは、カナダ人のウィリアム・ビショップです。

 英連邦の一員として参戦、騎兵連隊に所属していましたが、投入された西部戦線は来る日も来る日も塹壕戦で泥と馬糞まみれになったのをぼやいていたといいます。

 ビショップはニューポール17に乗りますが、プロペラの先を青く塗っていたのでドイツ軍から認識され、“地獄の女中”と恐れられました。


 そして第一次世界大戦は、キール軍港の反乱に端を発したドイツ革命によってヴィルヘルム二世が退位させられ、終結します。

 その犠牲者数は九〇〇万から一五〇〇万といわれます。

 プロペラ戦闘機は、その中で産声を上げて成長した新兵器だったのです。

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