総力戦の幕開け

 さて、人類の歴史というのは闘争の歴史ともいわれます。紀元前の頃から、戦争ばっかりしてきたわけです。

 この戦争の様子も、二〇世紀に突入する大きく変わっていきました。

 そもそも、戦争の様子が変わり始めたのは、一七世紀の三〇年戦争を経てから一八世紀にナポレオンが登場した辺りから、となります。

 それまでの戦争は、王様が貴族に命じて兵隊を召集して戦うというものでした。

 騎士がいた時代は、騎士が契約した内容に従って戦争に参加するわけです。

 領民たちが召集されたりもしますが、メインで戦争に携わるのは雇われた傭兵たちと封建制によって領土を与えられ、見返りに忠誠を尽くす騎士などの戦士階級です。


 しかし、戦場でちょっと訓練を受けると発砲できる銃が登場すると、騎士や傭兵を集めて戦うより、市民を集めて撃たせたほうが手っ取り早くなります。騎士は領土や特権を与えなければならないので、人件費の面でコストが大きかったのですが、平民集めて銃を撃たせると、そんな騎士もコロッと殺せたので、非常に安上がりです。

 戦争というものは、しばらくは騎士や一部の選ばれた者たちが活躍する場でした。

 領主が自分の利益や権益ために兵隊を集めて戦争し、そこで金で雇われた兵隊は給料以上の働きをする必要もなければ、領主のために戦っても褒美がもらえる程度ですので、騎士でも戦士階級でもない召集兵が命をかけて戦う理由は薄かったのです。


 しかし、ここでフランス革命によって王政が倒れ、共和制国家が誕生します。

 絶対王政から、市民が国家の一部を形成する国民国家へ移り変わったわけです。

 王侯貴族諸侯の利益のために戦う戦争ではなく、召集されれた兵士は、自分たちが拠り所とする国と国民同胞のために戦うのだという意識に変化していきます。


 そして一九世紀末から二〇世紀初頭には、帝国主義の台頭もあり、国を挙げて戦う総力戦の時代に突入します。

 それが顕著な形になったのが日露戦争でした。

 ロマノフ朝ロシアという従来の絶対王政国家と、明治維新で誕生したばかりの大日本帝国という新興の立憲君主制国家との戦争でもあったわけです。

 結果として、日本は多大な犠牲を払いましたし、得るものも失ったものに比べると多くはなかったのですが、国力にして三〇倍の国に勝利したことは、戦場が選ばれた者たちの争いではなく、名もなき国民たちが一丸となって戦うほうが強い、そういうことが示されたわけです。


 日露戦争には、戦闘機は間に合いませんでしたが、開戦の前年には前述したフライヤー1号は初飛行していました。

 日本では、二宮忠八にのみや ちゅうはちという衛生兵が飛行機の有用性を主張していましたが、軍上層部は懐疑的でした。結局、自力開発も資金難で挫折して先を越されてしまいます。

 二宮の開発した飛行機は玉虫型飛行機といわれるもので、動力のためにオートバイ用の二馬力エンジンを購入しましたが、飛行するには出力不足でした。フライヤー1号と同じ12馬力エンジンを自作するという構想を立てましたが、その頃には人類初飛行の栄冠を得る機会は失われてしまったのです。その後、二宮は失意の中で飛行機開発から離れますが、航空機による被害や犠牲に感じ入るものがあり、京都に飛行神社を建設することになります。これもまた別の話とさせていただきましょう。


 総力戦という戦争の形態は、領邦君主の領土の奪い合いや相続の争いといったものから、民族や国家の存亡をかけてぶつかりあう巨大なものになっていきます。

 そうなると国々は滅びたり隷属しないためにも、人員だけではなく、工業力と科学力、そして国家システムをも戦争に勝つために結集していくようになります。

 こうした中で、飛行機という新兵器に機体と注目が集まっていきます。

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